(話)論争
一昔前、テレビで良くやっていた大○教授と不思議研究家達との心霊、不思議論争は覚えている人も多いだろう
テレビではなくても霊が視える、と言った知り合いがいたら完全に拒絶しない限りは話し合ったりはした事がある人も多いのではないだろうか?
「もし本当に霊がいるなら戦争や震災で亡くなった人達がその辺ウヨウヨしていて溢れてる筈じゃね?」
とか
「古戦場とかに行ったら観光客より多いんじゃねぇの?」
とか本人は理論的に論破したいのか、絡んで来る人が必ず出てくる
そういう時、最近は便利なワードを駆使して納得せずとも言い返せない推論で躱す事にしている
「モスキート音」
ご存知の方も多いとは思うが若年者にしか聞こえない周波数でコンビニ前にたむろする若者を無意識に散らせる便利(?)サウンドだ
「モスキート音の様に特定の人にしか感じられない感覚があってそれが霊視。霊の存在を証明は出来ないけどモスキート音の様にいつか科学的に存在を立証出来るかも知れないよ?」
まぁこんな感じでやり込めて(呆れられて)いる
視えないからと言って存在しない証明にはならない
昔子供雑誌で読んだ「未来想像図」あれも当時としては画期的な図柄が並んでいてワクワクしたモノだが現に数点は形は違えど実現化したり商品化されたりしているではないか
こうして考えると今の人は不思議なモノに対しての感受性が薄れて来ているのかな…
不思議を不思議と受け入れず拒絶してしまっていてはある意味損しているのでは?と思っている
まぁ考えを押し付ける必要もないので特段誰に話す訳でもないが此処なら良いか、と書き捨てておく事にした
お目汚し失礼しました




