5 イーファの財産
イーファが「宿の建物を見て決めたい」と主張し、歩き回って見比べて選んだ宿は安くて清潔ないい宿だった。(海の上で育ったのになぜいい宿がわかるんだ?)とジーンは不思議に思う。
部屋を二つ頼んでから、ジーンは別に代金を払って湯の入った桶を受け取り、浴室で全身の汚れを落としてから真っ白なシーツに潜り込んだ。ジーンは蕩けるような眠気に誘われるままぐっすり眠った。
控えめなノックで目を覚ますと、部屋はもう薄暗い。
ドアを開けると買ったばかりの服に着替えたイーファがリュックを掲げるようにして見せながら部屋に入ってきた。
「若い女の子が自分から男の部屋に入ってくるのはどうかと思うが」
「あっ。すみませんでした。持ち物を見て欲しかったのですが、ではまた明日にします」
イーファは出て行こうとしたが、ジーンは「もう目が覚めた。今更だ。どれ、見せてみろ」と引き止めた。
室内のテーブルに並べられたたくさんの品を見、ジーンは呆れた。どれもこれも売れば相当の値が付く品ばかりだった。
イーファが自分で作ったと言う月光貝のネックレスが三本、炎樹珊瑚の髪留めが色違いで四つ、大海虎の牙を削って作られた小型ナイフ、思わず二度見するほど大粒の真珠のペンダント、大海蛇の皮のノースリーブのワンピースが銀と黒の一着ずつ。
全てが超高級品である。
「イーファ、これはまずい。絶対に人に見せるな、間違いなく盗人に狙われる。もしくは強盗に襲われる」
「そんなにですか? 失敗しました。まだまだたくさんあったのに」
「船村の人たちはどんな財宝持ちだよ」
「どれも食べるために採取したり、殺されないために殺した獲物ばかりです。価値は正確には知りませんでした」
別世界の話だなと、ジーンは思う。
「なるほど。まあ、とりあえず冒険者登録はしたんだ。お前の腕ならやっていけるだろう。これは怪我でもしてしばらく動けなくなった時のために持っていろ。お前の財産だ。だが人には見せるな」
「わかりました。ジーンさんも冒険者登録をしてましたけど、今までは何をしてたのですか?」
「俺はフラフラしてる人だ」
「根無し草って人がいると聞いたことがありますが、それですか?」
根無し草と正面切って指摘されて、ジーンは苦笑してしまう。
「まあ、そんなもんだ」
「砂の町トリドで育ったんですか?」
「いや。もっと遠くの砂漠の生まれだ」
「もっと遠いのですか……」
ずっと船村の船の上で暮らしてきたイーファは砂漠と言われても景色の想像がつかない。
「イーファ、これをやる。明日からはこれを被れ」
洋品店で買ったゆったりしたつば付きの帽子を取り出して渡すと、イーファが怪訝な顔になった。
「その銀色の髪は目立ちすぎる。隠した方が少しは厄介ごとから身を守れる。ここは船村じゃないんだ」
「ありがとうございます。いくらでしたか?払います」
「毛皮処理の授業料だ。俺は毛皮に穴を開けたしな」
「では遠慮なくいただきます。ありがとうございます、ジーンさん」
イーファは背中の中ほどまである銀髪を器用にクルクルとまとめて帽子に入れ、目深に被った。
「ああ、その方がいい。顔も目立たない」
「顔? 顔も隠すべきですか?」
「顔は隠しようがないからなぁ。船村に鏡はないのか? 美人て言われたことは?」
「うちに鏡はありませんでした。族長の家にはあったと思います。美人て言われたことはないです。美人なんて女に向かって言う男、船村にはいませんから」
たっぷり怪訝そうな顔でイーファを見て、ジーンが驚いている。
「は? じゃあ気になる女に男はなんて言えばいいんだ? それとも力ずくか? まさかな」
「……」
「おい、ゴミを見るような目で俺を見るな。俺は船村の暮らしを知らないだけだ」
イーファがそっとため息をついてから船村のことを説明してくれた。
陸の人間が船村の人間と話す機会はまずないから、ジーンにとってそれはとても興味深い話だった。
船人は陸の人間と深い付き合いをしない。最近でこそ陸の商品を買うこともあるが、女は年頃になると陸には上がらない。船村の女たちは皆、陸の男たちの目を引く容貌だからだ。
昔、船村の女たちはその美しい容姿に目をつけられ、船団で襲われては連れ去られるという蛮行の被害を繰り返し受けていた。
長い間、船人と女性狩りたちの間で凄惨な戦いが繰り広げられたが、当時の陸指導者と船村の指導者の話し合いがついて、船人たちは保護対象になり、船人の女をさらった者と奴隷のように扱っていた者は処刑された。
だが船人たちは過去を忘れてはおらず、陸の人に対してとても用心深い。船村の女性は船村の男としか結ばれることはない。
船村では好きな相手が出来たら、男は自分が手に入れられる最上の物を相手に贈る。海の上で生きるには、採取と狩猟の能力は甲斐性であり、男の価値と同じ意味だ。
女性は健康なことと採取能力が高いことの他に、自分の身を守れることが重要視される。男たちは魚や海獣を追って留守にすることが多いから、一人で身を守れない女は自分の子供も守れないことになる。それは致命的な役立たずとされていた。女性の戦闘能力は子孫繁栄の大前提だ。
そもそもまともに戦えなかったり動きの鈍い者は、育つ途中で早々に海の生き物に喰われるか事故で死んでしまう。過酷な環境で生き延びた者は、丈夫で強い者だけである。
「なるほどね。お前がやたら強いのはそういうわけか」
「私はナイフ使いはまあまあですが、一番得意なのは銛で大きな魚を仕留めることです。あ、銛を持って歩くべきですか? 組み立て式の銛を持ってきています」
「いや、それはやめなさい」
銛を持って歩く銀の髪の美しく若い娘。
ジーンは(ちょっと見てみたい)と思ったが、大人の良識が「やめろ」と強く訴えたので諦めた。




