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海の娘と砂漠の男と猫の旅  作者: 守雨


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25 対決の行方     

 イーファは逃げられるギリギリの距離まで『ソレ』に向かって泳いだ。

 『ソレ』は泳ぎながら口を開き、いったん限界まで開くと関節が前にずれた。折りたたまれていた蛇腹の顎は更に角度を大きく開いた。その口はもう、イーファを頭から飲み込める大きさだ。


 巨大な口を見ながら、イーファは(まだ、まだよ、まだ……今!)と自分に叫んだ。

 全身のバネを使って石化けを塗ったもりを『ソレ』の口の中目掛けて投げた。


 真っ直ぐ投げられたはずの銛は『それ』が体を捻って起こした波に煽られてわずかに進路を変えられ、口の脇、鎧のような硬い皮に弾かれた。

 空気を求めてイーファが水面を目指す。それを追いかけて巨大な灰色の『ソレ』が方向を変える。


「させるかっ!」


 若い漁師たちがヤスや銛や杭を上から振りかぶって次々に投げる。

 

 しかし投げ込まれたそれらは『それ』に当たっても分厚く硬いよろいのような皮に阻まれ、白い傷が出来るだけだった。


「くそ!皮が硬くて刺さらねえ!」


 コルビーが呻く。

 マイクは一連の様子を船の上から見ていたが、意を決すると自分の体に縄を結びつけ、若い漁師たちが乗る船に声をかけた。


「頼む!この縄の端を持っていてくれ!」


 そう言って彼らの船が近寄ると縄を放った。

 受け取った漁師たちが「まかせろ! いざとなったら全力で引く!」と叫ぶ。それを聞いて片手を挙げると、現役時代の愛用の槍を手にして水に飛び込んだ。槍にはヒソヒソの毒と松脂まつやにを練った物が塗られている。松脂がヒソヒソの毒が拡散するのを防いでくれる。はず。


 マイクは『ソレ』に向かう。上半身が鎧に覆われていても排泄腔とその周辺は普通の魚と変わらないはずだ。マイクはそこを狙っている。

 イーファを追いかけて泳ぐ『ソレ』の下に、横から潜り込むようにして近づくマイクに、水面から戻ってきたイーファが気付く。


(危ない。今近寄っちゃだめ!)


 イーファが急いでマイクに近寄った。

 しかしマイクにイーファが近づく前に、『ソレ』がぐるりと体を回してマイクに向かい口を開けた。


 『ソレ』の起こす水の流れに煽られて、マイクの体が大きく振られる。ゴボリと空気を吐き出したマイクの顔が歪んだ。

 イーファはグンとスピードを上げてマイクに泳ぎ寄り、マイクの手から槍をもぎ取った。

(何をする!)と目を見開くマイクにニコッと笑いかけ、イーファは『ソレ』を目指してマイクから離れた。


 若い漁師たちが縄を引き、マイクも泳いで浮かび上がると、空気を求めて喘いだ。


「イーファ、どうするつもりなんだ」


 船につかまって振り返るマイクには、もうイーファの姿が見えなかった。

 イーファはマイクからもぎ取った槍で相手の大きな目を狙って全力で突いた。

 今度は逸れず、ヒソヒソを塗った槍が深々と黒い大きな目に刺さった。


 人間ならたちまち呼吸が出来なくなるヒソヒソの毒だったが、『それ』はもがき暴れるものの息絶える気配はない。


(毒が効かない?)


 暴れる獲物が体勢を立て直し、片目に槍が刺さったまま再びイーファを追いかけてきた。

 イーファは岸近くに広げられた網に相手を誘導するため、『ソレ』の前を全力で網に向かって泳いだ。

 興奮した『ソレ』のスピードは速く、歪んだ包丁のような歯がどんどん迫る。


(速い!)


 背後の『ソレ』がまたしても口を開ける。

 もう噛みつかれる! というタイミングでイーファは水中から飛び出した。全身の力で網を飛び越えて網の向こう側の水に戻る。イルカそっくりの動きだった。


 イーファのすぐ後ろで、バクッと口が閉じる音がした。

 速度が乗っている『ソレ』は、そのままの勢いで頭から網に突っ込んだ。網がUの字に大きくたわむ。

 網の両端にいる冒険者たちが網に結んである縄を掴んで踏ん張って堪えるが、『ソレ』が暴れる勢いでズルズルと湖に向かって引っ張られる。


「網に絡まる様子がない!このままだとヤツに逃げられる!」


 コルビーは岸にいる冒険者たちに向かって怒鳴った。


「縄を矢に結んで反対側に向かって打て!」


 コルビーの怒鳴り声を聞いた冒険者の一人が、手早く網の端に続く縄に縄を結んで大弓で射る。

 矢は向こう側で網を引く仲間の近くにパシャリと落ちた。矢と縄を拾い上げた冒険者が、素早く手近な樹に縄を結び付けた。

 網が二つ折りになり、『ソレ』を包む形になった網を、全員が引っ張った。


 『ソレ』は急に自分を取り囲んだ網の存在に気付き、灰色の巨体で激しく暴れだした。

 二手に分かれていた冒険者たちが一箇所に集まり、全力で網を引く。浅瀬にまで引っ張られた『ソレ』がひときわ大きく跳ねると、耐えかねた網の一箇所がブツリと切れ、皆が息を飲んだ。


「逃がすか!」


 ジーンが浅瀬に走り込んで無事な方の目に槍を打ち込んだ。ギルド長とコルビーが鎧のない腹部に銛を深々と打ち込んだ。

 両眼と腹部に槍が刺さったまま、『ソレ』がイーファを求めて口を開け、バクンバクンと空を噛む。


 膝まで水に浸かっているイーファが長い銛を構えて『ソレ』に歩み寄り、開け閉めされる口の中へタイミングを見計らって銛を突き入れた。

 そのひと突きで『ソレ』の動きは急にゆっくりになり、皆の見守る中、最後にバクン! と口を閉じて槍を折ると、そのまま動かなくなった。


「やった!」

「やったぞ!」


 皆が叫ぶ中、イーファは『ソレ』に歩み寄り、濃い灰色の背に片手を置いて故郷の祈りを唱えた。


「水から生まれし者よ、水へ戻れ。勇敢に戦いし者よ、安らかに眠れ。お前の命を奪いし我らがお前のために祈り、送る」


 興奮していた人々もイーファの声に静まった。

 ジーンがイーファに駆け寄って抱きしめ、「よかった、イーファ、無事でよかった!」と繰り返したが、その指は震えていた。


 ギルド長がイーファたちに近寄り、「これで終わったな」と話しかけると、イーファがハッとした顔でギルド長に尋ねた。


「ギルド長、この魚のこと、王宮の動物管理課に報告しますか?」

 


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