28 貸家の条件
大家の老人は、二人を眺めながら穏やかな表情だ。気難しい人には見えない。
「そうか、あんたら、この家が気に入ったかい」
「はい。是非貸してもらいたい」
「この家をかりるには、条件があるのは聞いているかね?」
「はい。でもどんな条件かは、まだ」
すると老人が少し首を傾けて条件を教えてくれた。
「話が聞きたいんだよ。ワシは膝が悪くてもう遠くには出かけられん。この小さな家から離れられんのだ。だから冒険者や旅人に安く家を貸す代わりに、遠い土地の話を聞かせて貰いたいんだ。しかしそれがなかなか難しくてな」
「それは毎日ってことですか?」
ジーンの質問に、老人が苦笑する。
「そんな贅沢は言わん。週に一度話をしてもらえれば十分だ。残りの六日間は聞いた話を思い浮かべたり次の話を楽しみにしたりして待つよ。だが、話がつまらなければその月で契約は終わりにする。それでいいかい?」
「それならひと月に四つお話をすればいいのね。私、自信があるわ」
笑顔で断言するイーファに、ジーンが少し慌てた。
「えーと、イーファ、そんな自信満々に約束して大丈夫……大丈夫だな。お前の場合、話すことはたっぷりありそうだ」
「おお、そうか。それでは契約しよう。ひと月で大銀貨二枚だが、大丈夫かい?」
それは相場の半額だ。
「ええ! それでお願いします! やったわね、ジーン。チルダ、あなたのおうちが決まったわよ! あ、猫も大丈夫ですか?」
「ああ、いいとも」
老人が笑って許可をくれた。
ジーンが大銀貨を二枚払うと、老人は「ワシの名はワドルだ」と言いながら簡単な契約書を差し出した。
ジーンとイーファがそれぞれ名を名乗ってからサインを済ませ、契約は完了だ。
貸家は清潔に手入れが行き届いていて、家具は質素ながらもひと通り揃っている。
「ジーン、見て! お風呂がある!バラ風呂に入れるわよ!」
「あ、ああ、バラ風呂が好きだったな」
あの日、バラの香りと若い女性の甘い香りに惑わされた。イーファを思わず抱き締めそうになったことを思い出してジーンの目が泳ぐ。
「あんたたち、夫婦じゃなさそうだが、寝室がひとつで良かったのかい?」
「ええ、大丈夫よ。今までだってずっとひと部屋で泊まっていたもの」
「そうかい。そりゃ難儀なことだな、お兄さん」
そう言って肩をポンと叩かれ、ジーンが苦笑する。
「シーツの替えは一枚しかないが、もっと必要かい?」
「いいえ。自分で洗濯するから大丈夫。わあ! 可愛い食器も有るんですね」
「台所道具もひと通り揃ってる。じゃあ、早速で悪いが、今夜にも話を聞かせてくれるかい? お礼に夕飯をご馳走しよう」
「ありがとうワドルさん! では私たちは仕事を終えてから夜にお邪魔しますね!」
家主のワドルさんは後ろ向きで手をヒラヒラさせて帰って行った。
「さあ!仕事に行きましょう?」
「ずいぶんご機嫌なんだな」
「だって私、自分の家に住むのは船村を出て以来初めてなんだもの」
「そうか。そうだったな。ま、俺も同じだけどな」
ふとジーンは、こんな狭い貸家でこんなに喜ぶイーファになんとも言えないいじらしさを感じる。
(もっと広い家に住まわせてやりたいものだ)と思うが、果たしてそれでイーファが満足するかは疑問だ。ではイーファの喜ぶことはなんだろうか、と思う。
「俺、今夜のイーファの話が楽しみだよ」
「あら。今更?」
「俺たち、お互いのことをあんまり話してないよな?」
「そう言えばそうね。なんとなくジーンの話は聞いちゃいけない気がしてたから」
「俺もだ。この家に腰を落ち着けたのは、俺たちのためにもいいことだったかもしれないな」
「そうね」
涼しげに微笑むイーファがチルダを床に下ろした。
チルダはあちこちの匂いを嗅いで回り、ヒョイとベッドに飛び乗ると毛繕いをしてから丸くなった。
「チルダ、窓を少し開けておくから、トイレは外でね。家を汚しちゃダメよ?」
イーファが注意すると、チルダはチラリと流し目をくれて『そんなことはわかってる』と言うように「ナー」とひと声返事をして目を閉じた。
すぐにイーファとジーンは馬車で森に向かった。最近は森に一番近そうな民家にお金を払って馬車を預け、帰りに引き取って帰ることにしている。預けた家の人間に冒険者の馬車をどうこうする人はいない。ギルドが黙っていないし冒険者には荒くれ者も多いからだ。
歩いて森に入り、目についた薬草を摘んだり縞緑蛇やツノウサギを捕まえたりして、順調に仕事を進めていた。突然イーファが「水の匂いがする」と言い出し、クンクンしながら奥に進んで行く。
「イーファ、俺からあまり離れるな。初めて来た森なんだから」
そう言いながらジーンもついて行くが、イーファの足が速い。
イーファは水の誘惑にいつも負ける。砂漠育ちの自分も水場は癒されるが、イーファの場合は誘惑されて引き寄せられているかのようだ。あんな風でいて今まで無事に生きて来られたのは素晴らしい身体能力のおかげに違いない。
(いつか二人で落ち着いて住むなら水のある所を選んでやりたい)と思う。最近のジーンはイーファに対する自分の気持ちに正直だ。
ジーンは(まあ、急ぐ必要はない。いつかそのうちにちゃんと伝えよう)と思っている。
何しろ今は追放されて何の制約も無い身の上の二人だ。
そんなのんびりしたジーンの考えを吹っ飛ばすように、イーファの声がした。
「ジーン! 来て! 早く!」
声を抑えてはいるから何か見つけたようだ。反射的に走り出したジーンが枝をかき分けてそこに着くと、イーファがこんもりした落ち葉をかき分けて何かの卵をニコニコと眺めている。卵は結構大きく、十個ほどもある。
いや待て。落ち葉をかけて保温するのは蛇やトカゲに多いはず。しかも卵があの大きさ。
「おい、イーファ、すぐにそこから離れろ。それはまずいかもしれない」
イーファがスッと立ち上がり辺りを見回すと、ジャーッ! と威嚇の声を出しながら大型のトカゲが現れた。




