35 洞窟の中で
ロウソクの頼りない灯りが風で揺らぐ。ジーンはなるべく広く照らすためにロウソクを高く掲げ持って進んでいる。
乾燥した砂漠の下だけれど、ここの空気には確かに湿気がある。進んでいくと次第にゴツゴツした壁と床も湿気でじっとりしていた。
「おーい、チルダァ!」
「ナーン」
(あと少しか)声の反響具合からチルダまで近いようだ。
やがてウネウネしたトンネルの奥にチルダらしき影が動いている。
「迎えに来たぞ。全く心配したじゃない、か……」
言葉が途切れたのはチルダの有り様を見たからだ。チルダは細く黒い紐のような物に絡まっていた。いや、絡め取られていた。
「ナァーン」
情けない声を出して助けを求めている。チルダを絡め取っているのは光の入らない場所で繁殖するモウハツヒルである。
口でチルダに食いつき、尻尾の方は床に張り付いているのでチルダは動けないでいる。
「今助けてやるからな。それにしてもお前、なんでこんな場所に」
言いかけて気づいた。もう一匹の猫が倒れていることに。
ナイフの腹でペシペシと軽く叩いたが動かない。死んだばかりなのか、骨が浮くほど痩せているが見た目は綺麗なままだった。
とりあえずジーンがチルダに食いついているヒルを一匹一匹切り、食らいついてる頭にロウソクの火を近づけると、吸血生物はチルダにくらいついている口を緩めてポタポタと土に落ちる。毛の表面が焦げる臭いが立ち込めたがチルダは大人しくしている。
十数匹を全部始末してチルダを抱こうとすると嫌がって「ナーオウ、ナーオウ」と鳴いて猫の死体をチラリと見る。
「残念ながらお仲間はもう死んでいるようだ」
そう言ってチルダを再び抱き上げようとすると、チルダは軽くその猫の死体の足に歯を立てた。
ピクリ、とその猫が動いた。
「生きてたか!」
ジーンが急いでその猫に絡みついているモウハツヒルを取り外しにかかった。
おそらく二十匹以上絡み付き血を吸っていたモウハツヒルを全部退治する頃にはジーンまで三箇所ほどヒルに食らいつかれた跡が残った。
チルダより少し大きい体格の猫は体温も低く、ガリガリに痩せていて、声を出す力も頭を持ち上げる力も無くぐったりと抱かれるままだ。
「行くぞチルダ」
「ナン!」
チルダは尻尾をピンと高く掲げて自分から先に出口へと向かった。
「チルダ!無事だったのね!あら?ジーン、その子は?」
先にぐんにゃりしてる猫をイーファに手渡し、四つん這いでトンネルから這い出したジーンがことの次第を説明する間も、イーファは甲斐甲斐しく猫の世話を焼いていた。
ヒルが剥がれ落ちたせいであちこちに血が付いている灰色の猫を抱き、水筒の水を含ませたハンカチで猫の口にポタポタと水を垂らす。
手足をさすり、それでも動かないので自分のシャツの中、肌直接の懐に入れて体温で温めながら帰途についた。
そこから二時間以上歩き、馬車に乗り、翌日の日が暮れる頃帰宅してもイーファの看病は続いた。
瓶にお湯を入れ、猫と一緒に毛布で包み、唇に薄い砂糖湯を垂らした。洞窟を出てからもう一日半が経っていた。
「ジーン、この子、どうしても動かない」
涙を溜めて見上げるイーファにいたたまれず、ジーンがイーファを抱きしめた。
「イーファはよくやったよ。この子も頑張った。誰も悪くない。泣きたかったら好きなだけ泣くといい」
ヒーと細い声で泣くイーファを抱きしめながら片手で頭を撫でて慰めるジーンが、猫に目をやると、チルダが毛布の中に一緒に潜り込み、せっせと灰色の猫を舐めていた。
(チルダは諦めてないのか)とチルダの情の厚さにホロリとしていると、舐められている灰色猫の耳がピクリと動いた。
「イーファ!今あの猫の耳が動いたぞ!」
「なんですって!」
イーファがジーンを突き飛ばすようにして猫たちの方へと走ってジーンが苦笑する。
「猫ちゃん!生きてる?生きてるの?」
イーファが呼びかけると今度ははっきりと耳を動かした。
再びイーファは瓶のお湯を取り替え、猫の体をさすり、話しかけ、口にお湯を垂らしている。
ついに猫は口を開けて血の気の失せた舌でペロリとお湯を舐めた。イーファが嬉し泣きをし、ジーンが安堵し、チルダは安心して丸まって眠りについた。
朝になり、隣の大家のワドルが話を聞きに来た頃には灰色猫はうずくまったまま頭を上げて鶏肉を茹でたスープを飲み、細かく解した胸肉をチビチビ食べるところまで回復していた。今は満腹して毛布にくるまれて眠っている。
「そうか。水場を見つけて猫も拾ったか。それにしてもそんな場所に水場が有ったとは。この国に生まれて七十二年になるが、そんな水場は知らんかったな」
ワドルは出された茶を飲みながら首を傾げていた。
「なぜか入口を石で隠していましたよ」
「それだよ。砂漠で水場を隠すことは人を見殺しにするのと同じだというのに」
ワドルはしばらく思案していたが、ジーンをまっすぐに見てこう切り出した。
「砂漠猫ももちろんじゃが、知られていない水場があるなら場所を確かめて隊商の連絡所に知らせねばならん。今度行くときはワシも連れて行ってもらえんだろうか?」
「この猫ちゃんをもう少し回復させてからになるけど、行きましょう」
「だけど、この子はどうしようかしら。砂漠の生まれ育ちなら戻してやりたいけど、たまたま迷子で隊商の馬車にでも乗ってあそこまで入り込んでいたのならこのまま町で暮らす方が幸せかもしれないし」
「どれ、足の裏を見せてごらん。それで砂漠の生まれか町の生まれかわかるじゃろ」
ワドルはそう言って満腹して毛布にくるまって眠る灰色猫の毛布をめくった。
そしてしばらく検分すると、呆れたような顔で首を回して二人を振り返ると
「お前たち、二日も看病していて、これに気づかなかったのか?」
と小声で言うのだった。