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海の娘と砂漠の男と猫の旅  作者: 守雨


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2 砂漠の男     

「おいおい、人に名前を聞くときにはまずは自分からって習わなかったか?」

「眠ってる女に近づくような男と関わっちゃいけないってことなら習ったわ」


 男はイーファの殺気立った様子を面白がるように微笑んだ。


「なるほどね。俺はジーン。砂漠の国から来た。旅の途中で死にかけてるかもしれない女に親切で近寄って、ナイフを向けられるようなお人好しだ」

「私はイーファ。ただのイーファ。苗字はないわ。その、悪かったわ。物盗りかと思ったから」


 ナイフは下ろしたが、気まずい。


「無事ならいいんだ。寝てるところを邪魔したな。それじゃ」


 さっさと行ってしまいそうな男の様子に、イーファが慌てて声をかけた。


「あの! 失礼なこと言ってごめんなさい。私、陸に上がったばっかりで。用心しすぎたわ。ごめんなさい」

「んんん?」

 

 ジーンがイーファを上から下まで値踏みするように眺めてきたのでイーファは居心地が悪くなる。ジーンは動きやすそうな上等な服を着て、高そうな革のブーツを履いているが、自分はヨレヨレの丈の短いワンピースに着古したズボンの重ね履き、手作りでございと誰が見てもわかる海獣ルーラの革のブーツだ。


「君はこれからどこに?あてはあるの?」

「いいえ。陸のことは全く知らなくて。これからどこかに落ち着いて働くつもりです」

「そうねえ、服さえどうにかすりゃ、食堂や酒場で働けそうだが。何か得意なことはあるのか?」

「魚も鳥も海獣もさばけます。もちろん捕まえることだって出来ます」

「いやいや、街でその特技の出番はないと思うぞ」


 わかってはいたが、言われるとやはり気弱になる。


「そうですか。そうですよね。食堂や酒場ではどんな仕事があるんですか?」

「注文を取ったり料理を運んだり。片付けたり洗ったりだな」


 イーファは食堂も酒場も見たことがない。今聞いた仕事も船で料理を作ったり運んだりと同じか違うかもわからなかった。


「俺はこれから森の町ナーシャに向かうんだが、良かったら一緒に来るか? 君みたいに人目を引く若い女の子の一人旅は物騒だぞ?」

「人目を引く? やっぱりこの服じゃダメなんですね」


 最後が尻すぼみに声が小さくなるイーファを見て、ジーンは少し困ったように目をつぶると、息を吐いた。


「いやいや、服装じゃない。いや、服装も多少の問題があるけど、君は自分の見た目に自覚がないのか?一人で歩いてたらあっという間に悪い奴らに捕まって売り飛ばされるかおもちゃにされるかだろうが」


 ジーンは少し残念な子どもを見るような目つきになると、自分の中の正義感を動員することにした。

 この若い娘は、自分がとびきり美しいという自覚がないらしい。鏡ってものを知らんのか。


「俺で良ければナーシャの町まで連れてってやるが。このまま世間知らずな君と別れて、何かあっても後味が悪いからな」

「一緒に行ってもいいんですか? ありがとうございます! じゃあ、お礼するものがないからジーンさんの荷物は私が持ちますね!」

「やめてくれ。礼がしたいなら話し相手になってくれりゃあ十分だ」


 そう言いつつこの娘の用心の無さに驚いた。

(自分が悪い男ならどんな目に遭うことか。いや、そこそこはナイフが使えるのか?)


 こうして海の女と砂漠の男は旅の同行者となった。ジーン三十歳、イーファ十六歳の二人旅の始まりだ。


「ナーシャの町は遠いんでしょうか」

「そうだなぁ、馬が手に入りゃそうでもないが来る途中には売り物の馬はなかったなあ。歩きだとあと四日か五日、そんなもんかな。食糧と寝袋くらいは持ってるのか? ずいぶん大きなリュックだが」

「毛皮ならあります。夜露も防げるしあったかいから大丈夫です」

「毛皮ねぇ。まあ、とりあえず歩こうか。先は長い」


 二人は足元が暗くて見えなくなるまでは歩くことにした。


「で、イーファは見たところ海の船村ふなむらの人間だろう?船村のことは詳しくないが、君たちは一生を船の上で暮らすんじゃないのか?」

「大抵の人は船の上で生まれて船の上で死んでいきますね。私は船村に居られなくなりましたから」


 視線を合わせず淡々と説明するイーファの横顔が固い。


「偶然だな。俺も砂だらけの国に居られなくなった。二度と戻ることはない。今は森の町ナーシャに行ってみようと歩いてるわけさ」

「同じ、ですか」

「まあそうだね。同じだな」


 詳しい事情を話さないことも同じだった。


 細い道は来る者も行く者もいない。ジーンは馬車が通りかかれば金銭を払って乗せてもらおうと思っていたが、半日以上歩いても誰にも出会わなかった。


 やがて夜になり、転んで怪我をしないうちにと野営することにした。

 ジーンはリュックから火付け棒を取り出して枯れ草に火をつけ、手早く焚き火をこしらえた。


 石を組んでごく小さな鍋を置き、干し野菜と干し肉でスープを作った。硬焼きパンを取り出してイーファにも分け与えた。

 イーファはきつく巻いて紐で縛っていた毛皮を取り出して敷物にし、ジーンに倣って焼き干しの魚と一夜干しの魚卵の塊を半分に割って差し出した。


「珍しいな。この魚卵、親はどんな魚だ?」

「笛吹き鯛です。満月の夜に海藻に卵を生みつけに来るの。それをそっと海藻から剥がして干すと美味しくなるんです」


 イーファは手渡された簡単なスープを目を細めて味わっている。ジーンも焼き干し魚を火で軽く炙って噛んでみた。素朴ながらも、なんとも滋味深く噛むたびに旨味が出てくる。

 驚いたのは魚卵の塊だ。ポリポリと気持ちの良い歯応え、程よい塩味、飲み込む時の濃厚な潮の香りと旨味。


「おい、これはもしやバラしたやつが缶詰め一個で大銀貨一枚の高級品じゃないか?」

「そうなんですか? 私たちは海から貰うだけですけど」


 銀色の髪の少女が黙々と食べている姿を見ていて気が付いた。この娘が尻に敷いているのは、見間違いでなければ銀獣ラルーの毛皮だ。その大きさなら金貨五枚はする品だ。


 やはりこの娘は用心が足りない、とジーンは思った。


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