アルバムの中
真理は右手でヘルメットを高く突き上げながらはしゃいだ。
(真理)「水道が使えるということは、シャワーよ、シャワー!」
(水島)「でも、電気ないから水風呂だけどね」
(真理)「構わないわ。帰ったら、すぐに入る!」
(水島)「帰る前に寄りたいところ、あるんだけど、いいかな?」
(真理)「え、・・・もちろん、いいけど、どこ?」
(水島)「ちょっと気になる人がいて」
そういうと水島はヘルメットをかぶりバイクに跨った。真理を後ろに乗せ、海岸線を5、6分走って市街地へ向かい、海岸から1キロほど内陸へ走ったところでバイクを停める。以前、歩いて来た時には観光客で賑わっていた商店街。
(真理)「この商店街に何があるの?」
ほとんどの店が閉まり閑散としているが、水島が一輪挿しを買った小物屋は開店しているように見えた。しかし、店の中に美佳子という名の老婆はいない。耳を澄ましても人の気配はなく、水島は大きな声で呼びかけた。
(水島)「こんにちは。誰かいますか?」
水島は声をかけながら店の奥へどんどん入っていき、真理もその後を追った。
(真理)「ここって、ケイと同じ年生まれのお婆さんがいた小物屋さん?」
(水島)「うん、ヒューマノイドと一緒に暮らしてるんだが、停電でどうしてるかなって思って。誰かいませんか?」
声をかけるが返事はない。店から家に通じる扉を横に引くとスルリと開く。
(水島)「美佳子さん、いらっしゃいます?」
そう言いながら中を覗くと座りテーブルの傍で老婆が倒れていた。水島は老婆に近づき、声をかけ、額に手を触れ、見よう見まねで脈を確かめる。体温はある、少しだが脈の鼓動も感じる、が意識はない。
(真理)「大丈夫?」
(水島)「生きてはいるが、・・・分からない」
(真理)「救急車も呼べないし、メルクーリに連れていく?」
部屋の中を見渡すとキッチン・テーブルの椅子に竹細工を手がける老婆のヒューマノイドが凍りついたように座っていた。
(水島)「彼のバッテリー、完全に尽きてるんだろうか?」
真理が試しにヒューマノイドの電源をオンにすると、彼はゆっくりと動きはじめた。
(真理)「バッテリー残量は2%」
真理は椅子の上の充電シートの数値を読み上げる。ヒューマノイドは状況を認識すると、老婆へ素早く駆け寄り、老婆の脈を取り、熱や血圧を確認し、茶箪笥から医療器具を取り出すと何やら処方しはじめた。この時代、ヒューマノイドはホームドクターでもある。やがて老婆は意識を回復する。
(ヒューマノイド)「ありがとうございました。この御恩は忘れません」
(水島)「美佳子さんの状態は?」
(ヒューマノイド)「薬の飲み忘れです。発見が早かったので助かりました」
(水島)「今後、どうする?美佳子さん、また薬を飲み忘れるかもしれない。そして、君の充電はほとんど残っていない・・・」
(ヒューマノイド)「電気が欲しいですね。ソーラー発電のある方から電気を分けて頂けないか?車を呼べれば緊急時の給電モードも利用できるんですが」
(水島)「車?それって、車から充電できるってこと?」
(ヒューマノイド)「はい。しかし、現在、交通システムが麻痺してるので車を呼ぶこともできず、どこに停まっているかも分かりません。どこか、街から離れた空き地に停まってるはずですが・・・」
(水島)「車?車?車?あっ、あそこだ、ハイウェイのランプ下にたくさん停まっていた」
(ヒューマノイド)「ハイウェイのランプ下ですか。そこまで歩くバッテリー残量はないですねぇ」
(水島)「バイクがある。真理、しばらく美佳子さんを看ていて」
そういうと、水島はヒューマノイドを連れて、さっき通ったハイウェイの入口までバイクを飛ばした。
ハイウェイのランプ下には、自動運転車が数百台は連なって駐車していた。老婆のヒューマノイドは駐車場の一番奥まで歩き、一台の車のドアを開けて乗り込んだ。
(水島)「ドア、開くんだぁ」
(ヒューマノイド)「本当にありがとうございました、助かりました」
駐車場を見渡すと人影がポツポツ見え、ヒューマノイドらしきボディを車に座らせている。停まっている車をよく見ると、ほとんどの車体の表示板に「バッテリー残量なし」の文字が出ている。この周辺には民家は見えないので、ここにいる人々は遠くから歩いてきたのだろう。
フルに充電するのに3時間かかるそうなので、水島は、一旦、老婆の家に戻った。小物屋の店先から家に入ると、真理が老婆に非常食を食べさせていた。水島は、真理に無言で帰ったことを知らせると、家の中には入らず小物屋の店内にある小さな椅子に腰掛けて外の風景を眺め、そのうち、ウトウト眠りについた。
(真理)「ねぇ、ケイ?・・・ケイ?寝てるの?」
気付くと真理は水島の肩に手を乗せ、後ろから顔を覗き込ませていた。
(真理)「ケイって、磯浜高卒?」
(水島)「ん、ん・・・あぁ〜、寝ちゃってた」
(真理)「ケイって、磯浜高の卒業生?」
(水島)「・・・誰から聞いた?」
(真理)「こっち来てよ!」
真理は、はしゃぎながら水島を家の中に誘った。家の中に入ると、真理は座椅子に寄りかかる老婆の横にあぐらをかいて座り、大きな本を抱えてニヤニヤしている。
(真理)「3年6組だったのね?18歳の水島敬太!」
それは、美佳子が後生大事に持っていた高校の卒業アルバムだった。
(真理)「こちら、お隣、5組の後藤美佳子さん、覚えてる?」
(水島)「後藤美佳子?写真見せて」
水島は真理が抱える卒業アルバムを覗き込み、18歳の後藤美佳子の顔を確認した。それは可憐な少女だった。しかし、水島には一向に記憶がない。ページをめくり、水島が写っている6組の面々の顔を一人一人眺めるが、誰一人思い出せない。いまだ、親の顔も思い出せず、自分に兄弟姉妹がいたのかも思い出せないが、やはり、高校のクラスメートの記憶もないらしい。「(カイルとケイコさんだけは、何で覚えてるんだろう?)」
(真理)「ねえ、美佳子さんのこと、覚えてる?」
(水島)「ん、・・ああ、彼女は6組の男子にも人気あった、可愛いって」
(真理)「ねえ、美佳子さん、み・か・こ・さん、み・ず・し・ま・さんって、ど・ん・な・子・で・し・た?」
(美佳子)「水島?あ〜、覚えてねぇなあ〜。5組にそんな子、い〜た〜かなぁ?」
(真理)「5組じゃなく、ろっ・く・み」
(美佳子)「あぁ?こんな、いい男、おったら、声かけときゃぁ、よかったなぁ、ガハハぁ」
(水島)「(まあ、俺は高校時代は目立つ方じゃなかったしな)」
水島は、真理から卒業アルバムの冊子を受け取ると隅々まで見回したが、誰一人、思い当たる顔はなかった。自分自身でさえ、今の自分に似ているという以外で、それが自分であることを認識できなかった。高校の名前は覚えているのに。
(水島)「(ふ〜む、サマンサが蘇生しても俺のことは覚えてないかもな)」
後ろで、真理が美佳子へゆっくり、大きな口調で語る声を聞きながら、水島は久しぶりに人に関する記憶について考えた。
ハイウェイのランプ下から充電が完了したヒューマノイドを回収して小物屋に連れ帰ると、真理を後ろに乗せてバイクを返しに向かった。渡辺の家まで真っ直ぐ帰れば5分もかからないが、バイクを名残り惜しんで海岸線の道を20分ほど遠回りした。その間、真理は水島の腰にしがみつきながらエンジン音に負けない大きな声で歌を歌っていた。
水島は渡辺に礼を言い、渡辺は渡辺で「久しぶりにバイクを走らせて頂いて」と水島に礼を言う。再び居間に招かれ、麦茶を頂き、しばらく談笑した後に渡辺家を出て帰路に着いた。
(真理)「私もバイクで海岸線、走りたいな」
(水島)「停電終われば、公道走るのは道路交通法違反だけどね」
(真理)「あら、今だって違反よ」
(水島)「そうだっけ?」
充実した時間を過ごした水島の横で、気分が高揚している真理は口笛を吹いたり、水島の知らない歌を口ずさむ。真理は2030年代の古い時代の音楽が好きなんだそうだが、それは水島には新しすぎた。落ち着いたデザインの野菜工場のある角で曲がると、その真向かいに水島のマンションがある。マンションの階段を登り終えるとリュックサックを背負った花玲奈が目を真っ赤にして待ち構えていた。
(花玲奈)「華那太が、華那太が止まってしまいました。また独りぼっちです」
(水島)「うん、クレオもだよ(父親のいる札幌に避難しなかったのかよ)」
水島は、そっけなく答え、部屋の鍵を開けて中に入る。花玲奈も忍者のようにさっと忍び込んだが、母猫が子猫を運ぶように、水島は花玲奈の服の背中をつまみ、ドアから放り出した。