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海の娘と砂漠の男と猫の旅  作者: 守雨


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32 ベラード王子の部屋に     

 人払いをされて四人だけになったベラード王子の部屋に、オカリナの音色が響く。


(なるほど。退屈している私のためにオカリナが得意な娘を連れて来たか。ワドルも風流なことをする)


 王子が老いた元教育係の思いやりを嬉しく思っていると、二階のこの部屋の窓の外に動くものがある。

 まだ自由に動く首を動かすと、窓の外、テラスの手すりに青い春告げ鳥がツガイで止まっていた。


(おお、野鳥が聴きに来たか! なんと珍しい)


 微笑んで小さな野鳥の夫婦を見ていると、次から次へと鳥が飛んで来て手すりに止まる。


(これは……)


 オカリナの曲は静かで穏やかな調べから変わって陽気な曲調に変わった。

 そのうち、二階の部屋から見える背の高い千年杉の枝に、バサバサと羽ばたいて大きな鳥が一羽飛んできた。


(あれはオオワシではないか。こんな都の真ん中にオオワシが来るなど聞いたこともない!)


 気づけばテラスの手すりは大小色とりどりの野鳥たちが押し合いへし合いして集まっていた。

 止まる場所がなくておずおずと部屋の中に入って床に降りる鳥、テーブルの上、飾り棚の上、しまいにはベラード王子のベッドサイドテーブルの上にも野鳥たちが降りて来る。

 最初に飛んできた青い春告げ鳥は手すりで目をつぶり身体を揺らして聴き入っている。


(これは奇跡か? それとも夢か?)


 銀色の美しい髪の娘は、細い体ですっくと立ってオカリナを奏でながら、小鳥たちに微笑みかけている。その姿のなんと美しいことか。

 ジーンと自己紹介していた屈強な男が静かに動き出した。


(今動いたら鳥たちが逃げてしまう!)


 そう思ったが、声を出せば自分もこの奇跡を壊しそうで躊躇われる。

 しかし鳥たちは逃げず、そーっと男が腕を伸ばすとぎゅうぎゅう詰めの手すりから一羽、また一羽と男の肩や腕、頭に飛び移って、そのままオカリナに聞き惚れている。


 もしやと思い、ベラードも重い腕を必死に動かしてベッド脇のテーブルに手のひらを乗せてみた。

 胸が赤い小鳥がチョンチョンと跳ねながら近づいて、ベラードの手に乗った。こんなことは生まれて初めてだ。


 手のひらに乗る小鳥のなんと軽いこと、華奢な足のなんと温かいこと。

 毎日寝て食べて寝るだけの生活で、楽しみといえば元教育係が聞かせてくれる遠くの土地の話だけだった。

 このまま命が燃え尽きるのを待つだけの人生になんの価値が有るのかと繰り返し思っていたが、今は(生きていると、こんな楽しいこともあるのだな)と思う。


 ワドルの思いやりも、ワドルの求めに応じて訪ねてくれた二人にも、絶望しかなかった部屋に集まってくれた鳥たちにも、感謝の思いが込み上げる。ベラードは思わず知らず泣いていた。

 動けば手のひらの小鳥を驚かせてしまうと、ベラードは顔を隠すことも涙を拭うこともせず、流れ落ちる涙をそのままに泣き続けた。


 やがて静かにオカリナの音が終わった。

 聴き入っていた鳥たちは来た時のように少しずつ去っていく。千年杉にいたオオワシもゆったりと飛び去った。


 ベラードの手のひらにいた赤い鳥は、ピョン、と王子の腹の辺りに移動して、王子の顔を見ながら首を左右に傾け、『ツイツイ!』と鳴いてから飛んでいった。

 ベラードはやっと涙を拭き、イーファに礼を述べた。


「イーファよ、素晴らしい経験をさせてくれてありがとう。生きていても仕方のない体と思いながら日々を過ごして来たが、今、生きてて良かったと思ったよ。生きていればこんな楽しいこともあるのだな」


 それを聞いてワドルが鼻をすすり目を拭う。


「喜んでいただけて良かったです。今日はお招きいただき、ありがとうございました!」


 ぺこりとお辞儀をして部屋から出ようとするイーファをワドルが止めた。


「待たんか、こら。一人で満足して帰るな。今から褒美の時間だ!」


 振り返ったイーファが「オカリナを吹いただけでご褒美なんて大げさよ。王子様に喜んでもらったら、それで十分」と言い返す。


「そう言うな。私もこのまま帰られては残念だ。せめて茶を飲むくらい付き合ってくれないか」

「そうだぞ、イーファ。茶を飲んでから帰りなさい」


 王子が微笑んでいる。苦笑しているるジーンにも促されて席に着くと、ワドルがポンポンと手を叩いた。すぐにワゴンを押して侍女たちがお茶とお菓子を運んで来た。


「わあ。こんなすごいお茶会は初めてです」


 大きなテーブルに次々並べられる繊細な菓子類、少しずつ摘めるような肉や野菜。果物は美しく飾り切りされ、各人の前に何種類も並べられる。


「イーファ、草原ではどんな動物が集まるの?」

「紅狐や草原ネズミ、草原山羊、ネズミ、いろいろです。海の上でオカリナを吹くと、イルカや鯨、シャチが聴きに集まります」

「ふう……僕も見てみたいなあ。鯨まで聴きに来るのか。まこと夢の世界だ」


 王子はうっとりした顔でつぶやいた。


「王子様も馬車で横になって草原まで行けたらいいのですが」


 気軽に言うイーファをジーンが慌てて遮った。


「だめだよイーファ。王子様が王都の壁の外に出るのは大変なんだ」

「薬が有ればいいんだが、こればかりはどんなに金銀財宝を積んでも手に入らない薬なんだよ」


 王子は悟った人のように微笑む。

 イーファは眉尻を下げ、声を小さくした。


「古の記録によれば薬はあるのだけど、誰も手に入れられないから、ないのと同じかな」

「手に入れられないって、どうしてですか?」


 イーファが真顔で尋ねた。


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