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『奇憚(きたん)雑記』  作者: とれさん
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(不明)言い訳


今回は俺が小さかった頃の話をしよう


俺は小さい頃、良く「言い訳しないの‼」と親に叱られていた

今考えれば答えは簡単で要は「見えていない」親に「視えたモノ」の説明をしても伝わらなかったのだ


今でこそ(あー、いるな)程度で流せる存在でも小さい頃にはかなり恐い思いをしていたからだ


例えば学校帰りの通り道、墓場の墓石の前でずっと無言で立っていたお爺ちゃん

何をされる訳でもなかったが当時は前を通った瞬間に飛び掛かってくるんじゃないか?と思って通れなかった


仕方なく田んぼの畦道を通り泥だらけになって帰宅すると早速叱られる


「こんなに毎日泥だらけにして‼洗う人の身になりなさい‼」


そう叱られても俺の口から出て来る言葉は「…だって…(帰り道にオバケがいるから怖くて)」しか出て来ず

それに業を煮やした親は「全く、言い訳ばっかりして‼」となっていたのだ


勿論最初の頃は「そうなった理由」を話していたのだが途中で諦めた


何度か手を引かれて墓場や他の「視えた」場所に連れていかれたが親には見えていなかったのだ


少し大きくなり何となくそういう存在をスルー出来る様になってからはその手で叱られる事は少なくなったのだが

視える事を思わず話してしまった事によって失敗した事は逆に増えてしまった気がする


成長して友人達がそういう心霊体験にわざわざ突撃してまで体験する年頃になると逆に羨ましがられたりもしたが

視えた所で何の得がある訳でもなし巷によくいる霊能者みたいに祓える訳もないので損しかない


こんな誰とも共有出来ないモヤモヤとした思いは二十代に出会った霊感がある人との会話で漸く昇華された


それ以降は視ても風景として視る様になり危ない目にも遭い難くなった


同じ悩みを持つ人達にもこうした出会いがある事を祈りつつ今回の話は幕引きとしよう

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