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海の娘と砂漠の男と猫の旅  作者: 守雨


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6 オカリナ     

 イーファは宿の窓枠に腰をかけ、魔イカの甲骨で作ったオカリナを取り出した。なぜか自分の部屋ではなく、ジーンの部屋に来ている。


「何か用か?」

「別に用はないけど、聴いてくれる人がいたほうが張り合いがあるから」

「ふうん。ま、好きに吹けばいいさ」

「うん」


 イーファはピロピロと試し吹きを始めた。ジーンはナイフと小型弓ミニマムの手入れをしている。使い慣れた道具の手入れをするのは楽しい。


 試し吹きをやめたイーファが、ひとつ息を深く吸ってオカリナを吹き始めた。

 突然始まったそれは、穏やかで物悲しげで心の波をなだめるような、作業していたジーンの手も自然と止まるような調べだった。


 ジーンは道具を全部テーブルに置いた。椅子の背もたれに寄りかかり、オカリナの音色に耳を傾ける。イーファが吹く曲が心地いい。そのままぼんやりと視線を窓の外にむけた。視界の中をたくさんの何かが動いている。


(んっ?)


 リラックスしてた目に力を入れて見直すと、それは数多くの猫と鳥である。


 二階の部屋からは道路の反対側の建物が見えるのだが、今はその建物の屋根という屋根には鳥、開いた窓のあちこちに猫が顔を出してこちらを見ている。中には目をつぶって聞き惚れているような猫までいる。

 鳥の数は少しずつ増えている。種類も様々だ。大小さまざまな野の鳥が、道向こうの建物に飛んできては止まる。おそらくこの宿の屋根も鳥が集まっているはずだ。


 ジーンはすぐには自分の目が信じられず、一歩二歩と窓に近寄った。下を見ると道行く人たちも動きを止めてあんぐりと口を開けてこちらを見上げていた。あたりの猫と鳥に気づいて指差す人もいる。


 しばらく続いたイーファのオカリナの調べがぷつりと途切れ、銀色の髪を揺らして「はい、おしまい」と言って笑う。ジーンは何度か口をパクパクさせて言葉を探した。


「イーファ、お前、魔力持ちか?」

「さあ。調べてもらったことないですけど、この魔イカの甲骨のオカリナとは相性がいいんです」


 そう言って手の中の薄いピンク色のオカリナに視線を落とした。


「陸だと猫と鳥が集まるのね」

「陸だと? じゃ、海では……」


 ジーンの言葉の途中で、イーファに窓の外から声がかかった。町の住人らしい中年の男が、硬貨を見せて声を張り上げている。


「嬢ちゃん!もう一曲聴かせてくれよ! 小銀貨一枚でどうだ?」

「ここでは迷惑になりますから」

「じゃあ、宿の食堂で吹いてくれるか?」

「宿の人がいいって言ってくれたら」

「よおし、今、宿の主に聞いてくる」


(そんな人目を集めることを?)とジーンが心配していると、再び下から声がかけられた。


「夕食時に演奏してもいいってよ! また吹いてくれよ。聴きたいのさ。おうみんな、夜に食堂に来てくれ。嬢ちゃん、あんたは食事代は無料になったぞ! 俺が交渉してきた!」


 演奏会が確定してしまった。


 その夜、宿屋の食堂兼ロビーは噂が広まったらしく、立ち見が出た。こんなことは宿が始まって以来だと宿の奥さんが驚いている。それを聞いたジーンは(ここは娯楽が少ないんだろうな)と納得した。

 イーファはと見ると、緊張している様子もない。昼に町で買った水色のワンピースを着て椅子に座り、オカリナを眺めながら足をブラブラさせている。


 宿泊客が夕食を食べている中、聴衆の期待が高まり会話も消えた。イーファはカウンター寄りの場所に立つと、ぺこりとお辞儀をしてオカリナを吹き始めた。

 午後に吹いていたのとは違う曲で、跳ねるような踊りたくなるような軽やかな旋律の、ウキウキさせてくれる曲だった。


 一曲終えて盛大な拍手が送られ、それが鎮まると次の曲が始まる。今度の曲は聴いていると海のうねりが見えるような曲だ。

 穏やかな海が次第に荒れ始めやがて大嵐となり、再び穏やかになっていく、そんな風景を連想させる曲だった。


 宿泊客も街の住人たちも聴き惚れている。

 両手を口に当てて感動してる女性もいる。

 イーファのオカリナは次第に小さな音となって、最後に細く長く、海鳥がひと声喉を振るわせているかのように響いて終わった。


 静寂、のちに割れんばかりの拍手。

 みんな立ち上がって自分の胸の高鳴りを伝えようとしていた。


 そのあとアンコールの拍手に応えて、短い曲が三曲吹かれた。

 合計で五曲を吹き終えたイーファがぺこりとお辞儀をして「おしまいです」と言うと、男も女も小銀貨や大銅貨を手に前に出てはお礼だと言ってイーファの前のテーブルに置いていく。


 そのあとは大宴会だ。

 感動と興奮に支配された聴衆がやたらに注文している。宿の人々は走り回り、エールやら肉やら煮込みやらを配膳している。


 次々と曲のお礼を言いに来る街の人たちがあらかた帰った頃、一匹の白猫が入り口から入って来て、真っ直ぐにイーファの足元に座った。


「猫! お前も聴いてくれてたの?」

「ナァーン」

「おなかは空いてる?」

「ナァー」

「お肉、味がついてないとこ、あげよか?」

「ブニャッ!」


 それを見ていたジーンが(猫と会話出来るのか? いやまさか)と驚いていると、猫はひょいとイーファの膝に跳び乗り、グリングリンと頭をイーファの胸やら腹やらにこすりつけ、盛大にゴロロロと喉を鳴らした。


 イーファがテーブルの上で小山になっていたコインをザザッと手で集めて革袋に落とし込んでから、猫に話しかけた。


「猫ちゃん、来てくれてありがと。ここは私の家じゃないから部屋に入れてやれないの。おうちがあるならもう帰りなさい」

「ナー」


 猫は肉のかけらを食べ終えて丁寧に顔を洗っていたが、ちゃんと返事をして外へと出ていった。

 ジーンはエールを四杯、ワインも何杯か飲んでいた。とてもいい気分だった。そろそろ寝るかと階段へ向かう。


「嬢ちゃんは船村の人かい?」


 背後から聞こえるのは宿の主人の声だ。ジーンが振り返ると、エールのジョッキを両手に三つずつ持ったままイーファに話しかけている。


「はい。船村で育ちました」

「どこまで行くんだい?」

「とりあえず森の街ナーシャまで」

「そうか。気をつけて行くんだよ」

「ありがとうございます」

「こちらこそありがとう。演奏、素晴らしかったよ」

「ありがとうございます。おやすみなさい」


 イーファが重そうな革袋を手に歩き出し、宿屋の亭主は二人が二階に上がるのを見送った。

 亭主は昼間に町の猫と鳥が集まるという異様な事態を見ていた。夜の演奏の時も店の外に再び猫が集まっているのも見ている。


 その上、店の壁の割れ目からネズミが数匹、鼻先だけ出して押し合いへし合いして聴いているのも見た。思わず二度見したが見間違いではなかった。

 亭主は誰もいなくなった食堂で「音楽の女神か? それとも動物の女神なのか?」とつぶやいた。


 それを聞いていたかのように、入り口から先程の白い猫が顔だけを出し「ニャァン」とひと声鳴いて消えた。

 この日の昼と夜の出来事は、銀髪の娘の奇跡としてこの町で長いこと話題にされることになった。

 

 

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