36 灰色猫 グレ
「気づかなかったって、何に?」
「これはチルダみたいな大人の猫じゃないだろうが。ほんの子供じゃないか」
「えっ。だってチルダより大きい……」
「頭も体の割に大きいのに気づかなんだか?」
「俺、猫と触れ合うのはチルダが初めてで」
「私は生まれて初めての猫がチルダだし」
「おいおい。だから猫じゃない。手足が太すぎる。こんな脚の太い猫がいてたまるか。しかも足の裏を見ろ。砂の上を歩きやすいようにびっしり毛が生えておる」
「えーと。まさか砂漠猫じゃないよね?」
「ワシにもわからん。砂漠猫を見たことがないんだよ。絵も残されてない。わからんが、その可能性はある。しかしこの猫から砂漠の涙は無理だな」
「なんで?」
「文献によれば繰り返し砂が入って目が傷ついた時、それを治すために出てくるのが紫色の砂漠の涙だ。だからこの子が砂漠猫だとしても赤子じゃ分泌されんわい。わかるのは、これは砂漠生まれの砂漠育ちでかなり大きくなるってことだ」
夜になると灰色猫は女の子でよく食べると言うことがわかった。いったん食欲が出ると灰色子猫は猛烈に食べた。
チルダより少し大きいくらいの体格なのに三倍は食べる。山羊の乳を買ってきて人肌に温めるとどんぶり一杯分を一気に飲む。柔らかく煮た鶏肉を与えると手のひら大の肉を一気に食べる。
「おまえにも名前を付けようかな。砂漠に返すまではグレ、でいいかな」
灰色猫はイーファを見つめながらゆっくり二度瞬きをして、あとはグーグーグーと喉を鳴らし、椅子に腰掛けているイーファの脛にゴツンゴツンと頭を擦り付けてきた。だいぶ動けるようになった。回復し始めたら一気に体力を取り戻したようだ。
三人と二匹は再び先日と同じ砂の丘に居る。
ジーンが案内しチルダとイーファがワドルの後ろに付いた。グレは輪にした布に入れられ、イーファが赤ん坊用のスリングのようにして胸の前に抱いている。まだ長い距離は歩けない。
ワドルは穴の前に立ち、地図を眺め
「やはり知らない水場だ。報告せにゃならん」
と呟く。
「中に入るならヒル除けの薬草を全身にすり込まないと危険ですよ」
「用意してあるわい」
「さっすがワドルさん。伊達に年取ってないわね」
「お前さんはひと言余計だ」
イーファとチルダとグレは入り口で留守番と見張りだ。
洞窟を進んでいるワドルはとある可能性を考えていた。入口を隠すような物がこの中に在るとすれば、百年以上前にこの辺りで掘り尽くしたと言われるミスリルである。
今日は松明を用意して来た。ワドルは更に小さなハンマーとタガネも持って来た。
やがてワドルの足が止まる。松明を壁に近づけて、顔も近づけてじっくり観察すると、ジーンに自分の松明を持たせてハンマーとタガネで壁を削り始めた。
「どうですか?何か有りそうですか?」
「ああ。やはりミスリルだ。こんな剥き出しの壁面にミスリルとは珍しい」
「ミスリル……」
「お前さんたちはミスリル鉱脈の発見者だ。豪勢な家の一軒や二軒、手に入れられるぞ。明日には調査隊を連れて来にゃならん」
イーファはワドルの知らせを聞いても「そうなの」と言うくらいでたいして喜んでいるようには見えなかった。相変わらず欲が無い。
「それよりオカリナを吹くから、二人とも小瓶の用意はいい?」
そう言ってイーファは地面に腰を下ろし、チルダとグレを自分の両脇に座らせてオカリナを吹き始めた。
(それよりって。金銀財宝で動かない種類の人間だとは思っていたが、この娘も男も欲が無さすぎるわい。まあ、男の方は裕福な貴族の生まれ育ちのように見えるがな)
ワドルのそんな気持ちを知らず、イーファがオカリナを吹く。
今回も砂漠ネズミが一番乗り。次に小柄な砂漠狐。三番手は砂モグラ。
ワドルがワクワクして動物たちを眺めていると上空を大きく旋回しながらハゲタカも飛んで来た。
三曲吹き終え、ひと息入れているイーファが「次は何にしようかな」と独り言を言っていると、大人しく聴いていたグレが「アウッ!アウッ!アウッ!」と空に向かって鳴き始めた。確かにこれは猫の鳴き方ではない。
「どうしたの?グレ」
「アウッ!アウッ!」
グレが必死だ。
「イーファ、オカリナを吹け。あの大きい獣が来た!」
ジーンに言われてオカリナを吹くイーファが静かに立ち上がりジーンの見つめる方向に目を凝らす。
遠くの砂丘の上に大型獣のシルエットが見えた。黒い影は猫のような形だが、かなり大きい。
イーファは穏やかな曲を奏でる。大きな影は用心しているのかゆっくり近づいてくる。グレがまた鳴いた。
「アウッ!アウッ!」
すると黒い影のスピードが速くなった。次第に近づく大型の獣に思わずジーンとワドルが腰のナイフに手をやるが、イーファが目で止める。
「そうだった。ワドルさん、ナイフから手を離して下さい。俺と同じように殺気を消して穏やかな気持ちで」
「あんなのが来てるんだ、殺されるぞ」
「イーファのオカリナが鳴ってる間は殺されません」
「本当か?」
「約束します」
ワドルは大型獣の姿を見ながら警戒を解くのは無理と判断したらしく、ナイフから手を離した上に目も閉じた。
やがてシルエットだった大型獣がはっきりと見える距離まで近づいた。