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海の娘と砂漠の男と猫の旅  作者: 守雨


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30 元教育係     

 イーファたちが大家のワドルと食事をし、話を聞かせた翌朝。

 ワドルの家に目立たない格好をした一人の中年の女性が入った。


「ワドル様、おはようございます。昨夜は楽しいお話が聞けましたか?」

「ああ、ニーナ、料理をありがとう。助かったよ。話は聞けたとも。久しぶりに笑ったわい」

「それはようございました」


 会話をしながらもニーナは手早く家の中を片付けて行く。夕食の洗い物が済ませてあるのを見て(あらまあ。今回の店子はちゃんとした人達ね)と感心している。

 ワドルは忘れないうちに、と昨夜聞いた話を紙に書き綴っている。


「ベラード様もワドル様のお話を楽しみにしてましたよ」

「そうか。早速今日お邪魔するよ。ベラード様のお加減はどうだい?」


 ニーナは小さく首を横に振った。


「少しずつ手足の先から硬くなっています」

「そうか。なんともむごい病だよ。あの薬さえ手に入れば進行だけは止められると言うが」

「砂漠猫の涙、ですよね。数がもうほとんどいない上に生きた状態で取り出さなければならないのはなんとも……」


 砂漠猫の涙と言うのは、正確には涙とは少し違う。砂漠の砂で傷ついた目の表面を修復するために、猫の目の近くから分泌される薄紫色の液体のことだ。

 リラックスしている時しか分泌されないため、捕獲して採取しようとしても緊張したり恐怖を感じていると分泌されない。手に入れるのが難しい。人馴れしない臆病さもあって、幻の薬である。


 ワドルとニーナが話題にしているベラードとは、ここアルズール帝国の第一王子のことだ。数万人に一人と言われる難病で少しずつ体の末端から硬くなっていき、心臓や肺、消化器官まで硬くなると命が失われる。

 現在のベラードは全ての指が動かなくなり、手首足首も動きが悪く、一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。


「まだ二十歳だと言うのに、むごいことよ。わしの寿命を譲れるものなら全部譲り渡してやりたいさ」


 ワドルの目が潤み、ニーナもつられて目を赤くする。


「せめて楽しい話をお聞かせして笑ってもらおうじゃないか」

「ええ、ええ。きっとお喜びになりますよ」


 ワドルはベラードの元教育係だ。高齢になり引退した今も、ベラード王子のことを忘れた日はない。ヨチヨチ歩きの頃からずっとそばでその成長を見てきた王子は、もはや我が子か孫のようだ。



 その頃、ジーンとイーファは森で薬草を採取していた。首都ズッカの南にある森は深く、薬草類が豊富に生えている。


「薬草は依頼された数、全部揃ったわ」

「イーファは採取が早くなったなぁ。俺の方は虹色鳥があと一羽だ」


 そう答えるジーンの腰には虹色に輝く冠毛を持つ中型の鳥が三羽ぶら下がっている。


「私が血抜きしておこうか?」

「そうだな、頼む」


 ジーンから虹色鳥を受け取り、手早く首にナイフを当てて血抜きを始めるイーファ。鳥の両足を縛って木の枝に吊るし、血抜きをしながらジーンを待っていた。

 ジーンが戻ってくると、イーファが鳥を吊るした木から少し離れた場所で三匹のリスとおしゃべりしていた。


「今年の木の実の実り具合はどう?」


 もちろんリスたちは返事をせず、黒いつぶらな目でイーファを見つめるだけだが、イーファはまた話しかける。


「私たち、鳥を捕まえたけど、あなたたちには手を出さないから安心してね」


 そう言いながらリスのいる枝に向かって腕を伸ばす。リスたちは迷う風もなくイーファの指から腕を伝い、彼女の頭や肩に移動してくるくる動いて遊んでいる。

 ジーンはこの手の場面を何度も見ているが、何度見ても奇跡だと思う。奇跡を邪魔してはならない気がして、いつもジッと動かず声を出さず、動物たちが満足するまで待っている。

 やがてリスたちは満足したらしく、連れ立って去って行った。


「あら、ジーン。いたのね」

「女神様と動物の触れ合いを邪魔しちゃ悪いからね」

「女神様って」


 イーファは苦笑するが、ジーンには本気でそう思っている。


「今度、ジーンも、やってみるといいわよ」

「俺? 無理だろう。逃げられるさ」

「ううん。私と一緒にいて殺気を消せば大丈夫だと思う。船村の私の友達も出来たもの」

「殺気を消す、ねぇ。俺はそんなに殺気を放ってるか?」


 イーファがチラリとジーンを見た。


「うん。放ってる。私と外にいる時、いつもどこか警戒しているでしょう。私を守ろうとして」

「そりゃそうだよ」

「今度、私のことを守ろうとするのは忘れてリラックスしてみて。そうしたら動物たちも寄ってくるわ」

「まあ、安全そうな時に試してみるよ」

「今夜試してみない? 今日はたしか満月よ。夜、草が生えていそうな場所まで出かけて、オカリナを吹く。何か寄って来たら殺気を消すのを試してみてよ」

「ああ、いいよ」


 夜、イーファが森で捕まえたツノウサギでシチューを作り、「お裾分けしてくる」と隣のワドルに持って行き、「ついでにワドルさんも誘ってきた」と笑顔で報告した。


 食事を終え、月が昇り始めた頃合いを見てジーン、イーファ、ワドル、チルダの三人と一匹は、馬車で王都の門を出た。


「昨日の今日でまた何か楽しませてくれるのかい?」


 ワドルはニコニコしている。


「多分、驚くような景色が見られますよ」


 そう答えてジーンが笑う。


「ズッカで試すのは初めてだから、どうなるかわからないけどね」


 イーファも笑顔だ。

 やがて月が高く昇り、王都の外の平原が青白い光で明るく照らされる。

 イーファが馬車の荷台に腰掛けてオカリナを吹き始めた。



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