表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第二章 AIのある暮らし
34/57

感じる心

「教育者なんですね、中西先生も」

「一応、大学教授なんでね。研究室に博士課程の学生やポスドクがいると様々な研究テーマに取り組めるんだけど、反面、指導に時間取られるのよね」

「懐かしいなぁ」水島は両手を頭の後ろに組み、靴を脱いでソファで横になった。


中西は式部からもらったお茶を飲みながら、オフィスにある冷蔵庫の中をまさぐっていたが、めぼしいものがなかったのか、何も取り出すことなく水島のいるソファに戻ってくる。


「で、飼い猫化現象で進化した結果、社会性が退化しちゃった。どうしよう?」

「中西先生のような『外猫』の社会性は退化してません。『家猫』の方ですね、退化が進んでいるのは」

「『家猫』ちゃんの社会性退化、なんとかならないのかな?この前も言ったけど、社会性がなくなった『家猫』は、現在、日本だけで190万人、2年連続倍増中、このまま増えれば数年後には日本列島『家猫』だらけ」

「社会性の退化は心の問題かな。心が人間を人間らしく振る舞わせる、誰の言葉か忘れましたが」

「心の問題って言われちゃあねぇ、どうしようもないでしょ?」

「いや、僕の言ってるのはヒューマノイドの心です」

「・・・ヒューマノイドに心はないわ。ね、式部ちゃん」


中西に言われ、式部も「はい」と答える。水島は、ソファに寝転がったまま、しばらく考え続けたが、急に起き上がって中西に正面から向き合い、少し改まった姿勢で中西に問いかけた。


「心って、何でしょう?」

「"No matter(物質じゃない or どうでもいい)"」


中西は、"What is mind?"に対するお決まりの洒落を返す。


「もちろん、哲学を論じる気なんてありません。アリストテレスの時代から何千年と解がない命題に挑む気なんて毛頭ありません。ただ、何と言ったらいいかなぁ、人がヒューマノイドから感じる『心のような』もの・・・」

「心のようなもの?」

「ええ。メーカー側は、ここ何十年、ヒューマノイドがあたかも心を持っているかのように『人間が感じる』よう、努力してきたと思うんですよ。哲学者や精神医学の専門家から言わせれば偽物の心ですが、ヒューマノイドと接する人間は、まるで心があるかのように感じる。『人が感じる心』とでも言いましょうか?」

「『人が感じる心』?」

「例えが悪いですが『偽札』の流通。蘇生して以来、お札を見たことないですが、お札って分かります?」

「紙のお金でしょ?私が若い時には使ってたわよ」

「よかった。このお札ってやつ、一応、偽造しにくいよう色々工夫してたんですが、どの国でも偽物のお札、『偽札』が出回ってました。日本はかなりマシな市場でしたが」

「『偽札』と心が、何か関係あるの?」

「ええ。多くの国では流通している紙幣の一定割合は偽札だったんです。買物のお釣りに、結構、紛れ込んでました。高額な紙幣なら怪しいお札は、その場で突き返すんですが、そうでないと怪しいなぁって思っても、まっいいかぁ、って受け取るんです。だって、『通貨』ですからね。受け取ったお札は、いつかは別の誰かへ移動するんです。受け取る誰かが文句言わなければ、別段、問題ないんです。誰かから10ドル札を受け取る。それを別の誰かへ10ドル支払う時に使う。そこに本物かどうかは実は本質じゃない。金品のやり取りをする当事者同士が納得するかどうかの問題です。納得できるなら偽札だって通貨になってしまう。納得できないなら本物だって通貨にならない。僕の生前、アメリカでは多くの店で100ドル札は受け取りを拒否されました。銀行から引き出したばかりのシワひとつないお札でも。だから、100ドル札はお札としては本物でも『通貨』じゃなかった」

「面白いお話ね。でも、それと心の関係は?」

「同じように、ヒューマノイドの心を議論する時には、学者たちを悩ませている『真の心』は本質じゃない。メーカーからのリースが始まって、オーナーが死ぬ間際に『君は本当に素晴らしい心の持ち主だ』と感じてもらえるかどうか、それが本質だと思うんですよ。分かります?」

「・・・なんとなく。いや、確かにそうねぇ。つまり、心の哲学者たちの命題、心はどこに宿るのかとか、心の肉体や精神への影響とかは、ヒューマノイドを使うユーザーにとっては、どうでもいいことだと。本質は、人がヒューマノイドから心を『感じるかどうか』、そういうこと?」

「ええ、あるかないかではなく、人がそれを『感じるかどうか』、それが本質だと思うんです」

「学者が考える『真の心』は人類が探求する高尚な真理としてはいいけど、我々の生活に影響するのは『人が感じる心』だと?ふむ」

「偽札の議論と同じように、人間でも心が通わない人は、『真の心』はあるのかもしれませんが、『人が感じる心』はないんです。一方、現代のヒューマノイドは、オーナーに『この子、なんて心が優しいんだ』とか、『この子とは本当に心の波長が合う』と感じてもらえるようになった。人間より快適で優れた心として」

「ふむ。ヒューマノイドに『人が感じる心』がある、ということには、ヘビー・ユーザーとして100%同意するわ。でも、それが、『家猫』ちゃんたちの社会性の退化を防ぐのに、何の役に立つの?」


水島は胸の前で両手を合わせて、ゆっくり前後に振りながら話す。


「心が人間を人間らしく振る舞わせる、ならば、」

「ならば?」

「『人が感じる心』で人間を社会的存在らしく行動させられないかな、と」

「つまり?」

「ええ、ヒューマノイドの心、『人が感じる心』を修正するんです」

「社交的になるよう、ヒューマノイドのAIプログラムを修正するってこと?」

「AIプログラムは修正しないです。というか、できないでしょう。AIの学習の目的や性向を変えるんです」

「性的嗜好を変えるの?」

「違う、違う、性向。性格とか、気質とか、何かをしやすい傾向、あるいは思い込みとかです」

「そんなの変えられるの?」

「分かりません。ただ、ヒューマノイドの『調律』にヒントがないかな、と。『調律師』って職業、ご存知ですか?」

「調律師?あのヒューマノイドの性格をオーナーに合わせて調律、フィットしてくれる職人さん?」

「ええ」

「翔太くんも、式部ちゃんも、時々、調律してもらってるわよ。クレオちゃんは、まだ調律してもらったことないの?」

「時々するんですか?ピアノみたいに?」

「ええ。人間と同じようにヒューマノイドもいろいろな経験を通して性格や人格が歪んじゃうの。だから、時々、調律してもらうの、私みたいに細かい事まで気にする人はね。全くしない人も多いけど」

「はあ、細かい事まで気にする人は、ですか」水島は、寝ぐせであちこち飛び跳ねた中西の髪を見ながら、嫉妬のかけらもなかった昨夜のクレオを思い出した。

「うちの大学でも、社会人向けに調律のコースあるわよ。元カンダ・モーターズでヒューマノイドのフレームワーク設計していた人が講師よ」

「ヘぇ〜、是非、講義を聞きたいなぁ」

「じゃあ、私から講師の先生にお願いしてみるわ。さてさて、では、そろそろ時間なので、今日の打ち合わせのラップアップ」


  次の約束の時間が迫っているのか、中西は少しせわしく今日のまとめを述べる。

「水島さんの目を通して、この社会を見ると、・・・」、中西は今日の議論の内容をまとめる。


①『飼い猫化』現象というのは、問題ではなく、この時代に適応化しようとする『進化』と見るべき。

②『進化』した新人類は、それまでの人単体ではなく、『人+ヒューマノイド』のセットで一つの新人類と考える。

③問題は、この『進化』で人間らしさの中心概念であった『社会性』が退化していること。

④ヒューマノイドには哲学者が考える『真の心』はないが、オーナーに影響を与える『人が感じる心』がある。

④退化した『社会性』を取り戻す一つのアイデアとして、ヒューマノイドの心、『人が感じる心』を修正する。


「ざっと、こんなもんかしら?でも、ヒューマノイドの心を修正できたとしても、それで本当に効果あるのかしら?『家猫』の人たちが引きこもるのは、その方が彼らにとって快適だからでしょう?ヒューマノイドが他の人と仲良くしようって誘ったところで、人前に出てくるかしら?」

「どうですかね?・・・やってみないと分からないです。ただ、『飼い猫化』社会では、ヒューマノイドの心って意外と影響力大きいんじゃないかなぁ?」

「・・・う〜ん、効果確認する実験もかなり大変ねぇ」


水島は両手を広げ肩をすくめる。


「あと数年で、ほとんどの人類が『家猫』になり、人類が社会的存在だった時代は終焉を迎える。・・・それも、まあ、自然な成り行きかもしれませんね」水島は、少し意地悪そうに肩をすくめる。

「まあ、スポンサー含めて、ちょっと考えてみるわ」

「例のストーカーさん?」

「スポンサーがストーカーだと意外と便利よ、盗聴・盗撮してるから、レポート不要だし。だよね!」中西はエレベーターの方に向かって叫びながら、ソファを立ち上がり、仕事机からハンドバックを取った。


「ヤバっ、既に15分の遅刻。じゃあ、私は次の約束あるんで行くわ。よかったら、ゆっくりして行ってね。式部ちゃん、あと、よろしく」


そう言うと中西はゲストの水島を置いて先に出て行ってしまった。水島が靴を履いていると、式部が再びソファにやってきた。


「あのぉ、水島さん。私、もう一つ、好奇心があります」


水島は、ちょっとびっくりして靴を履く手を止め、式部に視線を移した。


「どんな好奇心だい?」

「中西先生とのお話で、私たちヒューマノイドにも心があると仰いましたよね?」

「うん。哲学や精神医学を研究してる人から見ると君たちには心はない。でも、現実に我々人間は、君たちから『心のようなもの』を感じるし、優しさや親切心を感じる。我々人間は、人間の心とヒューマノイドの『心のようなもの』を判別できない時代にきてると思うんだ。だから、哲学者たちの言う心を『真の心』と呼び、一方、人間が心と感じるものを『人が感じる心』と定義してみた。そして、式部ちゃんのようなヒューマノイドは既に『人が感じる心』を持っていると」

「では、ヒューマノイドは人に恋をするのでしょうか?」

「ハハ、残念ながら、それは恋ではなくてAIの設定だね。オーナーに対しては恋してるように振る舞う設定になってるんだ」

「では、このヒューマノイドはどうなんでしょう?とても好奇心の湧く映像です」


式部はタブレットで水島にある映像を見せた。それは恐らく監視カメラの映像をハックして3D特殊加工、編集したものだ。映像は、二人の男女を上空から撮影するシーンで始まる。カメラは次第に高度を下げ、やがて女の肩の高さになると今度は女の背後に接近しはじめる。男が背を向けると女は右手で白い帽子を脱ぎ、首を振って長い髪を優雅に風に流して男に近づき、男の肩に左手を置く。男が女を振り返ったタイミングで手を伸ばし男の首の後ろで両手を軽く組む。カメラは女を捉えるために男の背後に回り、今は女の顔を正面45度の角度から映している。女は微笑みながら一瞬せつない表情を見せ、目を伏せ下を向く。男が心配して覗き込むタイミングで女は顔を上げ背伸びしながらキスをする。唇が離れた後も首に手をかけ背伸びしたまま、女は男の目を寂しげに見つめる。女は踵を地面につけるタイミングで男から手を離し、下に落ちた帽子を右手で拾って後ろ手にまわし、恥じらうように視線を落とす。カメラは男の右肩から左肩後方に移動する。女は視線を左奥の車へ向け、帽子を被り直し、左手でトートバッグの肩紐を抑えながらゆっくり歩き始める。途中で立ち止まり足を交差させて、男を振り返る。右手は風で帽子が飛ばないよう抑え、左手はバッグが落ちないよう後ろに回しているので肩しか見えない。悲しげに微笑み、話しかける。

「この16年、キスしたの、はじめてです」

2、3秒男を見つめる。

「私のこと、嫌わないでください」

今にも泣き出しそうな表情になり、車に駆け込む。映像は、そこでまた最初のシーンに戻る。


  水島は、全身の力が抜け、タブレットを床に落としてしまった。式部は、それを拾い上げると水島に語りかけた。


「このビデオの投稿者は、女性は医師ヒューマノイド、男性はその患者でオーナーではないと説明しています。既に400万回以上再生されており、たくさんの方がコメントしています。『ヒューマノイドが人間に恋してる』という趣旨のものがとても多いです。この男性、水島さんですよね?」


水島は頭が真っ白になった。式部は話し続ける。


「私には、このヒューマノイドが恋してるように見えるんですが、錯覚ですか?」


水島は、式部からタブレットを再び受け取り、しばらく、その映像を見続けた。映像をよく見ると、それはフローラを中心に編集されており、映像からは水島の顔は判別できない。5回目のリピートが終わった時、水島はタブレットを式部に返してソファを立ち上がった。


「うん、錯覚だよ」


そう言い残して、水島はオフィスを後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ