20 ソトナ湖の中で
湖の町ソトナは居心地が良くて、イーファとジーンは楽しく冒険者暮らしをしている。
このままここに腰を落ち着けて暮らすのもいいなと話すこともある。まだ決定はしていない。
今日も魚を捕まえるために、イーファは水着を着込んで湖に来ている。水着は二枚しかないから、いずれ新しいのを縫わなくてはならない。
(ソトナ湖に、水着に使えそうな皮の魚がいるといいんだけど。根気よく探すしかないなぁ。ジーンは湖の仕事だと出番が無いことを気にしているかもしれない。気にしなくていいんだけど、ただ待っているのは退屈だろうなあ)
だから湖に向かう途中の森でも常時依頼の薬草や動物を手に入れることにしている。
馬車で森に入れる所まで行き、馬車は隠して馬を連れて湖に向かう。馬の名はルー。元の飼い主の悪党商人がなんと呼んでいたか、二人は知らない。
ソトナ湖は二本の川が流れ込んでいて、湖底からも水が湧いているとイーファは言う。深く潜っても淀んだ水独特の嫌な味はしないらしい。
二人は森で狩ったオオネズミを三匹、小角ウサギを二匹、薬草を十数本手に入れて湖岸に着いた。
イーファが湖に潜っている間は、ジーンが獲物の血抜きと内臓処理をして「内臓で魚が釣れないか試してみる」という段取りになっている。
湖で立ち泳ぎをしながら、イーファが何度も深呼吸を繰り返している。体の中に新鮮な血が行き渡ったのを感じてから、大きく息を吸ってチャプンと音を立てて水に潜る。
今日は深く潜りたかったので石を抱いている。ジーンがとても心配していたけど、「百八十、長くても二百を数える間に必ず戻る」と約束して石を抱え、潜った。縞黒鯛はこの時期深い場所にいるのだから。
潜れば潜るほど光は届かなくなって暗くなる。明るい上の方を魚の群れが影となって通り過ぎていく。
ほどほどの深さで抱いていた石を落として辺りを探すが、狙っている獲物はいなかった。
少し上に向かい、さっきより少しだけ浅い位置で魚を探した。
やがてお目当ての魚がいた。縞黒鯛。
いったん浮上して呼吸する。岸辺に目を向けると、ジーンがジッとこちらを見ていた。(私は大丈夫!)と手を振ってからまた潜った。
縞黒鯛たちが進んで行った方向に見当をつけて全力で泳ぐとすぐに追いついた。水かき手袋は本当に便利だ。
水着の内側から痺れ笛を取り出して鳴らす。痺れ笛は金属製で上下二つに分かれた筒を組み合わせたものだ。これを回すと耳障りな音が出る。水の中だと人間の耳にはほとんど聞こえないが、近くの魚はパニックを起こす。
縞黒鯛たちは瞬時にバラけてジグザグに逃げ惑うが、筒を回し続けているとやがて失神して動かなくなる。それを急いで網に入れるのだ。ボヤボヤしてると魚は意識を回復してしまう。
(縞黒鯛は五匹いた。上々だ。宿のご主人にも一匹分けてあげたい。引き返そう)
大ぶりな魚を五匹を網に入れて戻ってる途中のイーファが、何かに狙われてることを全身で感じ取った。
(どこ? どこにいる?)
腿に縛り付けていた鞘からナイフを抜く。網と魚はギリギリまで手放したくない。
ほんのわずかな気配。下から不快な『欲望』が感じられる。下を探り見た。
暗い湖底から何かが『欲望』を持ってこちらを見ているのを感じるが、暗くて姿は見えない。
(逃げよう! ぐずぐずしてたら食われる)
全力で湖岸を目指した。
網の口は全開にして魚を逃し、身軽になった。相手は少しだけ追ってきたが、すぐに気配が消えた。
(それほど空腹ではなかったのか。よかった)
獲物として追われたのは久しぶりだ。
岸に戻るとジーンが駆け寄って来た。
「そんな顔して、何があった?」
「なにも」
「おい、イーファ」
「何もなかった。ただ……」
「なに?」
「欲望を感じたから逃げて来た」
「欲望?」
「たぶん食欲? 少しだけ追われた、かも」
そこからはジーンが無口だ。
互いに相手の考えてることがわかってるから言葉にしないが、それがイーファには余計に気を遣う。
ギルドに行って森の獲物を納め、宿に帰って食事をして、お風呂に入ってもまだジーンが無口である。
イーファはだんだん腹が立ってきた。
だからイーファから口を開くことにした。
「ジーン。私は水に潜るのはやめないわ」
「わかってるさ」
「でも潜ってほしくないって思っているんでしょう?」
「俺が心の中でイーファを心配するのもダメだって言うのか?」
イーファはジーンの前で腰に手を当てて静かに話を続ける。
「ダメじゃないわ。ジーンが全身からイライラした空気を出さなければね。盛大にそんな空気を撒き散らしてるのに、『言葉には出してない』って言うのはずるいと思う」
ジーンがイーファを見て二度瞬きした。
「ああ、なるほど。悪かった。確かにそうだ。態度で伝わっていたら口で言ってるのと同じだな。すまない」
そんなにあっさり認めると思わなくて、イーファが驚く。
「ジーン、私は水の中が好き。船村は陸に比べたら厳しい暮らしだったけど、私はあの暮らしが大好きだった」
「うん」
「危ないから水に潜るなと言われたら、私の今までの暮らしや船人たちみんなの生き方まで『そんな危ない生き方』って否定されてるような気持ちになる」
ジーンが少し悲しそうな顔になった。
「ああ……そうだな。イーファ、お前が正しい。でも俺は『そうですか、わかりました』とすぐには納得できそうにない。水の中でイーファが危険にさらされるのが恐ろしいんだ」
それからまた二人で黙り込んだけど、しばらくしてジーンがため息をついた。
「とはいえ、俺たちの職業は『冒険者』だったな。危ないのは今更だったか」
ジーンが苦笑しながら言う。だからイーファも少し微笑んだ。
「そうね。いまさらよ」
二人で笑って話はそこで終わりになった。
(ちゃんとした答えは出てないけれど、人間はいつ何で死ぬかわからないのだ。いつまでもギスギスしていてそのままになる方がよほど嫌だもの)
イーファは命の儚さを体で知りながら生きてきた。船村での暮らしは、生きるか死ぬか。命を奪うか奪われるかの繰り返しだった。陸の人から見れば、きっと過酷にしか見えないのだろうと思う。
「だけど、美しい暮らしだった」
もう二度と戻れない暮らしを、今も懐かしく思う。




