強い女
(真理)「さてと、・・・なんか弱っちいところ見せちゃったな」
真理は水島から手を離し顔を上げると、背筋を伸ばし、泣いた跡の残る目で敬礼して笑顔を見せる。
(真理)「私、強い女になるの。泣いたことは忘れてください」
(水島)「ん?何かあったっけ?」
(真理)「大変よろしい。洗面台借りていい?顔、ひどくなったんで直してくる」
(水島)「工具箱ならバスルームにある。ついでに、シャワー浴びてきたら?長旅で疲れてるだろうし、9時まで、まだ時間がある」
(真理)「嬉しい!汗べっとりなの・・・じゃあ、お言葉に甘えてお借りします」
ほてった顔のクレオが夏用の短いバスローブ姿でバスルームから出てくると、真理は旅行カバンを持ってバスルームへ入っていった。
(クレオ)「どうか、されたんですか、真理さん?目が赤くなってました」
真理に代わってクレオが水島の隣に座る。
(水島)「ん?・・・ああ、人は、時々、悲しくなる時があるんだ。でも、今はもう大丈夫だろう」
(クレオ)「水島さんも?」
(水島)「うん、大丈夫だよ」水島がクレオの頭を撫でるとクレオは口を閉じたまま笑顔を作り、少し照れた顔をする。
(クレオ)「真理さん、一緒にお仕事してますが素敵な方ですね」
(水島)「うん、堂々としっかりしてる(初対面で君を殴ったんだけどね)」
(クレオ)「真理さんの遺伝子は、水島さんのご子孫のために相応しいと思います」
(水島)「ゴフォッ、ゴフォッ、」思わず、口にしたお茶を吹き出す。
(クレオ)「大丈夫ですか?」
クレオは、タオルを取りにキッチンへ向かった。
(水島)「(急に話が飛ぶからなあ、クレオはぁ。まあ、俺がこの時代のやり方に適応していないのかもしれないが・・・。花玲奈の時と接し方が違うのは、そういう理由かぁ)」
9時5分前、ソファの目の前の窓にスクリーンが降り、映像が投影された。イングランド北西部のレイク・ディストリクトにあるメルクーリの複合施設の宣伝映像が流れている。ビアトリクス・ポターの『ピーターラビット』やアーサー・ランサムやワーズワースの作品の舞台にもなった森や湖、田園風景、可愛い動物たちの映像が優雅なクラシック音楽とともに流れる。
(真理)「いいお湯でした、ありがとうございます」
(水島)「いいタイミング、まもなく始まるよ」
(真理)「ノーメイクですいません」
真理は両手で目元から下を隠すようにしながらクレオの横、ソファの一番右に座る。水島は一瞬真理の方を向いたが、すぐにスクリーンへ視線を戻す。
(水島)「強い女はノーメイクでも威風堂々」
(真理)「押忍!」
真理が顔から手を離しスクリーンへ視線を向けると、映像も湖畔のプレス・カンファレンス会場に切り替わった。水島の記者会見の時とは違い、大勢の人々が取り囲んでいる。中央にメルクーリのロゴが付いた演台があるが、そこには、40代後半くらいの彫りの深い、短髪で長身の男が立っている。男はメルクーリのマーケティング担当のヴァイス・プレジデントで、オープニングの挨拶として映像を駆使してメルクーリ・グループの事業や慈善活動を通した社会への貢献を紹介し始めた。そして、トークの最後でメルクーリ・グループ最高経営責任者のジャクリーン・デイヴィスを紹介する。
(クレオ)「あっ、上杉先生」
一瞬だが、関係者席の末席にスーツ姿の上杉が映る。
観衆からの拍手で一人の女性が登壇する。メルクーリのトップ、ジャクリーン・デイヴィスは、誰の紹介がなくてもリーダーであることが一目で分かる、そんなオーラに包まれた女性だ。往年の名テニスプレイヤーのような浅黒い顔に大柄な体をダークグレーのスーツに包み、ブラウンのロングヘヤーにメッシュのような黄金色の髪が混ざる。メルクーリが病院からヘルスケアのコングロマリットへ大きく舵を切ったのは今から35年前(その後、他分野と合併、買収を繰り返した)、ジャクリーンは7年前に内部昇進で3代目のCEO(最高経営責任者)の地位を得た。幾多もの社内政治を勝ち抜いた冷徹な経営者の目は、揺るぎない自信に満ちた信念を漂わせる。
(水島)「強い女って、こんな感じ?」水島は、クレオ越しに真理に聞く。
(真理)「う〜ん、この人は強いというより、恐い女ですね。反対勢力を全て抹消して独裁政権を樹立、今では恐すぎて誰も意見を言えない」
(水島)「ふむ」
(真理)「社内政治力は凄いんですが、投資家からの評価はイマイチなんです。メルクーリは、もう10年以上、革新的なサービスも製品も生み出せてないんです。冷凍保存からの蘇生は、社会的なインパクトはありましたが、収益には全然貢献してませんし、宣伝効果以外では負債でしかないんですよ。だから、金になる方の冷凍保存事業を上杉先生にプッシュしてたんですよ」
(水島)「ふむ」
会場内にサクラでもいるのだろうか、さして上手くもないジョークに、おべっか使うような笑いと拍手が起こる。プレゼンテーションの冒頭は華やかな雰囲気があったが、その後はトーンを一旦落として話を始める。基本的には、メルクーリの病室で上杉が水島に語った蘇生の歴史と同じだ。あの話を少し(かなり?)脚色して、メルクーリが冷凍保存の資産を引き継いだカルダシェフ財団を謎めいた組織として語り、一方、メルクーリを幾多もの試練が待ち構える謎解きに乗り出す冒険家集団、そんな演出でプレゼンテーションが進む。そして、6年前の2061年、12年の歳月をかけ(※カルダシェフ財団時代を含めると80年)、ついに記憶を持った最初の蘇生に成功。映像には30年の冷凍保存を経て蘇生した世界初のサバイバー、リンダが年老いた兄と一緒に牧場を歩く姿が映し出され、場内から拍手が湧き上がった。
(水島)「(リンダは兄の記憶を失っているんだが、それは語らず、か)」
会場から十分な拍手を得て、ここで、ジャクリーンは上手にスピーチのトーンを変える。物語の核心へ迫るための演出だ。静まり返った会場で、真っ黒になったスクリーンには中央に白字で数字が一つ表示された。ジャクリーンはそれまでの情熱的な口調から、冷静で解析的な口調に切り替えて話を続ける。
メルクーリは、これまでに39体が生命体として蘇生、内27名は記憶を保持して普通に生活できるレベルに回復した。この数値は、どの機関よりも圧倒的に多い。しかし、この数字にしても、メルクーリが引き継いだ500以上ある冷凍保存された人体のごく一部に過ぎず、蘇生できる確率は決して高くない。だが、蘇生した39名には不思議な共通点があった、と。それは、39名全員が冷凍保存に際し、ある高価なオプションを選択、そのオプションを選択した人は、実に70%もの人が記憶を保持して、普通に生活できるレベルに回復した、と。さらに、この70%という数字も初期の試行錯誤の時期を含めての数値であり、最近実施した蘇生では10人連続成功しているそうだ。映像は、ジャクリーンを右下からクローズアップし、聴衆へ向けて力強い表情を示した。
「メルクーリの最新の蘇生技術では、控えめに見積もっても90%以上の確率で蘇生することができるでしょう」
ふと横を見ると、真理はクレオにもたれかかってぐっすり寝ていた。無理もない、カリフォルニアの時間では朝の5時半を過ぎている。よく今まで起きていたものだ。クレオは水島と目を合わせて微笑む。
Time-Shifting Medicine(時間移動医療)、略してTSM、ジャクリーンは新しい用語を使う。蘇生した人々は、冷凍保存時には余命幾ばくもない、その当時は、不治の病に罹っていた人々で死の間際だった。しかし、TSMにより、治療法の確立された未来へ可能性を求めることで90%以上の確率で再び健康な体を取り戻せる。ジャクリーンは、再び高揚した表情で情熱的な言葉を投げかけ、会場から大きな拍手を受ける。
真理は、完全に眠りに落ちたのでクレオのベッドに寝かせることにした。水島がクレオのベッドから充電器を外し、布団を整え、(力持ちの)クレオが真理をベッドに運び、水島のパジャマに着替えさせた。
(クレオ)「また、水島さんのベッドでいいですか?狭くなりますが?」
(水島)「君は、超寝相良いから問題ない(1ミリも動かないし)」
ジャクリーンのプレゼンは、いよいよ大詰めを迎える。既に各種報道で伝えられているように、蘇生成功の鍵は、生きたまま冷凍保存することだった、と。これは違法行為であり、メルクーリは、つい最近までカルダシェフがそんなことをしていたとはつゆ知らず。ジャクリーンはメルクーリの法令遵守を強調する。カルダシェフから引き継いだドキュメントに記載はなく、カルダシェフから引き受けた科学者も、その情報については知らされてなかった、と。しかし、カルダシェフから資産を受け継いで10年あまり研究する間、状況証拠的に蘇生できた人々は生きたまま冷凍保存されたのではないか、と疑うようになった、と。そして、今年3月に冷凍保存から蘇生したサバイバーが、その謎に関して決定的な証言をした、と。スクリーンには、水島の記者会見のシーンが音なしで表示される。
(クレオ)「あっ、水島さんだ」
(水島)「・・・クレオもあそこに写ってるよ」
(クレオ)「私の顔は、ピントがあってないので判別できませんね。水島さん、また有名になりましたね」
(水島)「・・・」
プレゼンテーションの最後は、メルクーリを挑戦者、革新者に仕立て上げる演出だ。地方の中堅病院から、観光を結びつけ、治療の医療から予防の医療への遷移を行政の支援なしに経済的に成功させ、様々な医療機器やデバイス、治療方法を開発・確立し、医師プロウェアをいち早く開発してヒューマノイド医療を立ち上げるなど、常に時代をリードしてきた、と。そして、今後、TSM(時間移動医療)という新しい選択肢を人々に提供すべく各国政府へ働きかけていく、そいういった趣旨でプレゼンテーションが終わった。
幾つかの的外れの質問を受け答え、メルクーリ最高経営責任者によるプレス・カンファレンスは幕を閉じた。映像が途切れる寸前にも、一瞬、上杉の姿が映ったが、飄々とした表情でスーツ姿以外にいつもと違いは感じられなかった。中継が終わり、リビングルームのスクリーンが上がると窓の外には大きな月が昇っていた。水島はソファから立ち上がって両手を上に大きく伸びをし、とりわけて、することもなくなったので風呂に入った。
プレス・カンファレンスのプレゼンのように髪も中途半端に乾かし、モヤモヤした感じを誤魔化すためにブランデーでも一杯飲もうかとバスルームを出ると、テーブルにはグラス一杯の水とブランデーのロックが用意されていた。
(水島)「まず、この水を全部飲んでからだね?」
(クレオ)「はい、いい子ですね!」
水島は、用意された水をいっきに飲み干し、その後、ブランデーをちびちび飲み始めた。
(水島)「さっきのプレス・カンファレンス、メルクーリは何を主張したかったんだろう?」
(クレオ)「第一にTSM(時間移動医療)は難病に対してとても有効な新しい医療コンセプトである、ということ。第二にTSMのためには生きたまま冷凍保存することが必要ですが、現行の法律の枠組みでは、それが許されないということ。そして、第三点として、現行法の枠ぐみを各国政府と協力しながら見直しを進めていく。この3点かと思います」
(水島)「どう思う?」
(クレオ)「まず、メルクーリは私の雇用主ですので、法令に反しない限り、あるいは倫理的な問題がない限り、私は否定的な見解ができません」
(水島)「なるほど、君は賢い良い子だ(法律改正うんぬんは、そうなんだろうけど、サマンサは、そんな悠長な改革のために暗躍したんだろうか?)」
水島はブランデー・グラスを持って寝室に入り、眠くなるまで、今日も一緒に寝ることになったクレオとピロートークをして過ごした。寝に入ったのは11時半頃だろう。しかし、30分も経たず、一旦、目覚めることになる。
(クレオ)「水島さん、まだ、起きてますか?」
(水島)「ん?どうしたの?」
(クレオ)「あの、何か変なんです」
(水島)「変って、君のボディが?」
(クレオ)「いえ、私ではなく、医師ヒューマノイドのエレンさんとジーナさんです。突然、メルクーリを辞めました」
(水島)「・・・えっ、エレンとジーナ?フレッドと一緒に蘇生を担当していた?」
(クレオ)「はい、フレッドさんと一緒に、水島さんの健康状態をモニタリングしていた2名です」
(水島)「辞めた理由は?」
(クレオ)「分かりません。ただ、お二人ともヨーロッパから退職届けを提出しています」
(水島)「ヨーロッパ?」
(クレオ)「真理さんを起こした方がいいでしょうか?」
(水島)「・・・いや、時差ぼけのある真理は朝早く起きると思う。彼女が起き次第、教えてあげるといい。君も早く充電開始した方がいいね」
(クレオ)「はい、わかりました。では、お休みなさい」
水島は、明日の朝は、おそらく真理の「何ですって!」という声で起きることになるだろうなぁ、と思いながら眠りについた。