散会
「とりあえず、解決しましたね」
「そうとも言えるのかな・・・」
会議室を出た水島と真理は、午前9時半の誰もいないカフェテリアの窓辺で立ったままコーヒーを飲み、語らいだ。
「メルクーリで起きた事件に関しては、だいたい説明がつきます」
「・・・」
「あっ、そうだ、質問あります」
「なに?」
「サマンサとの話の中で、アシモフの著書『I,Robot』を逆に応用したと言ってましたが、どういうことです?」
「『I,Robot』、読んだことある?」
「読んだことはないけど、映画で見たことあります。確か2000年代の古い映画で、乳白色の顔のロボットが登場する、黒人の刑事が主役の映画ですよね?」
「あ〜、あれねぇ。あの映画は宣伝ではアシモフの名を使ってるけど、アシモフの『ロボット工学三原則』を作品の前提にしただけで、アシモフの著書『I, ROBOT』とは、全く別の作品なんだ」
「ふ〜ん」
アシモフの著作『I,ROBOT』は、1940年代にアシモフが出版した作品をまとめた短編集で、世界的ロボット心理学者のスーザン・キャルヴィン博士の回顧録という形式で記述され、過去に起きたロボットの不可解な行動の謎解きを語るストーリーが収録されている。
----- ロボット工学三原則 ------
第1条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。
第3条:ロボットは、前掲第1条及び第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。
(アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳より)
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『三原則』はシンプルだが、第1条を守るために第2条を無視したり、第3条を第2条に優先させなければならない場合もある。さらに第1条を長期的あるいは人類全体へ適用するならば、ロボットの行動は、さらに不可解に見えることもある。著書『I,Robot』では、ロボットが人間を職場から追い出して軟禁したり、仕事をサボったり、嘘をつきまくったり、重大な法律違反を密かに犯している、などの事件が起こる。そういう、一見、不可解な行動も、実は人間が想定した『前提条件』とロボットが認識する現実が異なるからであり、ロボットが置かれた状況をよく考えると『三原則』を守る妥当な行動であった、という解釈がなされる。
「ふ〜ん、つまりアシモフの作中では、ロボットが『三原則』を破ったように見える事件が起こり、それを登場人物たちがあれこれ調べて、ロボットがなぜそのような行動を取ったのか考え、その結果、『前提条件』の違いを発見して謎を解いた、と。一方、サマンサは、初めに『前提条件』の変化を発見し、それを上手く利用して、ヒューマノイドたちに、それまでフレームワークに規制されてできなかった行動を取らせた。だから、『I,Robot』を逆に応用したと言ったのね」
「うん。まあ、僕も『I,Robot』の内容は、うる覚えだけどね」
「でも、よく覚えてるわね。何度も読んだの?」
「うん、何回も読み返した」
「じゃあ、面白いんだ」
「・・・そうでもない」
「はぁ?じゃあ、なんで何度も読み返したの?」
「そうだなぁ、・・・アシモフは未来を描いた、すごいと思う。と同時に、アシモフでも、未来の予知って、この程度なんだ、と。その両方を感じるからかな」
「よく分からない好みね・・・。『この程度なんだ』と思うことは?」
「例えば、作品の中では2050年になっても、設計図はCADじゃなく紙とペンで作ってるし、コンピュータへのデータの入出力も紙、携帯電話はもちろん、インターネットらしきものも存在しない。宇宙船での食事は缶詰、電子レンジすら考えてないと思う。電子レンジの発明は1945年なのに」
「・・・すごいと思うことは?」
「やはり、アシモフの三原則はすごいと思う。1940年代にあんなことを考えてたなんて信じられないよ。それから、人間を介さずAIによるAIの開発。AIがより複雑で高度なAIを自ら作る、人間を介すことなく。それを何度か繰り返すうちに、人間はコンピュータが何をやっているか、全く理解できなくなった。まさに今の時代のことだよね?アシモフの時代は、AIという言葉もなかったので作品中では陽電子頭脳とかいう言葉を使い、陽電子頭脳が自ら次世代バージョンの陽電子頭脳を作り、何度かそれを繰り返したら、もう人間の手に負えなくなったという挿話があるけど、そんなことを1940年代に考えてたんだからね」
「ケイも70年も昔に、天才サマンサと同じことを考えてたじゃない?」
「アシモフは130年も昔だよ」
「70年も130年も大して変わらないわ」
「まあ、とにかく、メルクーリでの僕の役割は終わったようだ。サマンサには完敗、メルクーリはルリタニア共和国にいいように利用され、僕はまったく役立たずだったけど」
「私たちのタスクは、ヒューマノイドの不可解な行動の原因解明。その意味では、わずか2週間程度で目的達成したんだから上出来よ」
「そうだな。そう考えた方が、精神衛生上、健全だな。さて、次の仕事を探さんとな」
「・・寂しくなるわ。・・・また、遊びに行っていい?」
「ああ、いつでも歓迎するよ。僕は、君のおじいさん、おばあさんの家に、入り浸りだったからな」
「本当?じゃあ、また、次回、来日する時に行っちゃおうかな?」
「ああ、次回は、僕が食事を作るよ。君のおばあさんから教わった料理でも作ろうかな」
「・・・ケイって、家族の記憶ないのに、カイルおじいちゃんやケイコおばあちゃんのことは覚えてるよね?」
「そういや、そうだよなぁ。・・・カルダシェフの病院スタッフも思い出せる。冷凍保存の直前まで会ってたからか?短期記憶は、冷凍保存では維持される?・・・もし、そうだとすると、エリックは、サマンサを思い出せるかも」
「サマンサは、私たちのこと、覚えてるかもね」
「ずっと先の未来で、僕らを思い出す人がいる。なんか、不思議な感じがするな」
真理と別れ、カフェテリアのある建物を出てメルクーリの白い石畳の敷地を歩きながら、ふと第七病棟の入口を素知らぬ顔で入り、エレベータで5階まで上がった。5階の東隅の大部屋、クレオのいるオフィスだ。が、そこにクレオの姿はなかった。
「(まあ、あの忙しさだから当然か)」
水島は、せっかく来たので帰りは反対の西の階段まで歩き、1階降りては今度は東の階段まで廊下を歩き、再び1階降りて西の階段まで歩いていると、327号室から聞き慣れた優しい声が耳に届いた。通り過ぎる一瞬、垣間見える白衣姿のクレオ。かなり高齢の患者と笑顔で会話している彼女の姿はいつも通り微笑ましい。水島は、自然に笑みが浮かぶのを感じながら、さらに下の階へと向かっていると左耳に埋め込まれたデバイスから声がした。
「水島さん、どうかされました?」
水島は、左手首につけたインタフェースを口に近づけ小声で話す。
「いや、会議が早く終わったんで、君の仕事姿をこっそり見に来ただけ。仕事の邪魔してゴメンね」
「ゴメンなさい、今、患者さんたちとのコミュニケーションの時間で抜け出せません。あと15分くらいで終わりますが・・・」
「姿見れたので、もう十分。じゃあ、夕方、家で待ってるね」
メルクーリは、特に言及していないが第七病棟は重篤な患者の病棟になっている。特別な医療設備が必要な重い病の患者が入院している。が、第七病棟には暗さも閉塞感もなく、快適な空間設計と洗練された雰囲気がうまく演出されている。
しかし、この空間が、水島にとって戦場のような場になるとは、この時の水島には知る由もなかった。