17 王宮動物管理課にて
王宮動物管理課のバーノンは浮かれていた。
うっかりすると鼻歌が出てしまい、同じ課の人たちにギョッとされてしまう。
高等学園を優秀な成績で表彰され、卒業して以来二十年。コツコツと動物の特異情報を集めてきた。
就職したばかりの頃はなんの仕組みもなく、上がってくる報告も、年に一、ニ件。五人の課員のうち二名は他の課から来た退職間際の老人だ。
動物が大好きで野生動物に興味があって、重要と思える動物の情報を集めたいと思っているのは自分一人だけだと理解している。
五年近い年月をかけて王国全土の警備隊詰所とギルドに手紙を送り、野生動物に関する特異な情報は必ず報告する仕組みを一人で作り上げた。
なかなか返事がない所には返事が来るまで王宮の印を押した封筒で手紙を送り続けた。それから十五年。やっと『これは!』という情報が届いた。
なんと、絶滅したと思われていた黒毛大猿が人間に姿を見せた。背中に深く刺さった棘を抜いてほしくて若い娘に背中を向けた。その上、傷口をナイフでこじ開けられても相手に背中を委ねた。
あのイーファという娘は船村出身だ。あの村については謎が多い。
陸の人間はまず接触できない。彼女は自身が動物に興味を持たれるとも言っていた。今回の件は、それもあるのかもしれない。
彼女から貰い受けた棘には黒毛大猿の血が付いていた。一生の宝だ。
これだけでも相当な大イベントだったが、昨日ナーシャという小さな町からもうひとつ情報が上がってきた。銀色の髪の娘が旅の途中に町に立ち寄り、そこで奇跡を起こした、と。
娘がオカリナを吹いたら町の猫が多数集まってオカリナの音色に聞き惚れ、その猫たちの存在を警戒することなく野鳥も集まり、身体を揺すって曲に聞き惚れていた、と。
(ああ、くそ! オカリナを吹いた銀髪の娘はイーファに違いない。こっちの情報がさっさと上がって来ていたら、その話も本人に詳しく聞けたのに! ここの警備隊長は使えないな)
この情報を知っていたらナーシャでオカリナを吹いてもらって、猫や鳥が集まる様子をこの目で見られたかもしれない。奇跡を見逃がした。
その日の夕方、帰り支度をしていたバーノンに手紙が渡された。先日訪問した森の町ナーシャの警備隊からだった。
封筒を開けて文面を読んでいたバーノンはカッと目を見開いて、すぐに下働きの若者に声を張り上げた。
「マルコ! ナーシャの警備隊詰所とギルド長に手紙を出してくれ! え? そうだ、今だ! 今出してほしい。私が明日出発してそちらに訪問するとね! ああ、行くのはもちろん私だよ。頼んだよ! 必ず今すぐ手紙を出してくれよ!」
(よし、よし、よし! これでまたあの娘に会える。詳しく黒毛大猿とのやりとりを聞こう。自分が知る限り、イーファはあの猿に懐かれた初めての人間だ。あの猿が人間の娘を守る行動を取るとは! いや、落ち着け。オカリナも吹いてもらわねば)
バーノンは興奮のあまり貧乏ゆすりを始めていた。そして心の声を漏らしていることに気付かない。
「そうだ、いっそ王宮動物管理課の臨時職員になってもらう手もあるか。うん。予算はなんとかなる。なんなら宰相の伯父さんに相談してもいい。最悪自分が費用を出してもいい。冒険者をやるくらいだから貧しいのだろう。きっと喜んでうちに来るさ」
バーノンは他の職員の怪訝そうな視線にも気づかない。
これは一生に一度来るかどうかの幸運だ。
明日は朝一番の馬車でナーシャに出発だ。
三日後にはあの娘に再会かと思うと今から楽しみで胸が躍る。
黒毛大猿に頻繁に会えるようになれば、災害の予告の謎だって解けるかもしれない。
「予算の無駄遣い」などと、もう誰にも言わせるものか。
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「ねえ、ジーン」
「ん?」
「次に川か湖があったら立ち寄ってもいい?」
「ああ、いいよ」
「何泊かしてもいいかな」
「大丈夫だ」
「ジーン」
「なんだ」
「楽しい!」
「そりゃあよかったな。俺も楽しいよ」
少し間が開いて、またイーファが口を開ける。
「あの黒毛大猿にまた会えるかな」
「ああ、きっとまた会える」
「またいつかナーシャに行く?」
「ああ、一緒に行こう」
イーファがにっこり笑う。
「オカリナ吹こうかな」
「おう、好きなだけ吹け。俺も聴きたい」
広い草原にオカリナの音色が流れる。
「なあイーファ、馬車の後ろを草原山羊が四匹も付いてくるんだが」
「あっはっは。ほんとね。陸は面白いわね!」
イーファは笑っているが、ジーンは落ち着かない。イーファには確かに何かしらの能力がある。これまでの出来事を見ていれば、信じたくなくても信じるしかないと思っている。
猫と小鳥がそうだった。黒毛大猿もそう。今、後ろをついてくる山羊たちもそうだ。普通の人間に、動物たちはあんなふうには興味を示さない。
「陸では猫と鳥が集まるのね」と、イーファは言っていた。じゃあ、海ではどうだったんだ。何が集まってきたんだ。でっかい海の蜘蛛は、本当にイーファのあとをつけてきただけなのか。
そうだ、あの紅狐は偶然出会ったのか。イーファに引き寄せられたんじゃないのか。
「わからん」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
イーファの秘密を知ろうとすれば、何か違う別のことを知ってしまう気がして、ジーンは歯切れ悪く答えた。
イーファは楽し気にオカリナを吹いている。
緑色の山羊も楽しそうに馬車の後ろをついてくる。
馬車は淡々と前に進んでいる。




