13 棘
Eランクの二人はコツコツと採取の依頼を受け続けた。
あと少しでDランクというところまできている。最初に泊まった宿を常宿にして、せっせと森に通っては薬草を採取する日々だ。
努力家のイーファは今ではずいぶんと薬草の種類を覚え、見つけるのも早くなった。
今日は老人の関節痛に効く赤豆草の採取だ。需要の高い薬草だが、決まった木の根元にだけ生えるので栽培には向かないらしく、再々の依頼がある。
二人で森に入って小一時間も歩いた頃、イーファが先に赤豆草を見つけた。ひとつ見つければ円を描くように生えているので採取する側にとっては都合が良い。
イーファがせっせと根本から摘み袋に入れる。ジーンはいつものように辺りに気を配りながら採取していた。チルダと名付けられた白猫は辺りの匂いを嗅ぎながら、付かず離れずイーファのそばにいる。
少し離れた場所でパキリと枯れ枝を踏む小さな音がしてチルダが木の上に駆け上った。
イーファとジーンの二人が同時にナイフを構えて音のした方を見る。
やがて足音が近づいてイーファと同じくらいの背丈の黒い猿が現れた。ジーンはジワリと冷や汗をかく。
その猿は「普段は温厚だが、いったん怒れば人間を引き裂くほどの力がある」と言われる黒毛大猿だ。ジーンは図説書でしか見たことがなかった。近くで見る実物は圧倒的な迫力があった。そのまま一定の距離を置いて、大猿とイーファたちが睨み合う。
突然、イーファが力を抜いてナイフを下ろし、猿に向かって話しかけた。
「怪我をしてるのね。助けてあげようか?」
猿はイーファを見たまま動かない。ジーンには怪我が見えないし、怪我をしているようにも見えない。ジーンはナイフを構えたままだ。
「痛いんでしょう? 怪我を見せてくれる? 私に出来ることなら手当てしてあげる」
黒く長い毛の猿はチラリとジーンの方に目を向けた。
「ジーン、大丈夫だからナイフを下ろして」
「ダメだ。危ない」
「大丈夫。この猿から殺気は感じない。苦痛なのよ」
確かに殺気は感じない。しかし圧倒的な力の差が恐ろしい。イーファが心配だった。するとイーファが静かにジーンから離れ始めた。
「イーファ!」
「大丈夫だから。心配なら離れて見ていて」
猿はジーンから離れるイーファを見ているが、時おりチラッとジーンを見る。頭が良さそうなその目の動きがかえって危険に思える。
「おいで。傷を見せて。痛いのはつらいわね?」
そう言ってイーファが一歩猿に近寄る。猿は一歩下がる。
「おいで。大丈夫」
イーファが優しい声で繰り返し、ナイフを近くに放る。黒毛大猿が少しずつイーファに近寄った。もう手を伸ばせばイーファに触れられる距離だ。
唐突に大猿がイーファに背中を向けた。背中の真ん中近く、背骨のすぐ脇に棘らしき物が刺さって少しだけ頭を出していた。
「ああ、棘が残っちゃったのね。痛いね。取ってあげるから、少しだけ我慢してくれる?」
猿はジッと動かない。イーファが指でそっと大猿の背中に触れると、大猿は一瞬ビクッと動いたがされるがままだ。
イーファが指先に力を入れて棘を摘む。指先が白くなるまで力を入れるが、皮膚から出ている部分が短くて力が入らず棘は抜けなかった。
「ナイフを使いたいの。我慢できる?」
イーファが語りかけると猿は首を回してイーファの目とナイフを見た。
「怖がらないで。大丈夫。助けてあげるからね」
そう言ってイーファは放ったナイフを拾い、大猿に向かう。大猿の背中に緊張が走り、ジーンはいつでも飛びかかれるように構えた。
大猿はナイフを持ったイーファに背中を向けたまま動かない。イーファはナイフの先を棘のすぐ脇に当ててそっと力を入れた。
「ゴウルルル」
大猿は喉の奥で唸ったが、そのまま動かない。イーファは右手のナイフでほんの少し傷口を広げるとナイフを地面に放って、右手の指先で再び棘を引っ張った。
深々と刺さっていた細長い棘がズルリと引き抜かれて姿を現した。新たな出血はほとんどない。
「抜けたわ。もう大丈夫よ」
イーファはそう言って手のひらに抜いた棘を乗せ、振り返った猿に見せた。
「ゴフ」
小さく鳴いて猿は棘とイーファを見ると、静かに後退り、そのまま森の奥に姿を消した、
「フウウウウウッ」
ジーンが盛大に息を吐く。
「ごめんなさい。また心配をかけちゃった」
「いや、それはいいんだが、怪我をしてることを、どこでわかった?」
「あー……なんとなく?」
「勘か?」
「うん」
「そうなのか。何にしても無事でよかった」
ジーンのシャツの脇と背中は冷や汗で濡れていた。
「海でばったり海獣と鉢合わせした時、相手に敵意があるかないかはわかるの。私が狩る必要がないときはたいてい相手も穏やかで、狩りに出ているときは相手も殺気を返して来る。なんとなくわかるのよね」
ジーンも言われてることはわかるが、到底飲み込めない。
「君は猫や猿と会話できるのか?」
「まさか! 言葉の意味はわからなくても、動物は言葉に込められた気持ちがわかるのよ」
少なくとも自分には無理だが一応納得することにした。
そのあとは黙々と薬草を摘んでギルドに戻り、買い取り係のカウンターに提出しがてら黒毛大猿の話をした。すると大変な騒ぎになった。
「いたのか? あの森に? とっくにいなくなったと聞いてたが。そうか、いるのか」
ギルドの男性職員が驚いている。
「一頭ってことはないだろうから、他にもいるかもしれませんね」
受け付けのターニャも興奮気味だ。
「それもそうだが、あの用心深い黒毛大猿が背中を触らせましたか! しかもナイフを当てさせた?」
男性は呆れたように頭を振っている。
たまたま二階から降りてきたギルド長が話を聞いて顔色を変えた。
「王宮に連絡だ。絶滅したと判断されてるのに、この近くに住んでいたとは。本当に間違いないんだな?」
「間違いありません」
ジーンが答えると、イーファはギルド長に尋ねた。
「あの大猿を捕獲するんですか?」
イーファが心配そうに尋ねるとみんなが(は?)と言う顔になった。
「ああ、知らないのか。黒毛大猿は厳重に保護されてる生き物だ。黒毛大猿は災いを告げる猿だからね」




