オーロラ
気が付くと計画停電が始まる夜9時を過ぎていた。水島の部屋は、送電網からではなく、マンションのエナジー・ストレージから電力供給を受けることになったが、その変換の瞬間を感じることはなく、これからCMEが来ることを知らなければ停電になったことに気付かなかったであろう。
「クレオ、どうしちゃったのかしら?まるで病気になったみたいに、さっきからロッキング・チェアーでぐったりしてるけど」
「ああ、あれは、省電モードだよ。このマンションにいるヒューマノイドは皆んな同じ状態だと思う。できるだけ動かず、静かに状況をモニタリングしてるんだ。体を動かさなければ電力消費も少ない。36時間分の電力でも、もっと長く活動できるかもしれない。そのために、じっとしてるそうだ」
「そういうことね。そういえば、メルクーリでは計画停電中は160体ある看護師ヒューマノイドを40体だけ残して電源オフにするって言ってたわ」
「ふ〜ん、それができるなら、備蓄されている電力で二週間くらい、なんとかできそうだね」
「ええ、ただ、もし停電が四日、五日と長引くなら、電力より先に薬と消耗品が問題になるかもしれない、って」
「・・・そうかぁ、・・・。上杉先生、どんな様子だった?」
「いつも通り、飄々とした感じよ。完璧なポーカーフェース」
「僕は、あの人、好きだな。・・・病院の外では、どんな生活してるんだろう?」
「上杉先生は、私の祖父母のように結婚して、奥さんと一緒に子供を育て、今も一緒に仲良く暮らしてるそうよ。地味な、お手伝いさんのようなヒューマノイドがいるけど、ちゃんと人間同士で暮らしてるって」
「ふ〜ん。家は近所なのかな?」
「いえ、北陸の方、たしか富山とか言ってたわ」
「すると、このストームでしばらく離れ離れかぁ」
節電のため、なんとか歩ける程度の明かりだけ残して家の中を暗くし、水島と真理は、ベランダに椅子を並べて空を見上げることにした。街がいつもより暗い分、星空がいつもより綺麗だ。満月を五日後に控えた月は雲の陰に隠れ、薄暗い部屋のアンティークな壁掛け時計は、まもなく十一時を告げる。
水島が手洗いから戻ると、真理は体を部屋の方に向けながら、ベランダの手すりに寄りかかり、夜空を見上げていた。その顔には、うっすらと何か怪しい光が当たっているようにも見える。
「私、オーロラ見るの初めて」
水島も真理の横に並んで空を見上げる。はじめは「本当にオーロラだろうか?」というくらい淡い存在だったが、すぐに艶やかさを増し、その存在を確かに知らしめた。北の空から伸びる二本のグリーンの帯は、その数を四本、五本と増やし、紫や黄色のひだも付けはじめる。
「オーロラって、こんなに明るいものなの?」
「1859年のキャリントン・イベントでは、深夜にオーロラの光で新聞が読めたそうだ」
「オーロラの色ってエメラルド・グリーンだけだと思ってた。ブルーにローズ・レッド、ラベンダー、あの辺りはレモン・イエロー、なんで、こんなに多彩なんだろう?」
「空気の2割は酸素、8割が窒素。オーロラは、ソーラー・ストームでやってきた荷電粒子が空気中の酸素や窒素の原子を励起し、それが、元の状態に戻るときに放出される光。で、その時、酸素原子が放出する光が緑。窒素原子の励起状態は2種類あって、それぞれ、青と赤の光を放出するそうだ」
「緑、青、赤、・・・光の3原色ね。つまり、原理的には、どんな色も創り出せると。詳しいわね?」
「いや、さっき、ネットで調べたんだ、暇だったから」
「それを調べてたんだ」
「キャリントン・イベントの時のアメリカの新聞にも目を通した。その時のオーロラは、満月より明るく、すべてのものを優しく包み込むようだった、と」
「ビッグ・ニュースだったのね」
「それが、こんな小さい記事。いや、記事じゃなく、コラムとして2ページ目にひっそりと取り上げられてるだけ。一面は株価や先物取引、あるいは、誰かが逮捕された、ってな感じで、いつも通り」
「まあ、オーロラの原因がソーラー・ストームで、それが文明に被害をもたらすなんてことは、当時、誰も想像もしてない時代ですもね」
「1859年といえば、トーマス・エジソンもまだ12歳、日常生活に電気もない時代だからね。オーロラの発生した深夜12時から1時に起きてた人は、かなり変わった人たちだと思う」
今やオーロラは全天に広がり、黄緑に光る雲の下に富士山が浮かび上がった。水島と真理は、どちらからともなく自然に手をつないで椅子に座り、繊細に優しく包む光に顔を向けていた。
気配を感じ、振り向くとクレオがベランダにやってきた。
(クレオ)「何か変です」
(水島)「うん、こっちにおいでよ。これがオーロラっていう現象だよ」
(クレオ)「いえ、そうではなく」
(水島)「そうではなく?」
(クレオ)「計画停電になってないんですよ」
(水島)「えっ?」
その時、地響きを立てる轟音があり、遠くの地面からは煙も見えた。
(真理)「えっ、なに、今のドーンって音?あの辺で地面が光って、あっ、煙が出てる!」
(水島)「あっちの方からもドーンって聞こえた」
(クレオ)「あっ、今、電源が切り替わりました。停電になり、エナジー・ストレージからの給電になりました」
(水島)「それって、・・・電力系統の保護に失敗した?また『想定外』?」
(真理)「ホントに19世紀へ逆戻り?」