病院
(リハビリ開始から13日目・・・)
「水島さん、血液検査の結果が良好です。おめでとうございます、免疫力が回復しました。上杉先生に確認して、短時間の外出は許可されました」
「血液検査?いつやったの?」
「血液の状態は、水島さんの体内に埋め込まれたバイタル・センサーで常にモニタリングしています。こんな感じです。」
クレオが壁に映し出したのは、血液検査結果の時系列の変化を示すグラフだった。総蛋白やら、AST(GOT)、ALT(GPT)、LDH、コレステロール値など次々と様々な指標の時系列の変化がグラフで表示された。最新のデータは30分前だ。
「ふ〜ん、まるで僕は実験用に身体にバイタル・センサーを幾つも刺されたモルモットみたいだね。」
「今日のリハビリはどうしましょう?病室の外に出てみましょうか?」
「いいねぇ」
専用ウェアに着替え、歩行アシスト・デバイスを付け、水島は初めて病室の外に出る。クレオやイリーナが出入りする時にチラリと見えた病室の扉の向こうは、格式高いホテルを思わせる空間だ。広い廊下が緩やかにカーブを描き、向こう端が見えない設計になっている。落ち着いたダークブラウン基調のカーペットに、薄いベージュを基調とする壁。濃い色のチーク材の手すりが壁に沿って備え付けられ、ほどよいアクセントになっている。壁と同じベージュを基調とした天井は暖かい色の間接光で照らされ、一定間隔で天窓(おそらく映像だろう)があり、光の変化を感じられる工夫が施されている。病室の扉の横には、黒い表札に銀の文字で部屋番号が記され、メルクーリのユーモアある計らいだろう、水島の部屋のそれには2016の数値が彫られていた。その表札には、紐で吊るされた別の表札がぶら下がっている。古くなり木目も浮き出た時代がかったその表札には、こう書いてあった。
“KEI MIZUSHIMA, a man who lives in the Future”
当時の記憶が一気に蘇る。 友人であり同僚だったカイルが入院中の水島に持ってきた表札だ。カイルは蘇生した時もこの表札を使ってくれと病院側と交渉していたが、病院の運営がカルダシェフからメルクーリに変わっても、あの約束は守られていた。「(そうだ、あの自分宛のビデオメッセージを撮影した時、傍にいたのはカイルと夫人のケイコさんだ)」
水島はクレオを振り返り、早口で依頼する。
「人を検索してくれるかい?カイル・ファーガソン、1972年テキサス州オースチン生まれ、大学はテキサス大学オースチン校、スタンフォードでドクター(博士号)、ケロッグでMBAを修めている。キャリアはHW社とアプリコット社に勤め、その後、デルタ・サイエンスを創業した。デルタ・サイエンスは2014年にコンピュータ・メーカーのBELLに買収された。」
「少々お待ち下さい。・・・」
水島の生前、氏名と勤めた企業名でウェブ検索をかけると、その人の生年月日や最新の居住地、そして、サービスによっては生死の状態まで知ることができた。セールス・パーソンに電話番号や住所などを売りつける、プライバシーの観点からはグレーゾーンのサービスだが、そんなサービスが幾つもあった。「(この時代は、プライバシーがさらに緩くなっているだろう)」
「これですかね?ちょっと見てください。動かないでくださいね」
クレオは水島の首に手を回し、爪先立ちになって水島の目を見た。まるでキスでもするような格好だが、水島の目の網膜に直接、コンピュータ(クレオ)の映像を出力するためだ。
「そうだ、この男だ」
水島はクレオの目から視線をそらし、周りを気にして軽くクレオの腕を払った。
「彼は、今、どうなってる?」
「5年前の2062年、故郷のオースチンで、90歳で亡くなられました」
水島は軽くため息をつく。「そうだよな。まあ、90まで生きたんだ」
「奥さんのケイコ・ツチヤ・ファーガソンは?」
「ケイコ・ツチヤ・ファーガソンさんは、2059年、やはりオースチンで亡くなられています。91歳でした」
「・・・そうか。ケイコさんの方が年上だもな」
「デルタ・サイエンスって、水島さんも勤めていた会社ですよね。そこの創業者 兼 最高経営責任者ですか?」
「ん、あぁ、まあ古い友人だ」
クレオに促されてゆっくりと歩き出す。病室を出ると、その歩きの遅さを痛感する。今日はVRじゃないので8倍速も使えない。クレオが指差したエレベータホールは中々近づかず、顔が熱くなり、額も脇の下も胸にも汗が湧き出した。足に電流が流れるから足が前に動くのだが、その電流で足が痺れ、痛みで次の一歩を指示する脳の動きが一瞬止まる。ようやくエレベータホールに着くと、クレオはタオルで水島の額の汗を拭きながら聞いた。
「やっぱり、部屋の外でのリハビリは少し早すぎましたね。戻りましょうか?」
「いや、まだ大丈夫。それより、足に流す電気を少し弱めることはできないか?」
「あっ、痛かったですか、すいません。脳波から痛み度合いも推定していたのですが、過小評価していました。ごめんなさい」
「いや、僕がちゃんと主張すべきだった」
「これでどうでしょう?」
流れる電流に比例して足が動く距離が変わる。電流が弱まった分、歩幅は狭くなり、一歩が20センチに満たなくなったが、痛みは気にならなくなった。
水島は、さっきから気になっていたエレベータホールの奥に見える広間を目指して歩きだした。そこは大きな吹き抜けになっており、巨大なドーム状の天井は中心から黄金色の装飾が放射線状に伸び、最上部にある天窓からは外の光が差し込んでいた。フロアの一角には上品そうなカフェがあり、広間の両側からは古風な作りの階段が弧を描いて下の階に続いている。水島は階段の近くまで歩き、手すりにつかまって階下のフロアを覗き込んだ。
「これが病院?」
眼下に見える光景に病院らしさは微塵もなく、人々の格好も含め、高級リゾート・ホテルとしか見えない。お年寄りや車椅子、水島のように歩行アシスト・デバイスを着けている人もいるが、どうみても健康そうな人の方が多い。家族連れや若者のグループが多く、テニス・ラケットやマウンテンバイク、サーフィンのボードのようなモノも見える。受付には、まさにホテルのようなユニフォームを着た係員が笑顔で対応しており、入口近くにはコンシェルジュ・デスクまである。広間の中央には水が流れるオブジェがあり、ほどよく軽快な音楽を奏でるピアノ演奏の周囲は、ちょっとした人だかりができている。
「メルクーリは世界第2位の医療コングロマリット、ここは、その本部キャンパスにある病院です。このキャンパスは研究が中心で、オーランドやサンディエゴ、ハワイのような観光地ではないので、病院としては、そんなに華やかじゃないそうですが」
「華やか?病院が華やか?・・・ここ、全然、病院に見えないんだけど?」
「生前の水島さんの時代とは、ずいぶん違うかもしれないですね」
「例えば?」
「今の時代、怪我や病気になると、普通は、まず自分のヒューマノイドへ看護師やホームドクターのプロウェアをダウンロードして自宅で診察します。」
「でも、診察や治療に必要な機材はどうするの?」
「病院が機材の宅配レンタル・サービスをしています。ホームドクターでは対応できない病気や怪我の治療になって、はじめて病院の医療スタッフ、主にヒューマノイドですが、登場します。」
「この時代、病院はレンタル業者なの?というか、これって、建物も客もリゾート・ホテルにしか見えないんだけど・・・」
「私が知る限り、メルクーリは医療・ヘルスケアの各種レンタル・サービスを提供しています。それから、医薬品や各種治療デバイスの開発、水島さんが使われている歩行アシスト・デバイスのような製品も開発、販売、レンタルしております。でも、ビジネスとしては、ヘルス・ツーリズム事業と、医師や看護師、リハビリ・トレーナーのプロウェアなどのソフトウェア事業の比率がかなり大きいようです」
「・・・ごめん、かなり理解できてないんだけど。・・・病院って、怪我や病気を治しに来るところじゃないの?」
「ええと、水島さんの生前は、それが主な機能だったようですね」
「今は違うの?」
「まず、怪我や病気を治すのは医療です。医療は、ご自宅で実施されることもあれば、病院で実施することもあります。一方、社会的機関としての病院の役割は、怪我や病気を治すことから、怪我や病気になりにくい身体にするための機関へと重心をシフトしてきました。今から30年くらい前からです。」
「治療の医学から予防の医学へ、ってやつか。でも、なんでリゾート・ホテルなの?」
「いくつか理由があります。まず、患者が来なくなった小さな病院は経営難に陥りました。一方、観光業界も移行期にありました。水島さんの時代にもあったと思いますが、個人宅を宿泊施設として貸し借りするオンラインのマーケット・プレイスが普及し、付加価値が高くない観光ホテルは経営に行き詰まりました。そういった中、経営難の病院と付加価値の低い観光業界が提携するようになりました。」
「・・・他の理由は?」
「メディカル・ツーリズムによる啓蒙効果があります。アメリカのように医療費が異常に高かったり、欧州のように病院が混みすぎて予約だけで1年以上掛かる、という問題を回避するため、医療費が安く、病院がそんなに混んでいないアジアやメキシコで海外旅行とセットで治療を受ける、というサービスが一時期、盛り上がりました」
「僕の時代の出来事だな。友人がメキシコで肝臓の手術をしたよ。アメリカ国内では、とても手が出ない医療費だったので。僕の癌の治療費も保険でカバーされてもなお、自腹の出費は凄まじかった。」
「水島さんは、ちょうど節目の時代を過ごされたのですね」
「当時は、意識してなかったけどね」
「メディカル・ツーリズムは新たな産業として期待されましたが、同時に消費者へは、家族やグループで旅行しながら、健康について考える新しい機会、習慣、啓蒙活動に繋がりました。観光と健康の融合です。年1、2回リゾートに行く時に、ついでに病院の設備を使って身体を丹念に調べ、身体に悪いところがあれば、その機会に治療する。健康な場合には、日頃の体調管理の習慣を学び、身に付ける。それが、病院に行く主な目的になりました」
「日頃は、自分の歯は自分で磨いてメンテナンスするけど、年2回、歯医者に検診に行くついでにクリーニングしてもらうようなものかな?」
「ええと、ちょっと調べさせてください・・・はぁ、なるほど。水島さんの時代のアメリカの歯科保険の仕組みは、そうだったんですね。そうですね、歯のクリーニングのイメージに近いかもしれません」
「検診の設備を借りるためだけに宿泊に来るの?」
「多くの人は、健康管理や美容のための食事や体力増進プログラムに参加しながら、ゴルフやテニス、サーフィンやダイビングなどのレジャーを楽しみます。そして、ここでの出会い、人と人との繋がりを楽しみにやってきます。そういう意味で、病院はソーシャル・ネットワーキングの場となっています」
「オンラインでなく、わざわざ、高い病院でソーシャル・ネットワーキング?」
「 実は、普通のホテルより安いんですよ。 滞在者は、ご自身が連れてきたヒューマノイドに面倒見てもらうので病院側のコストはホテルと変わりません。医療設備のレンタルやレストラン、体力増進プログラムや、その他、観光収入が入ります。さらに、国から補助金も出ます。国民が健康になれば医療費削減に繋がるので」
「ふーん、ヒューマノイド(=人類最大の脅威)が前提の社会だなぁ」
「実は、業界のリーダーとして、このような仕組みを築き上げたのがメルクーリ・リサーチ・インスティチュートなんです。元々、メルクーリ・クリニックという小さな病院だったそうです」
「へぇ、そうなんだぁ」水島には、これが、この時代の病院だという現実を受け入れるしかなかった。手すりに寄りかかり、もう一度、そこからの景色を目に収める。水島の生前のアメリカは遠くから見て豪華だと思う建造物も、近づくと、大抵、張りぼてでがっかりした。が、この建物には本物の重厚感がある。この50余年、アメリカも変わったのかもしれない。
2人はエレベータを最上階で降り、ロビーのあるドームを背に南へ続く蛇行した道をゆっくりと歩く。濃い緑に覆われたサンフランシスコ半島の峰を間近に臨む巨大な病院の屋上は、バラとブーゲンビリアと共にカリフォルニアの野花が散りばめられた遊歩道になっていた。
「水島さんは、野生の花がお好きですね?」
「何でそう思う?僕のプロファイルに書いてあった?」
「いいえ。昔の写真投稿型ソーシャル・メディアで水島さんのアカウントがあったので。花の写真がいっぱいありました」
ライトグリーンの芝生をベースに、艶やかなオレンジ色のカリフォルニア・ポピー、独特な形状のプレーリー・ファイヤ、まん丸の白い丸を絵で描いたようにライトブルーの5枚の花びらが囲むベイビー・ブルー・アイ、空中に赤い絵の具を蒔いたようなレッド・ラークスパー、・・・サンフランシスコ・ベイ・エリアのトレイル(散歩道)であれば、どこにでも咲いている花々だ。アメリカン・ロビンのさえずりが聞こえ、誰も泳いでいない水色の飾りプールの水面には、そよ風が銀のレースのような小さな小さな波を無数に生み出している。
水島とクレオは、道沿いに置かれたベンチに座る。水島はクレオから受け取ったボトルの水を飲みながら話し始める。
「週末は、カンダのバイクでよく出かけた。休憩がてら撮影した野花が、あのサイトの写真だ」
「じゃあ、カンダは私が初めてじゃないんですね?」
「ああ、あいつも、いい相棒だった。無口だったけど」
「あそこにバイクのレンタル・ショップがありますよ」
「屋上にバイク?空でも飛ぶのかい?」
「飛びます」
「素晴らしい」
1台のエアー・バイクが飛び立った。ふわりと10メートルくらい浮き上がると、小さく弧を描いて旋回し、山を越え太平洋へ向けて飛んで行く。それは玩具のような乗り物だった。おそらくドローンから進化した乗り物だろう。水島の生前もオーストラリアや中国のスタートアップが、ドローンベースの乗り物を開発していた。
「バイクというより、形は車に近いね」
「乗った感じがバイクに近いのでエアー・バイクと呼ぶそうです」
「あれは、自動運転で飛ぶの?」
「エアー・バイクの醍醐味は、自分で運転できることです。もちろん、安全確保のため、危険が近づくと自動運転に切り替わりますが」
この時代、運転の楽しみは路上から空中に移行したようだ。クレオによると、ほとんどの公道は人による運転を締め出した。人による運転は、事故発生率が自動運転より3桁高く、また、渋滞の主な原因と分析されたそうだ。自動運転車だけが走るハイウェイは、交通量の多い時でも巡航速度が時速300キロを優に超え、普通の人間が運転できる領域を超えた。一方、運転する楽しみは2つの方向へ移行した。1つは、サーキットなどスポーツとして運転を楽しむ場へ、他方は空中へと。
「(50年のタイムシフトかぁ。これから恐ろしい違いに遭遇するんだろうな)」
「明日、上杉先生が病室に来られます。」
「(こいつとも恐ろしい遭遇だったな)明日はリモートじゃないんだ。生の上杉先生と初対面か」
「そろそろ、お部屋に戻りましょうか?」
「ここ気に入っちゃった。また、明日も来よう」水島は、そう言うと足に流れる電流を感じながら歩き始めた。心なしか歩幅が広くなった感じもしながら。