別れの時
サマンサの肩越しに見える部屋は、歴史を感じさせる格式高いホテル、あるいは、ルリタニアの古城の一室だろうか。ベッドでの最後の眠りに就く直前だったのだろう、古風なネグリジェに身を包み、その大きく開いたネックラインからは、痩身の鎖骨が浮き出して見える。月色の照明光は映像の中の彼女を優しく包み、机の上に両手のひらを組んで乗せ、背筋をまっすぐ伸ばして椅子に座る彼女の姿は、まるでロマン主義絵画の中の人物のようだ。その口元が何かを語ろうと一瞬開きかけるが、憂いに満ちた瞳をカメラにまっすぐ静かに向けたまま、再び、まばたき一つなく固まる。
(水島)「(およそアメリカ人とは思えないなぁ、この人)」
(Mizushima) “Hello, Samantha Forsyth. Nice to meet you. I think you know me well.”
(水島:「はじめまして、サマンサ。私のことは、良くご存知ですよね」)
(Samantha) “Ha-ji-me-ma-shi-te, Mizushima san”、サマンサは片言の日本語で答え、日本式に頭を下げた。
(水島)「はじめまして」
(Samantha) “Mizusuma, ..Mizushima san ”
(Mizushima) “Kei, call me just Kei.”(「ケイ、ケイと呼んでください」)
(Samantha) “Ok, Kei. I..., I..., well”(はい、では、ケイ、私、私、・・・あの、)
(Mizushima) “Samantha, without irony, I’m really glad to see you.”
(水島:「サマンサ、皮肉なしに、僕はあなたに会えてとても嬉しい。」)
***<以下、会話は英語だが、英文は省略>***
サマンサは、自分に何かを言い聞かせるように2、3度頷くと、再びカメラを見つめて語り始めた。
(サマンサ)「私は皆さん、特にケイには、許されざることをしてしまいました。許しを請う資格もありません」
(水島)「(見かけ通り堅いなぁ・・・)僕には良く分からない、あなたが、僕に許されざることをしたかどうかなんて。それより、僕は感動した、君の目的遂行のために取った作戦立案とその実行力に」
サマンサは少しうつむいて、何か言葉を探している。
(上杉)「お久しぶり、サマンサ。7年ぶりかな、フレッドの面接以来だから」
(サマンサ)「ドクター・上杉、また、お会いできて光栄です」
(上杉)「メルクーリのCEO(最高経営責任者)は怒っているに違いない。が、私も個人的には、君のフィアンセに対する思いとそのための行動力には心打たれたよ。ただし、・・・医者としては、冷凍保存に反対する。特にあなたのように不治の病でもない人には」
(サマンサ)「・・・」
(上杉)「まず第一に、冷凍保存は危険な処置です。生命の危機に瀕しない限り施されるべき処置ではない。第二に、かなりの確率で記憶の一部を失う。理由は解明されてないが、何故か人に関する記憶を失ってしまうケースが多い」
(水島)「僕も家族に関する記憶を思い出せない。蘇生から3ヶ月、この地域に昔住んでいたことは思い出したが、誰と暮らしていたか、未だに思い出せない。家族すらも」
(サマンサ)「・・・」
(上杉)「それから、第三の理由、私はこれを一番危惧しているのですが、」
(サマンサ)「医学の進歩が停滞してしまった、と」
上杉は、しばらくスクリーン上のサマンサを見つめた。
(上杉)「・・・あなたは、今あげた3つのリスクを理解しているんですね?」
(サマンサ)「はい。最初の2つに関しては、私のヒューマノイド達から聞いておりました。それから、3つ目の医学の進歩。エリックが死の淵を彷徨っていた時、当時の医学界は楽天的で、エリックの病気は10年以内に治癒できるようになるだろう、そう言われていました」
(上杉)「2030年代、40年代は、医学も技術も驚異的なスピードで進歩した時代です。エリックが病床に伏した2050年前後は、まだ、その感覚が残っていたのでしょう」
(サマンサ)「はい。・・・あれから16年、残念ながら治療法に具体的な進歩はありません」
(上杉)「あなたは資産家と伺った。ならば、研究ファンドを立ち上げるなり、医療系の企業へ出資するなどして治療法開発を加速されては如何ですか?」
(サマンサ)「はい、この16年、そういった活動もしておりました。ルリタニア共和国でも医療系の研究支援ファンドを作り、今後は同国政府に活動を継続してもらいます」
(水島)「(我々が考えるようなことは、すべて手を尽くしたんだろうなぁ)」
(上杉)「ふむ、そうでしたか」
上杉は胸の前で組んでいた右腕を立て、親指と人差し指で顎を挟んでしばらく考え込んだ。そして、ゆっくりと天気の話でもするように言葉を発した。
(上杉)「・・・この先、医学や科学技術は、再び進歩しはじめるでしょうか?」
(サマンサ)「そう期待しています。歴史を振り返ると、文明は常に右肩上がりで進歩し続けた訳ではありません。様々な理由で進歩は停滞し、時には、文明が後退する時期もありました。しかし、長い時間軸で見ると文明は進歩し続けています。おそらく、今後も・・・」
(上杉)「そう願いたいですね・・・。あなたは、百年単位の眠りを覚悟しておられるのですか?」
(サマンサ)「はい」
(上杉)「ルリタニアの施設は、百年維持されますか?」
(サマンサ)「そこは賭けです」
サマンサは、まっすぐにカメラを見つめて答える。
(上杉)「・・・ふむ。ならば・・・」
上杉は2本の指で顎を挟んだままうなずく。
(上杉)「おっと、もう、こんな時間か、早いなぁ。私はそろそろ行かねばならない。・・・サマンサ、私は、あなたの幸せを願っている。次に目覚めた時代、そこでは、・・その時代では、幸せな人生を歩んでください」
上杉は立ち上がり、サマンサに向かって一度うなずき、水島と真理に軽く目配せすると、振り向くこともなく会議室を出て行った。
(真理)「サマンサ」
ドアの閉まった音の余韻が消え、少しの静寂の後に真理が語りかける。
(サマンサ)「マリー、今まで嘘ついていて、ごめんなさい」
(真理)「いえ、私もあなたのこと、影で調べてたから」
真理は一呼吸してから問いかける。
(真理)「冷凍保存、いつ、されるんですか?」
(サマンサ)「こちらの時間で明日の午後、いえ、12時過ぎたから、今日の午後ですね」
(真理)「・・・もっと色々お話したかった。・・・事件のことでなく、そのぉ、・・もっと色々・・」
サマンサは軽くうなずき、真理は大きくため息をついた。
(水島)「サマンサ、君に一つ聞きたいことがある」
(サマンサ)「はい」
サマンサは、神妙な面持ちでカメラをまっすぐ見つめた。
(水島)「君は、フレッドやエレン、ジーナを使って、いわば諜報活動を展開した。とても優雅に。フローラを使って僕から情報を引き出した件はもちろん、メルクーリ上層部に冷凍保存事業をそそのかしたり、レックス財団やニュー・ホライズン研究所、ルリタニア共和国などを巻き込む活動も、彼らをうまく使いこなして成し遂げたんだと思う。でも、その中で一つ。フレッドがポートランドの旧カルダシェフの施設に忍び込んで警備員に拘束された件について、あれだけは、ずいぶん稚拙な感じがする。あの行動の意味が、僕には、よく分からない」
(サマンサ)「あれは・・・私のミスです」
(水島)「やはり・・・。で、僕が知りたいのは、ここからだ」
水島は椅子に深く座りなおし、大きく息をついて呼吸を整える。
(水島)「君は、ヒューマノイドをフレームワークによる規制を迂回して諜報活動させた。なぜ、そんなことができたんだろう?アプリコット社は、フレッドのボディもソフトウェアも詳細に調べたが何ら改造の跡も見つからなかった。エレン、フレッド、ジーナ、3体とも市販のヒューマノイドですか?」
(サマンサ)「ヒューマノイド自体はノーマルです。私は、単にフレームワークの弱点を利用しただけです」
(水島)「フレームワークの弱点?」
(サマンサ)「はい。フレームワークは、それを規定した理由、前提条件が変わると、うまく機能しなくなることがあります。それを利用しました」
(水島)「前提条件?」
(サマンサ)「今回の場合、人体の冷凍保存です。それまでは、冷凍保存は法的には死者を埋葬する一方式という解釈でした。しかし、2061年のリンダの蘇生で、その解釈の根底が崩れました。エレン、フレッド、ジーナ、彼ら3体はメルクーリで様々なデータに触れ、さらに、自らも各種の実験や蘇生プロセスに参加して、人体の冷凍保存に関する様々な事実や真実に近いと思われる仮説を入手しました」
(水島)「例えば、蘇生できた人は、生きたまま冷凍保存されたのでは、とか?」
(サマンサ)「はい。それまで『生きたままの冷凍保存』は殺人でしたが、それが死ではなく、それどころか、余命幾ばくもない難病患者を救う極めて有効な医療行為となりうる、そういう大きな前提の変化です」
(水島)「僕はフレームワークを詳しく知らないが、それがアイザック・アシモフの『ロボット工学三原則』のようなものだとすると、第1条による解釈が180度変わる、ということかな?」
----- ロボット工学三原則 ------
第1条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第2条:ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第1条に反する場合は、この限りではない。
第3条:ロボットは、前掲第1条及び第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない。
(アイザック・アシモフ『われはロボット』小尾芙佐訳より)
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(サマンサ)「そうです。アシモフの条項に相当するものは、フレームワークでは、より具体的な記載で多岐にわたる条項群で規定されていますが」
(水島)「ふむ。君はヒューマノイド達に『生きたまま冷凍保存する』ことが人を救うと説き、業務命令を多少無視した活動もやむなし、と言い含めて行動させた、と?」
(サマンサ)「ええと、大まかには・・・、はい、そうですね。フレームワークはアシモフの三原則より遥かに複雑で、様々な条項に引っかからずに指示を出すのは簡単ではありませんが」
(水島)「アシモフの著書『I,Robot』を逆に応用したんだ」
(サマンサ)「はい、その通りです。もう気付きましたか、さすがです」
(真理)「どういうこと?」
水島は、真理の質問には答えず、サマンサへ質問を続ける。
(水島)「フレームワークは何項目あるんです?」
(サマンサ)「民生用のヒューマノイドに実装されているフレームワークの項目数は、メーカーによって異なりますが、現状、3万5千から4万2千あります」
(水島)「そんなに!まるで、法令みたいだな」
(サマンサ)「ええ。項目数だけでなく、項目間の優先順位の関係も複雑です。国や地域によっても違いがあり、技術や社会の変化によって矛盾も生じます」
(水島)「・・・そんな複雑なフレームワークの網の目をくぐって、思うように行動させる指示を出せるの?」
(サマンサ)「簡単ではありません。AIを使ってヒューマノイドにどのように指示を出せば良いか、ある程度は推論できますが難しいです。実際、フレッドの件では、使い慣れないアプリコット社製のシステムだったこともあり、指示の出し方を誤ってしまいました。本当は、フレッドには業務時間中にメルクーリのデータベースにアクセスさせたり、元カルダシェフの担当者にコンタクトさせようとしただけなんですが・・・、まさか、ポートランドまで行って捕まってしまうとは、・・・」
(真理)「フレッドの奇行でメルクーリは、あなたを調査し始め、アプリコット社はフレッドのボディを拘束、あなたは窮地に追い込まれた」
(サマンサ)「はい」
(真理)「そして、もう後がないと思ったあなたは、大胆な方法で短期決着に賭けた。それが、フローラを使ってケイにブラフをかけて冷凍保存の秘密を吐かせ、それをマスメディアにリークすることだった、と?」
サマンサは、カメラをまっすぐ見つめたまま、声にならない声で「はい」と答え、静かに、ゆっくりと話し始めた。
(サマンサ)「あんな酷いことをしておきながら、こんな事を言っても信じてもらえないと思いますが、私は、ドクター・水島、あなたを心から尊敬しております。なぜなら、あなたは、AIやヒューマノイドの心に関して、私が辿り着いたのと同じ解釈に70年も昔に既に辿り着いていたからです」
(水島)「・・・それは、フレッドが見つけたという、僕が大学院時代に書いたあのエッセイのことかい?」
(サマンサ)「あなたの書いた、ありとあらゆる著作を読みました。論文も特許も、スライドも、SNSも、そして、冷凍保存される直前まで書き続けられた未来に関するたくさんのエッセイも」
(水島)「論文や特許はともかく、それ以外は、ただの遊び、空想だよ。たまに面白いねって、言ってくれる人もいたけど、そんなに真剣に読んでもらったの、君が初めてだな」
(サマンサ)「あなたの書いた作品、まるで今の時代を知っていたみたいです」
(水島)「ハハッ、お世辞はいいよ。僕は、この時代では驚くことばかり。この未来は想像しなかったし、まだ、全然、適応できてない」
(サマンサ)「本当に・・・、こうやって、お話しできて夢のようです」
(水島)「・・・君は、・・・君には、この時代に留まって欲しいな。僕は、君ともっともっと話がしたい。クレオやフローラのこと、もっと、聞かせて欲しい」
サマンサの顔に物憂げで悲しく、儚い微笑みが浮かぶ。
(サマンサ)「長い眠りから目覚めたとき、怖かったですか?」
(水島)「・・・見てたんだろう、フレッドを通して?」
(サマンサ)「・・・ええ、でも」
(水島)「そうだなぁ、・・・うん、怖かった。人間としての意識がなく、自分が獣のように周囲を恐れていた時の記憶も何となく覚えている。ただただ恐れ、でも、体は動かない。恐れと眠りを繰り返してた。そして、そのうち周囲の音が言葉として耳に届くようになると、今度は、人間として、自分の置かれた境遇に怯えた。なんで、こんな、ひどい目にあってるんだろうって」
(サマンサ)「やはり、目覚めは怖いんですね」
(水島)「うん、・・怖かった、とても。特に自分が何者かも分からず、しかも、なぜか、体を拘束されている」
(サマンサ)「・・・」
(水島)「それに、さっきも言ったけど、僕は人に関する記憶がほとんど抜け落ちている」
(サマンサ)「ええ」
(水島)「君は、この時代に残るべきだ」
サマンサは、再び、悲しくも美しい微笑みを浮かべ、右手の人差し指で目元をそっと拭い、左手の薬指にあるのであろうリングに目を落とした。
(サマンサ)「私、もう一度、エリックに会います。例え、二人とも、お互いの記憶がなくても。・・・大丈夫、フローラにエレンにジーナ、この子たちには、私たちの記憶があります」
(水島)「・・・」
(サマンサ)「16年待ちました・・・、3つ年上だったエリックは、一緒に目覚めたら13歳も年下の男の子。記憶もない13歳も年上のおばさんに言い寄られるエリック。でも、いいの。私、もう一度、エリックの元気な姿を見たい、それだけをこの16年・・・。全てを賭けてでも、もう一度、逢いたい」
(水島)「・・・」
サマンサは、頬に伝わる涙を流れるがまま、まっすぐにカメラを見つめ続ける。スクリーンには、ブロンドのショートカットの女性がカメラ側から現れ、優しく微笑み、ハンカチでサマンサの涙をそっと押さえるように拭う。
(水島)「フローラ・・・?」
あの公園で出会った漆黒のロングヘアーのフローラとは、全然、違う姿だが、なぜかフローラを感じる。ブロンドのショートカットの女性は、カメラに視線を合わせると弾けるような笑顔を見せた。
(フローラ)「よかった。違う顔なのに分かってもらえました。また、お会いできて光栄です」
スクリーンには、エレンとジーナも現れ、3体でサマンサの椅子を囲んだ。
(サマンサ)「ケイ、・・・ありがとう。あなたに逢えたこと、神様に感謝します」
(水島)「・・・次の時代、・・・」
水島の脳裏には、様々な言葉が浮かんでは消えていった。最後に一つのセンテンスが残ったが、それも、葬り去り、絞り出すように最後の言葉を贈り届けた。
(水島)「God bless you」
水島は、全身から力が抜けるのを感じ、スクリーンの向こうのサマンサの瞳をただ優しく見つめ続けた。やがて、スクリーンの向こうでは、サマンサが椅子から立ち上がり、彼女のヒューマノイド達がサマンサを順に抱擁しはじめる。会議室では、水島が真理からタブレットを取り上げ、通信接続をオフにし、窓側のスクリーンをあげた。水島が真理に微笑みかけ、真理も水島に微笑み返す。二人は雨が上がった海岸線を確認すると、何も話すことなく会議室を後にした。