14 王宮動物管理課
数日後、二人が泊まっている宿に、ギルドから呼び出しの手紙が届いた。
『王宮から黒毛大猿の件で聞き取り調査の役人が来た。ギルドまで来て欲しい』
イーファとジーンはそれなりに身なりを整えてギルドの建物に向かう。ドアをくぐると早速ギルド長室に招かれた。そこにはきちんとした文官風の身なりの、四十歳くらいの男性がいた。
「王宮動物管理課のバーノンです。黒毛大猿と遭遇したと聞いて駆けつけました」
ジーンたちも名を名乗り、互いに椅子に腰を下ろす。イーファは気を遣って、常に被っている帽子を取った。バーノンは帽子から流れ落ちた銀色の髪を見て一瞬驚いた顔をしたものの、イーファの髪のことには触れずに話を進めた。
「早速ですが、黒毛大猿に近隣の森で会ったんですね?」
「そうです」
「ナイフを使って棘を抜いてやったとか」
「はい」
イーファがその時の状況を正確に説明した。バーノンはメモを取りながら聞いていたが、聞き終えると大変に満足そうであり、興奮している。
「そうでしたか。黒毛大猿が人の住む町の近くに。それにしてもあなたたちが羨ましい。一生に一度も会えない専門家がほとんどなんです」
「俺も図鑑で見ただけでしたが、実物が思っていたより大きくて驚きました」
バーノンは「そうでしょうねえ」と何度もうなずいている。
「彼らは天変地異を知らせる猿と言われていましてね。数十年に一度の大嵐や地震、火山の噴火などを事前に鳴き声で知らせてくれるのです。もちろん人間に対してと言うわけではなく、感じ取った異常に反応して叫び声をあげるのでしょうが」
「どんな叫び声なんですか?」
「私も自分の耳で聞いたことはないのですが、聞いてる人間が胸を掻きむしられるような悲痛な鳴き声で、二、三日は昼となく夜となく叫び続けるそうですよ」
バーノンとジーンの会話を感心して聞いていたイーファだったが、そうだ、とポシェットから紙包みを取り出して開いた。
「刺さってた棘です。差し上げましょうか?」
「なんと。いいんですか? 貴重なものですよ?」
バーノンはそう言いつつ顔は全力で欲しがっている。
「私には不要ですから。何かのお役に立つかと持ってきました。どうぞ」
バーノンは恭しく両手で紙包みを受け取ると、そっと棘を摘み上げてしげしげと眺めた。
「黒毛大猿の血がついてますね。これは貴重な。ありがとうございます! 仲間にも見せてやらねば。それにしてもよく相手の意図がわかりましたね。大きくて恐ろしかったでしょうに」
「棘のことは、なんとなくわかりました。大きな動物が敵意を持たずに寄ってきたのは、きっと理由があると思ったんです。それと弱ってる動物独特の感じがしましたから、怖くはありませんでした」
バーノンはホウッと息を吐いた。
「なるほど。さすがは海の民だ。動物の感情を読むのに慣れている」
「髪でわかりますよね」
「失礼しました。それほど見事な銀髪は、純粋な海の民しかいませんからね。海の民ならいろんな貴重な体験談をお待ちでしょう。聞いてみたいものです」
「イーファはもう陸の民になりましたから」
会話に割って入ったジーンの口調が、少し速い。
「そうでしたか。大変失礼しました」
バーノンは笑顔で引き取ると、丁寧に礼を述べて聞き取りを終えた。イーファが部屋を出るとき、そうだ、というように振り返ってバーノンに話しかけた。
「黒毛大猿が私に近寄ったのは、もしかすると私がやたらに動物に興味を持たれるからかもしれません。好意的に興味を持たれることもありますが、興味を持たれて肉食の海の生き物に狙われることもよくありましたから。では、失礼します」
ギルド長室を出て、二人は下に向かった。
「イーファはこれからどうする?宿に戻って出直すには少し遅いけど」
「森に行ってギィワの実を採りたいの。前に見つけたのが食べごろのはず!」
「俺は街で足りないものを買いたいから行けないが」
「森の奥までは入らないから大丈夫。いってらっしゃい」
ジーンとは分かれてイーファは宿に戻って着替え、チルダを連れて歩いて森へ向かった。馬車は依頼を引き受けない日は貸し馬車屋に貸し出している。貸し賃は安いが餌代が浮くだけでもありがたい。それに今日の目的地は、歩いても行ける距離だ。
(ギィワの実がたくさん手に入る! 好きなだけ食べられる!)
船人だった頃にはなかなか食べられなかったギィワの実。嬉しくてソワソワしてしまう。
覚えておいたギィワの木を探すと、目指す木はすぐに見つかった。
橙色のこぶし大の実がビッシリ実っているせいで、薄暗い森の中で灯りを灯したように樹が目立っていた。
チルダは状況を理解したらしく、ギィワの枝に駆け上ると腰を据え、イーファを眺めることにしたらしい。眠そうな目で尻尾だけをゆらゆらと動かしている。
「うふふふ」
思わず笑いが溢れる。現金収入の少ない船村では一人一個も食べられなかったギィワを食べ放題だ。この町の人たちがこれを採りに来ないでわざわざ市場で買うのが不思議でならない。
まずはひとつもいで薄皮を剥いてかぶりつくと、口の中に爽やかな甘味の果汁が溢れてこぼれそうになる。柔らかく熟した実は香りが強く、果肉がとろけるようだ。
「はぁぁ。しあわせ」
次々と実にかぶりつく。満腹するまで食べたらジーンにお土産に持って帰ろう、そう思っていたら、チルダが枝の上で立ち上がり、毛を膨らませた。




