33 砂漠猫を探して
「太古の言い伝えによれば、砂漠猫の涙を一度飲めば石化の病の進行は止まり、二回飲めば症状が改善し始めると言う話だけどね」
「砂漠猫がいないのですか?」
イーファが残念そうに聞く。
「おそらくは。もう何十年も誰も姿を見ていないんだ。神経質な猫だから、帝国が大きくなり、人が増えて砂漠を通る隊商も増えたからね、他の国に逃げたか絶滅したか」
「あれ?何十年も姿を見せない?絶滅?ジーン、どこかで同じこと聞かなかった?」
「黒毛大猿だろ?」
「あー。それよ。だめで元々だから試してみようか?ジーンも殺気を消して動物に触れるようになったし。私がオカリナを吹いてジーンが涙を集めればいいのでは?」
二人でだけ通じる話をしていると、ワドルがたまらず割り込んできた。
「わしたちにもわかるように説明せんか」
「あっ。申し訳ない。では説明します」
ジーンが森の町ナーシャでの出来事を説明した。絶滅したと思われてた黒毛大猿が現れてイーファに懐いたことや、湖の町ソトナでは巨大な魚に執着されたことを。
「なんだと。あの厄災を告げる黒毛大猿が現れたと。巨大魚もか」
「私はなぜか動物を引き寄せるらしくて」
「らしくてって、お前。もしかしたら……」
「あんまり期待されると困るけど、もしかしたら砂漠猫も現れないかなーって」
ふと王子を見ると王子は微かな望みを見たような顔をしていた。これは少しまずいかも、とイーファは慌てた。
「王子様、砂漠猫が絶滅していたら無理ですし、いたとしても砂漠は広いから出会えないかもしれませんし」
「ああ、わかっているさ。空の月がこの手に落ちてくるくらいの期待しかしてないさ」
優しく笑う王子様を見ると、胸が詰まるイーファである。
「では、空の月が落ちてくるか来ないか、くらいの気持ちで試してみます」
「ああ、そうしてくれ。砂漠猫が現れなくても、また楽しい話が聞けるだけでもいいさ」
「砂漠猫が見つかるかどうかわからないし、涙を採取出来るかどうかもわからないけど、とりあえず行ってきます!」
イーファはそう言うと長い布で髪と顔を隠して目だけの姿でジーンと共に王子の部屋を出た。
ドアの外はザワザワしていた。行き交う使用人や護衛たちが口々に「鳥が」「オオワシまで」と、中庭や王子の部屋のベランダに沢山の野鳥が集まったことを興奮して喋っていた。
人々の間をすり抜けて、イーファたちは家へと帰った。
そして今、ジーンとイーファはアルズール帝国の西の端のアルズール砂漠にいた。そして猫のチルダも一緒だ。
「今回は大切な役目があるから」とチルダを置いて来ようとしたが、いつもは聞き分けのいいチルダが言うことを聞かず、(絶対に一緒に行く!)とするりするりと腕を抜けて馬車に乗って来た。
仕方なくチルダを連れて砂漠の入り口まで来たが、ここからは徒歩だ。チルダはスタスタと先頭を歩き『早くおいで』と言うように振り返る。
歩き始めるときにジーンが注意をした。
「イーファ、ここの砂漠は『旅人喰らいの木』が生えているらしいから倒木を避けて歩くんだよ」
「それはどんな生き物?」
「日中は砂の中に倒れているかのように横になって日差しから身を守り、夜になると直立して枝葉を広げ、夜露を吸収する木なんだ。昼間に倒木だと勘違いして旅人が腰かけたり踏んだりすると、その部分から鉤状の棘が現れて獲物を捕らえるんだ」
「刺さるの?」
「刺して滴った血液を養分にするのさ」
「陸の生き物は頭脳派ね」
そう言いつつ足を踏み出そうとして急いで避けた。足元にある人の頭くらいの大きさの石が、ほんのわずか動いた気がした。
近くに落ちていた小石を拾ってその大きな石に力いっぱい投げつけた。すると……
バシュッ!
大きな石に見えた物が二つに割れて投げつけた石を飲み込んだ。しかしすぐに食べ物でないと判断したらしく二つに割れた白っぽい物は石を吐き出して再び石に擬態して砂に半分埋まり動かなくなった。
「砂漠二枚貝だ。よく気がついたね」
「貝?これ、貝なの?」
「二枚貝のような形だけど、実際は虫の仲間さ。硬い殻を使って動物の手足を挟んで少しずつ食いちぎる危ないやつだ」
イーファは海の奇妙奇天烈な生き物を沢山知っていたが、砂漠の生き物のことはほとんど知らない。
(みんな生き残るのに必死なんだわ)と、怖さよりも感心する方が先に立つ。楽天的な性格は健在だ。
二時間ほど歩いたろうか。
この辺りで一番高い砂丘に登り、よく周囲を調べてから腰を下ろした。
ジーンはガラスの瓶を片手に準備する。チルダはジーンの肩にバランスを取って座っている。
イーファはリュックからオカリナを取り出して構えると、静かに吹き始めた。
低く長くオカリナの音が砂漠に流れる。
一番最初に姿を見せたのは沢山の数珠ネズミ。親ネズミの尻尾に子ネズミが数珠のように連なって一列で近寄ってくる。
数珠ネズミの親子はあちこちで立ち止まり、ある程度近くまで来ると鼻をヒクヒクさせながら音色を聴いている。
次に現れたのは砂モグラ。砂漠の表面をモコモコと盛り上げながら寄ってきて、手が届かないけれど音はよく聞こえる場所に陣取った。いろんな方向から集まっているらしく、イーファたちを取り囲むように放射線状にモコモコした線が砂の上に引かれている。
なかなか猫らしい姿は見当たらない。それでもイーファはオカリナを吹き続けた。
突然、チルダがジーンの肩で身を起こした。
「痛いよチルダ、爪を立てるな」
小声で注意するジーンが横を向くと、肩の上に立ったチルダの背中の毛が少しだけ逆立っていた。