水先案内人
(上杉)「我らが救世主のご登場ですな」
(水島)「単なるお邪魔虫かもしれません。業者の倉庫に果たして到達できるか、ちょっと不安です」
(上杉)「くれぐれも事故に遭わないように。知っての通り、誰も助けに行けないし、それどころか、事故に気付くことすらできません」
四日も病棟に寝泊まりしているので、さぞかし、やつれているかと思いきや、上杉はいつもと変わらぬ顔をしていた。
「(重篤の患者にやつれた顔など見せられないか)」
一昨日、一度だけ先方と連絡が取れ、水島がうかがう旨を伝えたが、その後は通信不通だそうだ。通話を中継する無線の基地局で何かトラブルがあったか、あるいは、単に電力を失ったか。上杉は、淡々と水島に依頼内容を伝える。
(上杉)「青梅の倉庫は、ここから往復160キロもあります」
(水島)「車が一台も走ってないハイウェイなら2時間かかりません。それより、荷物はどれくらいの大きさですか?このリュックに入りますか?」
(上杉)「このケースで3箱です」
上杉が指差したのは、長辺1メートルを超える大型のクーラーボックスだった。
(水島)「こんな大きいんですか?これを3つは、・・・ちょっと無理です」
(上杉)「いえいえ、これを運ぶのはドローンです。水島さんは、ドローンの水先案内人です、GPSが使えないので」
この時代、薬や消耗品は、自動運転のドローンで病院まで運ばれるそうだ。だが、今はGPSが使えない。が、ドローンには追跡モードがあるので、追跡のターゲットを水島に設定してメルクーリまで運ばせよう、というアイデアだ。
(水島)「それなら、難しくないでしょう」
(上杉)「そう言って頂けると助かります」
水島は、軽く右手を上げて上杉に挨拶すると一階へ降り、エントランス付近でクレオからもらった地図を広げ、もう一度、場所を確認した。
(水島)「(倉庫はハイウェイ降りてすぐ、簡単だ)」
トライアンフに跨り、キックスターターを地面めがけて蹴り込む。「ギュルル」またも掛からない。「ギュルル、ギュルル、ギュルル」水島は、ため息をついてバイクのシートに座り込む。ふと、真理がエンジンをかけた時の姿を思い出して真似をする。左足をステップに乗せて立ち上がる。右足をスターターのペダルに乗せ、目をつむり大きく深呼吸する。右手でスロットルを何度か回し、目を開けると腰をストンと沈めながら同時に右足でスターターを蹴り込む。「ギュルル、ブルルーン、ドゥドゥドゥ、ブルルーン、ドゥドゥドゥ、ドウィ、ドゥドゥドゥ・・・」水島はホッとし、しばらくスロットルを回したり戻したりした後に、バイクのスタンドを折りたたんで出発した。
車が一台も走っていない湘南の道を走るのは斬新な経験だ。まだ梅雨の空だが、南国のように美しくなった海岸線には思わず視線を奪われてしまう。渡辺氏の行き届いた手入れのおかげで、齢百十一歳になるバイクのエンジンは時速60マイル(約100キロ)でも余裕がある(※トライアンフ・タイガー・T110の110は、当時最速の時速110マイル(約180キロ)で走れるという謳い文句からついた名前)。
海岸線に別れを告げ、街中に入るので、一旦、スピードを落とす。やはり道路に車は一台もない。しばらく北上してからバイクを停め、背中に背負ったリュックからクレオの描いた地図を取りだす。まもなくハイウェイの入口のはずだ。クレオが描いたプリンタで印刷したような精緻な地図には、要所要所にランドマークが記載されている。ハイウェイの入口へのランドマークも書いてあり、その横に「日本は左側通行なので間違わないように」と注意書きがあった。「あっ」水島は、メルクーリから、ここまで、ずっと右側を走っていたことに気付き苦笑いする。地図をリュックに戻し、スミスズ社製の計器のトリップメーターをゼロにする。そして、左手でクラッチを握り、左足でギアを一速に落とし、左側からハイウェイに乗り込んだ。
「(ここって、以前は線路の上?)」
そう思いながら、ランプからハイウェイの下を覗き込むと、そこには、見渡す限りびっしりと自動運転車が駐車していた。
「(な〜るほどぉ、こういうところで待機してるのか)」
ハイウェイにも、やはり車は一台も走っていない。クレオから聞いていたが、ハイウェイには人が読める標識もなく、道には車線すら引かれていない。左右の格子模様のある壁は水島の生前よりかなり高く、カーブの路面にはレーシング・サーキットのような急な傾斜が付いている。外の景色がよく見えない。ここからは、トリップメーターだけが頼りだ。1980年代のビデオ・ゲームのように単調な道に自然とスロットルを開けてしまう。しかし、時速90マイル(約145キロ)を過ぎたところで、突然、バイクのボディが暴れ出し、慌ててスロットルを戻した。
「(君は80マイル(約130キロ)あたりがお気に入りなんだね)」
左手であやすようにタンクを叩く。単調な道を25分ほど走ると、トリップメーターが予定の値に近づいてきた。スピードを落とし、トリップメーターの一番右、十分の一マイルを単位とする赤い数字を確認しながら「ここだな」と思った出口で降りると、はたして医薬品のディストリビューター大手、スズパレッサ・ホールディングスのロゴのあるキャンパスが見えた。閑散とした道をゆっくり進み、スズパレッサ社のある敷地へつながる門を通り抜ける。バイクを一旦停めてリュックの中に手を入れて地図を探していると、男が一人近づいてきた。
「メルクーリの方ですね?」
男は、社長の鈴木と名乗った。水島は応接室に通され、お茶とお菓子を社長直々に振舞われた。
「メルクーリは、あなたのような方がいらしてラッキーです」
鈴木は、そのフレーズを何度か繰り返した。鈴木の話によると、この停電で、本来、薬が必要な人、約3万人がそれを手にできないでいるという。そして、うち千人弱が重篤な病気を患い、薬を入手できないがために生死の境を彷徨う可能性があるという。
「その数字は、御社の顧客だけで、ですか?」
「はい、私どものお客様だけです。他社も含めるとすごい数になると思います」
「・・・」
「水島さん、もし、可能でしたらですが、他の病院にも薬を届けて頂くことは可能でしょうか?」
水島は心苦しそうに、燃料が限られていることを説明した。
「いやいや、水島さんは立派です。メルクーリの患者さんだけでも助けて頂ければ、この分野に身を置くものとして感謝の気持ちでいっぱいです」
「・・・この停電、いつ終わるんでしょうね?」
「・・・早く回復して欲しいですね」
二人は、お茶を飲み終えると立ち上がり、水島はバイクと一緒に荷物のある倉庫へ向かった。そこでは、既に大きなクーラーボックスが備え付けられた大型のドローンが3台並んでいた。鈴木はドローンにバイクに跨った水島をぐるりと360度撮影させ、追跡モードをセットした。これで、ドローンは水島を認識し、水島の後を付いていく。
キックスターターを蹴り込みエンジンをかけると、水島は鈴木に一礼し、来た道を逆に向かって走り出した。水島の後方、上空には3台の大型ドローンがその後を追う。鈴木からは「ドローンの速度は時速160キロまでなので」と言われたが、水島が運転するトライアンフなら何の心配もいらない。ハイウェイの途中で何度か後ろを振り返ったが、ドローンはいつも同じ位置で安定して水島を追尾していた。
水島がメルクーリの第7病棟に到着すると上杉は3体のヒューマノイドを引き連れて出迎えた。3体のヒューマノイドは、水島に笑顔で会釈すると、ドローンとクーラーボックスを抱えて病棟の中に入っていった。
「お疲れさまでした」
「いえ、上杉先生の大変さに比べれば大したことないです」
上杉は、水島を一号棟の小さなカフェテリアへ連れて行き、真理も呼んで病院の調理場で作ってもらったおにぎりを食べた。
(上杉)「どうでした、道中は?」
(水島)「文字どおりガラーンとしていて、あまりの単調さに運転しながら眠くなりました」
(上杉)「鈴木社長は、お元気でしたか?」
(水島)「鈴木社長しか会いませんでしたね。人もヒューマノイドも、誰も姿が見えませんでした。社長自ら、お茶を入れて頂いて」
(真理)「スズパレッサって、一部上場の会社でしょ?」
(水島)「そういえば、ずいぶん、大きなキャンパスだったな」
(上杉)「鈴木社長、何か言ってましたか?」
(水島)「他の病院にも薬を運んで欲しいと。燃料がないので無理ですが」
(上杉)「・・・そうですか、そうでしょうね」
(水島)「・・・変なこと聞きますが、メルクーリのエナジー・ストレージや発電システムには、警備システムが作動してます?」
(上杉)「電力系のシステムにですか?どうでしょう、そういったことを管理しているヒューマノイドに聞けば分かりますが」
(水島)「そうですか・・・」
(上杉)「電力系のシステムがどうかされましたか?」
水島は、渡辺の家に集まっていた地域住民の様子をかいつまんで伝えた。
(上杉)「つまり、電気を求めて盗電をはじめる輩が出てくるかもしれない、と?」
(水島)「・・考え過ぎかもしれませんが、彼らの眼付き、ちょっと普通じゃなかったんで、気になりましたね」
(上杉)「ふむ、まあ、こんな時だから、何が起きるか分かりません。担当者に言っておきます。あ、そうだ。たった、今、いいニュースがありました。水道が流れるようになりました」
地域の対策本部の取り組みで、自然エネルギーなどから利用できる電力は、まずはライフラインの水道施設へ優先的に割り振ったそうだ。
(上杉)「実は電気や食料より、水がやばい状態になってまして。でも、これで、とりあえず、一安心です」
上杉は、そういうと皿を持って立ち上がり、職場に戻って行った。