動き出す日常
「私の歌が聞こえるの?」
奈無奈 新知は混乱していた。
人が歌えば聞こえるというのは当たり前。音を発する、つまり声を出さなければ歌は歌えない。
歌を唄うというのは耳にその声が届いてやっと歌になる。それがどうしたことか、彼女はまるで聞こえてないのが当たり前のような言い草だ。
「はい、聞こえてます」
特に考えることもなくそう答えた。
放課後の屋上は四月の初めということもあり少し肌寒い、歌を中断したせいで今聞こえてくるのはグランドで部活動に励む生徒の声だけになった。
夏の大会に向け各々の部活が精を出している、その光景が屋上からだとよく見えた。
「そっか」
彼女はそう言うと新知の横を通り過ぎ屋上の扉に手を掛けた。少し重い錆びたドアノブがキィッと音を立てて回される。
「人の歌を盗み聞きするなんてモテないよ、えーと…」
「奈無奈です、奈無奈 新知」
おそらく名前を言いたかったのだろうと思いそれを告げる。
案の定、彼女は名前を聞くと「そうそう」と言って言葉を続けた。
「人の歌を盗み聞きするなんてモテないよ、奈無奈くん」
少し小馬鹿にする様に彼女はそう言った。大きなお世話だ、こちらとてモテようとは思っていない。
「アドバイスありがとうございます」
だが言い返すことでもないのであえて流す、それよりももっと気になることが新知にはあった。
「聞こえるって、なんなんですか?」
先ほどまでふざけた雰囲気を出していた彼女が新知のその一言で表情が笑顔のまま固まった。
それに合わせるかのようにグランドの声も聞こえなくなる、まるで音が消えたように、静寂が二人を包こんだ。
「別に君は知らなくていい事だよ」
冷たい声でそう言った。
そのまま錆びた扉は開かれ彼女は屋上を後にした。その瞬間、先ほどの静寂が嘘だったかのようにグランドからは運動部達の声が聞こえてくる。
「さいですか…」
独り言のように呟く、またそれに続けて
「鷹倉 響か」
かつて歌手として活躍していた人物の名前をふと漏らした。
------------------------
「なぁ月見里、鷹倉って知ってるか?」
「そりゃあな、うちの学校の先輩だし、現役歌手だしなぁ」
昼休み、学生たちの数少ない自由時間でありその大半を昼食に当てる時間。
家で作ってきた弁当をつまみながら、新知は友人である月見里 和樹と昨日見た人物の話をしていた。
〆↪︎