(時代)カラオケ黎明期?
何となく書きたかったモノで…すいません
今や定番、というか他に新しいモノが生み出されなくなって定着したカラオケも昔は結構方向性を模索した時期があった
(オッサンしか同意を得られそうにないがソコはスルーで)
エイトトラック、カセット、レーザーディスク…その辺は書いていると論文化してしまうので割愛するとして
今回は今現在カラオケするなら?という営業形態に落ち着く前の黎明期みたいな部分に触れようと思う
今は○○エコーや○○館、○○ねこ等箱もの形態が主流な感じだが少し前迄は設置と撤去が容易な「コンテナ型」もあったのはご存知だろうか?
カラオケの隆盛を支えたのはこのコンテナ型が全国で大繁殖したからと言っても過言ではない(個人の感想です)と思っているのだが
そのコンテナ型の前身があったのをご存知だろうか
まだカラオケと言えば飲み屋に行くとか金持ちが個人所有でとかしないとあまり見なかった(偏見てます)頃
新宿のボーリング場でとんでもない設備がポツンと設置されていた
公衆電話ボックス型のカラオケボックス
知らない人にはちょっとイメージし辛いと思うが形はまんま電話ボックス(ガラス張り)の中にレーザーディスクの機械とモニター、そしてマイクが備え付けられていた
利用客はボックスの中に入り硬貨を入れ曲を選び衆人環視の中防音?何それ?みたいな環境で熱唱するという
ある意味羞恥プレイ並みの設備だった
一度酔って勢いで利用したがシラフではとても入れないだろうな、と妙に醒めた記憶がある
それから様々な紆余曲折がありコンテナ型、そして店舗型で落ち着いて今や衰退の一途を辿るカラオケ業界だが
黎明期にはこんなとんでも発想があった事も今となっては話のタネに…ならないか
因みにその電話ボックス型カラオケボックスはボーリング場で数回しか見た事はない
それが定着していたら公園の片隅にガラス張りのカラオケボックスが並んだ未来もあったかも知れない
多分淘汰されていただろうけど。




