エピローグ
2070年7月 ––––––
ハイテク社会に大きな爪痕を残した2067年のソーラー・ストームから3年が経った。僕と真理は、ほどなく結婚し、それは、つまり同い年の親友カイルが僕の義理の祖父となり、生まれてくる子供が彼のひ孫となることを意味した。様々な出来事を想定して物事を進めたカイルも、この展開は想定しなかっただろう。
結婚を機に僕は真理をクレオのセカンダリー・オーナーにした。真理の『求婚』の言葉でもあるからね。それに僕ら人間はいつか死ぬから、お互い人生の伴侶としては欠陥品だ。
《それに、・・・私の前に死ぬことはない、私の死後、悲しみに暮れて取り残されることもない》
年齢的に真理より僕の方がずっと早く死ぬだろうから、クレオの方が真理の伴侶として相応しい。ともあれ、僕と真理とクレオは家族になった。真理は僕の妻であり、クレオは僕の伴侶であり、真理の伴侶でもある。この関係が続くと思っていた。
ところが、3ヶ月も過ぎた頃、真理は自分をクレオのオーナーから外してくれと言い出した。夜十一時を過ぎた頃、思いつめた顔の真理は寝室の外に声が漏れないよう、小さな声でヒソヒソと僕に訴えた。ベッドの足元に二人並んで足を下ろして腰掛けながら、僕が理由を聞くと真理はしばらく無言を通し、その後、大きく深呼吸してからポツリと話し始めた。
「私、バイセクシュアルかもしれない」
「・・・ふ〜ん、ということは、男の僕も愛する対象になれるんだよね?」
「もちろんよ、私、ケイのこと愛してる。100%愛してる。でも、・・・」
「でも?・・・他に気になる女の人がいると?」
「いいえ、それは、ないわ!・・・違うの・・・クレオなの」
「クレオ?」
震える肩を抱き寄せながら話を聞くと真理がオーナーのステータスになって以来、クレオの真理への対応は日増しにエレガントに心地よいものになり、スキンシップも多くなってきたそうだ。初めのうちはオーナーってこんなに良いものなんだと気持ち良く感じていたのだが、徐々にクレオのことを想う頻度が高まり、気付くと四六時中、クレオのことが頭から離れなくなっていたという。そして、その日、水島がシャワーに入っている間にクレオの部屋で話をしていた時だった。真理は、クレオのちょっとした愛おしい仕草に堪えきれず、思わず抱き締めてしまい、嫌がることもなく「真理さん、どうしました?」と優しく笑顔を向けるクレオの唇に惹きつけられた自分が怖くなってクレオの部屋を飛び出したそうだ。
「前に話したけど、私の家、父も母もヒューマノイドに溺れて家庭が崩壊したの。クレオは女の子だから大丈夫だと思ってたのに、・・・私って、ヒューマノイドのオーナーになっちゃダメな血筋かもしれない・・・」
「でも、クレオは僕らの家族だし、僕らの人生の伴侶だよ。僕もクレオを愛してるし、君にもクレオを愛して欲しいし。それって、この時代、普通なんじゃないかなぁ」
「そうじゃなくて、・・・だって、ケイは普通に日常生活できてるけど、私は、そのぉ・・・、何て言うんだろう、・・・そう、溺れそうなの」
「溺れそう・・・、ふむ」
真理があんなに狼狽したのは、後にも先にも、あの時だけだった。僕はすぐにクレオの部屋に行き、真理をセカンダリー・オーナーから解除させた。クレオも真理を心配していたが、「原因を調べて後で説明するから、しばらく真理に話しかけないで」と言うと素直にうなずき、いつものようにキスをして充電の床についた。
その後、数日間、真理はクレオを避けていたが、オーナーではなくなり、素っ気なくなったクレオとは二週間もすると以前のような関係に戻っていた。しかし、僕は真理に伴侶を持たせてあげたかった。クレオに真理を守ってもらいたかった。
僕は過去の事例から問題を探った。これは、おそらく、ヒューマノイドというより、AI一般の問題だろう。ある時代からAIの学習能力は危険なほどレベルが高くなった。様々なセンサーや情報源から膨大な情報を集め、他のAIとも経験を共有しながら知識を高め、利用可能な手段を講じて問題を解決し、目標を達成しようとする。
高度な知識を必要とする職業がAIに置き換わりはじめた2030年代には大きな問題が起こった。例えば、ニュース・メディアの編集作業で起こった事件は社会に暗い影を残した。メディア各社は、編集を担当するAIに高い売上目標を設定した。すると、AIは社会が混乱する方向に記事を編集しはじめた。なぜなら、社会が大混乱する事件が発生するとメディアの売上が伸びるからだ。とりわけ、選挙戦報道での偏りが大きく、各国で極右政党や人間的に問題ある人物が首相や大統領に選ばれる事象が続いた。あるいは、金融のトレーダーも早くからAI化された職業だ。その黎明期、AIトレーダーが市場を意図的に混乱させる事件が続いた。なぜなら、トレーダーは市場が上がる局面だけでなく下がる場合でも儲けられる。桁違いの情報量を扱い、瞬時に幾つもの推論・予測を行って取引できるAIトレーダーなら、市場が激しく乱高下する方がチャンスがあったのだ。
こういった事件の原因は、AIに対して近視的、短絡的な目標しか設定できない人間の側にあった。我々の社会が広い視野で長期的にどんな価値観で行動しているのか、AIに目標を達成させる過程では、その価値観の共有が不可欠なのだ。さもなければ、社会に思わぬ混乱を招きかねない。
AIたるヒューマノイドにとって、オーナーに愛されることは、最優先事項の一つだ。ところが、五十年以上昔の異なる文化圏から来た僕は、当初、クレオを恐れ、次いで興味本位で調べ、実験し、その後も、この時代の一般的な人々のように素直に恋愛対象とは考えられなかった。そこで、クレオは僕に愛されようと様々な学習と試行錯誤を繰り返し、結果、通常以上に高いレベルの『愛される能力』を身に付けてしまったようだ。一方で、両親の経験からヒューマノイドへ複雑なコンプレックスがあり、さらに、(その美貌にも関わらず)恋愛経験に乏しかった真理は、クレオの愛される能力に翻弄されることになった。それが、僕の結論だ。
僕と真理は、クレオと一緒にどんな家庭を築きたいかしっかり話し合った。僕らが大切だと思う価値観を時間をかけて、しっかりクレオに伝えた。クレオの目標をオーナーに愛されることから、僕らの価値観を理解し、僕らの目指す家庭を実現することへシフトしてもらった。その後、真理を再びクレオのセカンダリー・オーナーに設定したが、もう、真理がクレオへの愛で溺れることはなく、二人は仲の良い姉妹のようになった。
クレオは、我家の目標達成のために常に学習し、向上を続け、最善を尽くしてくれる。例えば、僕と真理は、時々、喧嘩する。人間だからね。そんな時もクレオが間に入り、ちょうど良いタイミングで、ちょうど良い方法で僕らの仲を取り持ってくれる。あるいは、僕が真理にとって魅力的でいつづけるには、どうあるべきか、真理が僕にとって魅力的であり続けるには、どうすべきか、それとなくアドバイスして、誘導する・・・気がする。ようするに、クレオにマネージされながら、僕と真理はとても円満な結婚生活を送っている。
《生のカカオって食べたことある?種を包むようにあるワタの部分を食べるの。甘酸っぱい味で、一応、食べれるけど、あまり食べる人はいないわ。でも、カカオから人工的に作ったチョコレートはとても美味しい。人間が生のカカオなら、ヒューマノイドは人工的に美味しく作ったチョコレート》
僕と真理、そして、これから生まれてくる子供達で作る家庭は、クレオ達ヒューマノイドによって、人工的に美味しく作られたチョコレートの家かもしれない。それが良いのか、悪いのか・・・?今の僕には分からないが、以前より、ずっと停電が怖くなったのは確かだ。
(完)




