表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

5話:ネットカフェ集会場に収益が急減、閉鎖へ

 2005年10月なると焼き芋、磯辺餅、幸水梨をメニューに追加して人気を博した。11月には信州のサンふじ・リンゴ、おしるこ、焼きたてピザのメニューも追加。その後、冬の寒い時期には紅茶にイチゴジャムとブランデーを垂らしたロシアンティー、具だくさん・インスタントラーメン、海鮮・おじや、辛い四川風麻婆豆腐どんぶりと簡単に作れて単価の低いメニューを出すと、勢いよく注文が出て、十分な利益をだした。そうしているうちに2006年をむかえた。


 最近、日本株も徐々に上昇しているようで、雑誌を見ながら株価を監視視するネットトレーダーも増えてきて彼らが集合して作戦会議を開いたりしていた。寒い日に大学を終えて、個室で勉強に励む学生も散見されて、いろんな客層が増えた。その後、日本株の講習会やFXトレード勉強会なと投資関連の人たちが集会場で最大30人は入れる大広間に長椅子と長机を入れて週に1回の勉強会をする姿も見られるようになった。


 そうして2006年も順調にお客さんに恵まれていた。ただ、忙しすぎて、旅行に行けず働きづめには、だんだんと飽きが来たようで、店長と奥さんが交代交代に休むようにして気分転換を図った。その後、シティバンクが日本で個人向け銀行業務を終了すると発表し支店も日本の大手銀行に売却すると発表した。そこで鶴見夫妻も日本円と外貨、豪ドルを全てSS銀行に移し替えた。そして2006年が終わり2007年となった。


 この年も順調だったが夏頃から株式とFXの勉強会がなくなり全体的にお客さんが減ってきた感じがした。そんな2007年7月19日豪ドル円が上昇しているとSS銀行から電話が入り106円で200万豪ドルを鶴見夫妻が売りの指示すると売れ純利益1.9億で資産が2.9億円に回復した。10月を過ぎるとネットトレーダーも来なくなり、収容人数の半分とい言う日も出るようになってアルバイトさんも減らした。


 年末になっても中高年のお茶飲み会は相変わらずにぎわっていたが、一番稼ぎ時の夕方から深夜の時間帯のお客さんの減りがひどくて遂に2007年11月は開設以来初の赤字の月となり12月もトントンであった。2008年に入ってから、1,2,3月、連続で赤字と開設以来の状況まで落ち込み、鶴見夫妻の顔色が青くなり、弟の宗田恒夫をまじえて対策会議を開き、何とか一番広い教室を英会話、進学塾でも良いから埋めていくことを考えるべきだという結論に達し3人でセールスに歩くことに決めた。


1つは進学塾、2つ目はパソコン教室、3つ目は英会話教室、英語検定、企業のためのTOIEC教室、4つ目が富裕層の趣味の教室。あらかじめ最低ラインとして毎週1回以上の使用で1時間当たり1万円以上とした。そうして動き始めて2週間後、弟の宗田恒夫が大学時代の英文科の知り合い

から企業のTOIEC教室をここで開いても良いという話がでて毎週、土日の夕方16時から17時で月間10万円という条件。人数は24人前後だという話だった。


 しかし公的な会議室の方が安いので断りの電話が入った。そして2008年3月1日に閉鎖を決め、すぐに改修費用5千万円で改修工事を始めた。これにより鶴見夫妻の資産残金が1億円となった。して簡単な食事を出せる学生さん向けの1DKアパートにし、必ず、管理人をおいて入室の管理を徹底した。そしてセコムとの契約も結ぶと女子学生からの問い合わせが増えた。改修費用が5千万円以上発生しない事がわかり鶴見夫妻の資産が2.4億円になった。


 2008年7月25日に20室の学生アパートで月5万円の家賃にして椅子と机とベッドを完備した部屋を考えた。管理人室に大きな冷凍冷蔵庫を完備して冷えた飲み物、アイスクリーム、ラーメン、餃子ライス、チャーハン、麻婆豆腐丼、トーストセット、珈琲、紅茶、あんパン、菓子パン、焼き鳥、鶏の唐揚げ、味噌汁などを格安の値段で提供する学生メニューを完備した。すると募集して7日で12室が満室になり全て女子学生となった。


 美味しいおやつも欲しいといわれ「小川軒のレーズンウィッチ」「橫浜かをりのレーズンサンド」「六花亭のバターサンド」「橫浜元町、霧笛楼の横浜煉瓦」「ありあけのハーバー」、「シルクアーモンド」「ウィッシュボン」「橫浜開花サブレ」「橫浜馬車道十番館ビスケットフルーツケーキ」、「えの木てい、山手西洋館めぐり」「有名なシュークリーム」「チョコ・ケーキ、クッキー」を取りそろえ、1セット300円のセットが売れ行きが好調になった。


 そして黒字に回復し経費が少なくて済むので、空き室さえ出なければ着実に稼げると胸をなで下ろした。1階の中心部には窓口スタッフの男性管理人と調理師1人と調理人2人がいて食事のオーダーを取り午後22時で調理は終了となり、パン、お菓子程度しか手に入らない。そして以前、料理屋やっていたが店をたたんだ調理師さんが食事とベッド付きで月10万円の給料で働いてくれている。2階の建物の中心部の窓のない部屋に宗田恒夫がソファーベッド、パソコンを置いた。


 更に机と小さな冷蔵庫と電子レンジを持ち込みインターネットで株の売買を続け生活した。そのため2008年7月27日から毎日、午後15時まで部屋にいて、その後、元町、中華街などをぶらついた。そして失意のうちに2008年が終わり2009年を迎えた。この頃、リーマンショックでアメリカ株の強烈な下げにつられて日本株も世界中の株がすごい勢いで下げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ