(呪)遺伝?
俺の家系は代々直系の男に結構な確率で痣が出る
場所は決まって右肩の後ろ、肩甲骨の辺りで痣が出た人間には何らかの障りがあると言われている
これを知ったのも偶然でしかも血脈の途中で謂われも避ける方法も失われてしまったという杜撰さ
痣持ちは一族から疎まれて昔なら村八分の扱いを受け、短い人生を終えていたらしい
短い人生。そう、痣持ちは揃って短命に終わっているらしいのだ
これを書く気になったのも避けようがないかも知れない運命に半ば投げやりになったのと
このご時世にもしかすると因果で命が潰えてしまうかも?な俺のつまらない記録をどこかに残しておこうと思ったからだ
代々の口伝で失われたものも多いのでざっくりしているが痣持ちはある事件が発端で発現したと言われている
俺の先祖がまだ年貢に苦しんでいた時代、何かがあって代官が代わったらしい
その代官が大概クズで年貢を増やして私腹を肥やし、村の娘は手込めにするわのやりたい放題だったそうだ
ある年、半ば飢饉レベルの不作が村を襲った
不作は二年近く続き村人はそれこそ草木を食んで飢えをしのいだらしいのだが代官は変わらず重税を課したまま
そこで村人達が一揆を画策しいざ実行の段になった所で庄屋に露見してしまった
庄屋は一揆に猛反対
下手すると代官に粛清されてしまうぞ!と訴えたが村人の怒りは収まらず速攻庄屋を惨殺
代官の見回りの日に従者もろとも代官を惨殺し、村はずれに掘ってあった穴に埋めてしまったらしい
勿論村は処罰の対象となり近隣からは村八分、犯行の残虐性から非人扱いとなり同和教育で言う所の部落となった
ここまでならただの伝記で終わるのだが痣の由来が欠けている
俺のご先祖様が一揆の首謀者の中心にいた事、代官の家系が神事に携わる家系の傍流で呪われたとも言われているが
それ以降一族の男の何割かに痣が現れ、その痣持ちには不幸が訪れたらしい
非人に落とされ元々貧しい村人は更に困窮する事となり俺の一族も降りかかる災厄に抗う術を持たなかったが
江戸から明治に変わる辺りで高名?なお坊様が村を訪れ、災厄を薄める祈祷をしてくれたらしい
これにより村自体の災厄はほぼ収まったが首謀者の1人である俺の家系は祓えず痣持ちの短命は免れられなかった
とまあざっくりしすぎだがこれが謂われだそうだ
こんな話、今まで聞いた事もなかったのだが今年の初めに胆嚢手術で入院したらいつの間にか痣が出来ていた
それを見た母親が父方に伝わる謂われを思い出し親族に相談したら大騒ぎになった
痣持ちはここ数十年出なかったのでもう終わったのだ、と安心していたらしい
そこから数日はパンダの心境だった
顔もうろ覚えな親戚が入れ替わり立ち替わり病室を訪れ、痣を見ては哀れみの視線を置いて帰っていく
こんな状況で知り得た情報が先程書いた頼りない史実と「昔は確か厄除けの方法があったが失念した」だった
突然こんな状況になれば誰だって半信半疑だし猜疑心も抱くよな
勿論退院して直ぐに郷土史調べたり父方のご近所回ったりして調べたがこれ以上の情報が出て来なかった
1つだけ分かった事がある
痣が災厄として機能?する前には前兆があるらしい
痣持ちは知られた段階で村人から避けられるのだがその内手足にも痣が出来るらしくそれが現れたら覚悟せよ
何の覚悟だよ?って話だが現れたら長くとも一年程度で病死、事故死、自死しているという事だった
村人が避ける理由ってのも分かった
どうやら抗う手助けをした者にも災厄が降りかかるらしい
いわゆる「前兆の痣」を見た者にも災いがあるらしくそれで村八分になるという事だった
七代祟る、よりも長く祟られた上に回避する方法も無いのでは手の打ちようがない
というか自分に降り掛かっていても尚そんな迷信は信じられない
この医療が進んだ現代に何を言っているんだ?と思ってたのだが
今俺の右足は原因不明の病で切断の憂き目に遭っている
情けないがもうどうでも良い
祓う方法だのどこか神社仏閣に縋るだのそういう気力も失せた
痣の写真を貼って気休めに災いを不特定多数に散らそうとも企んだが不確定要素の為に人に恨まれて死にたくはない
世の中にはこんな形で因果を貰い気力も失せて死ぬかも知れない奴がいるって事だけを知って貰えれば幸いだ
因みに俺の場合「前兆の痣」は痣なのか分からない
右足を切断せざるを得なくなった菌?が最初太ももに大きな痣を作った
忙しさにかまけて少し様子見したらその部分が壊死して抉る羽目に
一週間と立たずに右足を切断する運びとなった
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こんな話を聞かせてくれた友人Aは五年前に他界した
ただの与太話だったのか実話だったのか今は確認する事は出来ない




