太陽嵐
式部の説明によると、24時間以内に巨大な太陽フレアが発生し、80%以上の確率で地球にその影響が到達する、という警報がスペース・ウェザー・レポートから発せられたとのこと。これを受け、各国政府は国内にいる全ての人々に対し、災害対策を促している。そして、その情報伝達・共有の中核基盤をなしているのがヒューマノイドのようだ。
(中西)「太陽フレアって、太陽表面上での爆発現象でしょう?あれが、地球にどんな災害をもたらすの?」
(水島)「太陽フレアは宇宙空間に高エネルギー線や放射性粒子、荷電粒子などを大量に放出します。そういったものが、運悪く地球の方向に降り注ぐと大きな被害をもたらすことがあります。ソーラー・ストーム、あるいは太陽嵐とも言いますが」
(中西)「放射能で人類は滅亡しちゃうのかしら?恐竜が滅亡したように?」
(式部)「いえ、放射能は地上には届きません」
(中西)「じゃあ、荷電粒子にやられて電気ショックを起こしちゃう?」
(式部)「いえ、荷電粒子も届きません」
(中西)「じゃあ、何が起こるの?」
(水島)「電力基盤を破壊される、つまり、我々の生活から電気が奪われる危険があります。それも長期間」
(中西)「電気が奪われる・・・?でっ、電気?って、えっ?じゃあ、式部ちゃんや翔太くんも動かなくなっちゃうの?」
(式部)「まずは、あわてず、こちらの映像を御覧ください」
そう言うと中西のオフィスの半球の窓が白く濁ってスクリーンに変わり、そこに政府災害対策本部が制作したソーラー・ストームを説明するビデオが流れはじめた。
ビデオでは、まず、ソーラー・ストームで太陽から高エネルギー線や様々な素粒子が飛んでくるが、地球の磁気圏や大気圏を通り越えて地上に到達することはない、だから、高エネルギー線や素粒子、荷電粒子で人類が直接被害を受けることはない、と強調していた。
ビデオは続いて、ソーラー・ストームは、大きく3段階のステップでやってくると説明する。まず、第1段は大量のX線や紫外線などの高エネルギー線。こいつらは光の速度で飛んでくる。太陽上で太陽フレアが発生してから、わずか8分後に地球に到達する。そして、こいつらは、高層大気に悪さをして長距離無線通信に影響する。人工衛星や飛行機の無線通信にも影響するそうだ。運が悪いと飛行機事故につながる可能性もあるが、生命体に直接の影響はないと説明する。
(中西)「飛行機乗ってる人は、やばいのかな?」
続いて第2段階でやってくるのは放射線。高エネルギー線に遅れること数時間で地球圏に到達する。こいつも磁気圏や大気圏で遮られるが、宇宙旅行している人々には危険なんだそうで、遮断設備があまり堅牢でない観光用の宇宙船で旅行中の人は、すぐ帰還するよう警告していた。
(中西)「クリスマスに予定していた宇宙旅行はキャンセルするわ」
そして、最後にやってくるのがコロナ質量放出、CMEと呼ばれる総重量数十〜数百億トンに上るプラズマ、荷電素粒子の雲だ。CMEは比較的ゆっくり、 太陽フレア発生から15時間から100時間遅れて地球の磁気圏に飛来するという。そして、このCMEが問題なのだそうだ。
ビデオでは、太陽で大きな爆発があり、そこから放出された素粒子が雨のように地球に向かって降り注ぐCG映像が流れている。それらの素粒子は地球を包むシールドのように存在する磁気圏で遮られ、地球には侵入できない。しかし、その際、地球の磁気圏に電気を帯びた大量の粒子が発生し、地球の周りをぐるぐる回り出す。釘の周りに銅線を巻いて電気を流すと釘は磁石になる。この小学校の理科でやる実験と同じ理屈で、地球を取り囲む磁気圏で電気を帯びた粒子が大量に発生し、地球の周りを高速で回り出すと地球上に磁場が発生する。結果、地球に元々ある磁場、方位磁石を南北に向ける地磁気に変動を与える、いわゆる磁気嵐と呼ばれる現象が起こる。
(中西)「磁場が発生って、あっ、金属のネックレスやピアスしてるとヤバイのかなぁ。体が地球に貼り付いちゃうとか?」
(式部)「いえ、全然、問題ありません。発生する磁場はとても弱いです」
(中西)「方位磁石が狂って迷子になる?」
(水島)「(この人、どこまで本気で言ってるの?)」
(式部)「いえ、それもありません。影響といっても、せいぜい、地磁気の1%程度の変動しかありません」
(中西)「・・・地磁気って弱いじゃん。そのたった1%?それだけ?」
(式部)「はい、なので、私のような電化製品も影響ありません」
(中西)「じゃあ、問題ないじゃない。何でこんなに騒ぐの?」
(式部)「いえ、私のような小さな電化製品は影響ないんですが、送電網のような大規模な社会基盤には驚異なんです」
ビデオでは、再び理科の実験映像が流れる。銅線を巻いたコイルに磁石を近づけたり離したりすると銅線に電気が発生する。磁場が変動すると近くの導電体に電力が発生する現象だ。磁気嵐での磁場の変動は小さいので、我々の身の回りの金属に発生する電気は無視できるくらい微弱だ。しかし、送電線やパイプラインのような何十キロ、何百キロにわたって導電体が続く設備では、積もり積もって巨大な電力を発生してしまう。
(式部)「こちらが、人類がはじめてソーラー・ストームの被害にあった時の映像です」
そう言うと、式部は1859年に起こったキャリントン・イベントと呼ばれるソーラー・ストームのビデオを流した。キャリントン・イベントは『メガ・ストーム』、あるいは『スーパー・ストーム』と呼ばれる巨大なソーラー・ストームであり、これが歴史に名を残したのは人類がはじめて被害を被ったソーラー・ストームだからだ(※『キャリントン』は、原因を突き止めた天文学者の名前)。ビデオでは、黒焦げになった電柱が幾つも映し出された。
(中西)「あら、これって昔の送電線かしら?」
(式部)「いえ、当時は、まだ送電網は普及してません。これは、テレグラフという古い通信手段のラインです。当時、導電体が長距離にわたって続く設備は、これしかありませんでした。なので、被害はそれほど深刻にはなりませんでした」
(中西)「なるほどね。世界中に送電や通信、パイプラインが敷き詰められた今の時代、巨大なソーラー・ストームがやってくれば、あちこちで巨大な電気が発生して社会基盤が破壊されまくると」
(水島)「それに人工衛星も機能不全に陥る」
(中西)「通信もGPSも使えない。すると金融システム、すなわち経済活動もストップ。移動手段もなくなり、国防システムも機能しなくなる」
(水島)「地震や津波、台風などの災害では、被害はある地域に限定されるので、他の地域から援助を求めることができます。しかし、ハイテク社会が『メガ・ストーム』の被害にあった場合、それは地球規模で起きるので他の地域からの支援を期待できない」
(中西)「あらあら、まあ大変!・・・って、でも、ちゃんと対策は打ってあるんでしょう?」
(式部)「はい、2016年10月に、時のアメリカ大統領、バラク・オバマ氏が『スペース・ウェザー・イベント』に対し十分な対策をせよ、という大統領令を発令して以来、アメリカや日本政府をはじめ、世界各国の政府、大学・研究所、産業界で十分な対策が練られ、施されています」
(水島)「へぇ〜、僕が氷漬けになった後に、ようやく、その手の大統領令が発令されたんだ」
(中西)「ちょっと待ってよ。水島さんの時代も社会は既に電力、通信、人工衛星などのハイテク基盤に頼る時代だったのよね?そんな時代に対策が施されてなかったの?」
(水島)「ええ。アメリカでは、2014年にも、だいぶ騒がれてました」
(中西)「2014年に何があったの?」
(水島)「実際に危機があったのは2012年なんですが、NASAがそれに気が付いたのは2014年に入ってからだったんです。2012年7月に地球のすぐ傍をメガ・ストームがかすめ飛んで行ったんです。地球が1週間前に通っていた公転軌道上の位置に」
(中西)「2年も経ってから気が付くなんて、当時はノンビリしてたのね」
(水島)「まったく。もし、直撃してたら、世界は凄まじい大混乱に陥るところだったのに。しかし、当時の日本じゃ、あまりニュースにもならなかった」
中西は、肩をすくめると式部に2人分の紅茶を頼み、水島を促してソファに座りなおした。
(中西)「で、式部ちゃん、これから、何が起きて、私たちは何をすればいいのかしら?」
(式部)「はい。予報通りの太陽フレアが発生すると、その規模によって計画停電し、伝送網などを保護する処置を実行する必要があります」
(中西)「ということは、まだ、計画停電するかどうか決まってないのね」
(式部)「はい。それは、ソーラー・ストームの第1段が到達するまで分からないんです。そして、計画停電は、第3段のタイミングに合わせて行われるので、第1段の到達から10時間から数日後になるかもしれません」
(中西)「じゃあ、第1段が到達するまでは、特に何もすることなし、と」
(式部)「いえ、今すぐ、行動してもらう必要があります。念のためですが。というのは、ソーラー・ストームの第1段によってGPSと衛生無線通信がしばらく機能不全に陥る可能性があるからです。その場合、自動運転車を基盤とする現在の移動手段は麻痺してしまいます。さらに、GPSは極めて正確な時間情報を得る手段として金融システムを支えてますので、多くのペイメント・システムにも弊害が起き、支払いができなくなります。そうすると避難が出来なくなってしまいます」
(中西)「避難?なぜ、避難するの?」
(式部)「計画停電は、磁気嵐による磁場の変動が収まるまで続きます。そして、その原因となるCMEが一度でなく数回に分かれて来る場合があります。その場合、計画停電が数日続く可能性があり、地域によっては災害対策用に備蓄されているエネルギーや食べ物が底をつく可能性もあるそうです。もちろん、私たちヒューマノイドも稼働しなくなります」
(中西)「・・・それは困るわね。どうすれば良いかしら?」
(式部)「たった今、翔太さんと相談させて頂きましたが、中西先生の場合、岡山県の次女の奏さん宅に避難されるのがベストとのことでした。奏さんのご自宅では、ソーラー発電を始め、磁気嵐に影響されないマイクログリッドが充実しており、避難中も電気が使える可能性が高いです。また、人口に比べ農業・漁業ともに収穫量が多いのも、いざという時の利点です。既に奏さん、それから彼女のお父様からは快諾を得たそうです。翔太さんは、渋谷区のご自宅へ向かわれ、災害時用の備蓄食料と着替えなどを用意して中西先生を待つとのことです」
(中西)「さすがね。じゃあ、そうするわ。水島さんは?」
(式部)「クレオさんのご意見では、ご自宅で待機するのがベストとのこと」
(水島)「うん、クレオからそう聞いている。というか、身寄りのない僕に選択肢はありません。式部ちゃん、君はどうするの?」
(式部)「私は大学所有のヒューマノイドなので、こちらでスリープモードで待機します。中西先生、復旧までに何日もかかる場合、電源が完全にオフになっているかもしれません。その場合、お手数ですが再起動して頂ければと思います」
(中西)「分かったわ。じゃあ、留守中、よろしくね」
そう言うと、中西は式部を優しくハグした。それは、とても人間同士の振る舞いに見えた。
(中西)「なんか、とんでもないことになったわね。単なる避難訓練で終わってくれればいいんだけど」
(水島)「まったくですね。まあ、お互い冷静に行動しましょう」
(中西)「あなたもね。せっかく、この時代に蘇生したんだから、次は、もう少し、長生きしてから死んでね」
なりゆきで水島も中西とハグをしてからオフィスを出た。ショッピングモールへ通じる長いエスカレータは、やはり、いつもよりも混雑している。
「あっ、クレオ?うん、今、中西先生のオフィスを出たところ。車を呼んでもらえる?」
いつもは、車を呼ぶと1、2分でやってくるが、今日はピックアップまで25分もかかるという。ショッピング・モールの店舗は、どんどん店じまいを始めた。店の店員は、皆、オーナーが家で待っているヒューマノイドなのだろう。
車を待つ間、噴水の縁に座り、店じまいした花屋を眺めて時間を潰しているとインタフェースに真理から連絡が入った。
「ケイは、今、どちらですか?」
「K大のキャンパスを出るところ。車を待っている。君は?」
「ベイエリア(サンフランシスコ湾岸地域)の自宅です」
「ソーラー・ストームのことは聞いてるかい?」
「はい」
「君は、どうするんだ?」
「私、一人です」
「来るかい?」
「はい、ご迷惑おかけします」
「歓迎するよ。強い女と一緒なら心強い」
「まだ弱いですが、ありがとうございます」
「いつになく混み合っている。早め早めに行動しなさい」
「はい、では、後ほど」
真理との通話を切り、自動運転車の配車アプリの地図画面に切り替えると、水島をピックアップするはずの車は、まだ、ここから何キロも離れたところにいた。水島のピックアップまで、まだ17分あるという。時刻は午前10時を5分まわり、空を見上げると梅雨の曇り空が垂れ込めていた。
「オーロラ、見えるかなぁ?」