飼われる人
「今日は、いつも通り?」
「はい、6時には帰宅できると思います。水島さん、こんな雨の日もお散歩に行くんですか?お部屋でヴァーチャル散歩の方がいいんじゃないですか?」
「朝の空気が吸いたいんだ。この程度なら雨の散歩も悪くない」
「服、濡れたら、ちゃんと着替えて下さいね」
「ああ、そうするよ」
マンションの集合玄関の内側でクレオの出勤を見送った後、水島はインタフェースのマップを見ながら大体の散歩コースを決めた。自動ドアを通り抜け、道路へ続く階段を降りかけた時だった。不意に下から少女がドアめがけて駆け上がって来る。
「あっ」少女が肩にぶつかり水島はバランスを崩しかけたが、少女は何も言わずにドアめがけて走る。しかし、すんでのところでドアは閉まり、その子はマンションに入ることはできなかった。雨の中、傘も差さずにひどく濡れている。水島は、その子の顔は知らないが、着ている服に見覚えがあった。たぶん下の階に住んでいる女の子だ。
「どうしました?」
水島が話しかけると、その子はこわばった顔で2、3歩後ずさりする。その目は、まるで凶悪犯でも見る目つきだ。水島が一歩でも近づけば、あるいは、もう一言、声をかけるだけで、たちまち走って逃げ出しそうな表情だった。水島は声をかけるのをやめ、右手の傘を左手に持ち替え、右手の人差し指でドアを指差し、何も言わず微笑んでジェスチャーで中に入りたいのか聞いた。しかし、その子は、警戒するのをやめない。水島は少し考えたが、全身びしょ濡れの女の子の姿にとりあえず腕時計型のインタフェースでドアを開けてあげると、その子は礼も言わず走ってドアの中に消え去った。
マンションに入れたのが良かったのか悪かったのか?ちょっと考えてしまったが、気を取り直し、いつものように遠くに海を眺める朝の散歩道に出かけた。しかし、その女の子は水島が散歩から戻った時もマンションの集合玄関にいた。と言うか、何処かに隠れていてエレベータに乗ろうとした水島に不意に話しかけてきた。
「あのぉ・・・」
「・・・もしかして、君、フローラ?」
「は?・・・あの、私、このマンションに住んでるんですが」
「はあ」
「あのぉ、食べ物、・・・もらえませんか?」
そう言うと、その子はへたへたと床に倒れかけた。水島が驚いて抱き抱え、話を聞くと二日前から何も食べてないとのこと。よく分からないが、明日まで部屋に入れず、食事どころか水も飲んでいないそうだ。濡れた体でガタガタ震えているので、水島はとりあえずエレベータに乗せ、部屋に連れて帰った。
「(まず、あの濡れた服を着替えさせないとなあ・・・)」水島は、クレオのクローゼットを探って、下着とシャツとジーンズを取り出し、バスタオルと一緒にその子に渡して、まずはシャワーを浴びることを勧めた。
「あの〜、私一人で入るんですか?」
「はぁ?」
「あなた、人間なんですか?」
「・・・う、うん、人間だけど」
「はぁ・・・」その子は大きなため息を吐いてバスルームに入ったが、すぐにリビングに戻ってきた。素っ裸で。
「あのぉ、シャワーの使い方、教えて頂けませんか?」
キッチンにいた水島は目が点になった。
「・・・、何で裸なの?」
「何でって、お風呂に入ってたので。・・・あっ、そっかぁ、あなた人間かぁ」
その子は、仕方なく、という感じでバスルームに戻り、体にタオルを巻き付け、再びキッチンにいる水島に同じことを聞きに来た。水島は少し動揺しながら一緒にバスルームに向かった。
「使い方って、同じマンションなんだから、君の部屋と同じだろう?」
「最近、リフォームして・・・、というか、いつも華那太がやってるんで、どうやって使ったらいいのか・・・」最後は消えるような声で言ったので何を言ってるか分からない。
「(カナタ?こいつのヒューマノイドか?)・・・これがシャンプー、コンディショナー、これがボディ・シャンプー、この辺のはヒューマノイド用だから、使わないように。体洗う時は、さっき渡した小さめのタオルを使って」
水島は、風呂やシャワーの使い方を説明する。説明が終わりかけると、その子は体からバスタオルを取りかけたが、水島がキッと睨みつけると慌ててタオルを巻きなおした。
水島はキッチンに戻り「(飯食わしたら、即行、追い出そう)」と思いながら、昼に食べようと買っていた讃岐うどんの麺で釜卵うどんを作り、春雨とワカメのスープ、トマトと水菜のサラダを用意し、水蜜桃を切って添えた。少女は今度はちゃんと服を着てバスルームから出てきたが、その髪はタオルドライされた形跡もなく、水がぼたぼた滴り落ちている。裾を10センチ以上折り曲げたジーンズも、ダボダボのTシャツも髪から滴る水で所どころ色が濃くなっている。
「おい、その髪」と水島は言ったが、その子の目は既にテーブルの料理に固定され、飢えた子猫のように一目散で喰らい始めた。水島は無視しようと思ったが、テーブルの周りに滴り落ちる水が気になり、バスルームからタオルを持ってきて、その子の頭にターバンのように巻き付けた。が、その子は、それに気付きもしないかのように喰らうことに集中している。
「(まるで捨て猫だな。まあ、2日間何も食べなかったら、こうなるのかな?)」水島は、テーブルの対面に体を右斜めに構えて座り、左手で頬づえを突き右手でコーヒーを飲みながら、その子が食べる様子をそれとなく見ていた。
「美味しい・・・」少女は小鍋の底から目を離すことなく、最後の一滴まで白いレンゲで掬い取った。
「足りたかい?(全部食ったんだから足りるだろう、1.5人前はあるぞ!?)」
「美味しい。・・・あのぉ、あなた本当はヒューマノイドさん?顔は人間っぽいですが」
「僕は水島、ここに住んでる『人間』です(悪かったな、美男じゃなくて)。君の名前は?」
「花玲奈」
「カレナちゃん。歳は幾つだ?」
「27」
「17歳か(中学生かと思ったが)」
「いいえ、27です」
「27、・・・に、にじゅうなな!」
水島は、驚きのあまり花玲奈の顔を覗き込んだ。その反応で花玲奈が萎縮してしまったので、水島は再び左手で頬づえを突き、視線を逸らしてから質問を続けた。
「で、一体、何があって二日間、飲まず食わずで雨に濡れてたの?」
花玲奈の話では、二日前、建設会社に勤める彼女のヒューマノイド、華那太が現場で事故に遭い大破してしまったそうだ。新調したボディが出来上がって戻ってくるまで3日掛かるそうで、その間、食事も風呂も一人でしなければいけない。華那太がインタフェースを通して車やレストランを予約してくれたが、動揺してインタフェースを忘れて出かけてしまい、何も食べることができず、帰りは車にも乗れず、レストランから家に歩いてたどり着くのに道にも迷って丸一日、途中、倉庫のようなところで震えながら一夜を明かし、さらにマンションに戻っても中に入れず。通常、集合玄関のドアも各部屋のドアも住民の顔や姿を映像認識して自動でロックが解除されるのだが、何故か彼女に対しては、どちらのドアも開かなかったそうだ。
「何でドアが開かないんだろう?・・・以前はちゃんと開いた?」
「はい、・・・でも、出かける時はいつも華那太と一緒だったから・・・」花玲奈は蚊の泣くような小さな声で答える。
「まあ、そのカナタさんは明日帰ってくるんだね?」
「はい、・・・華那太はそう言ってました。部屋に入ればインタフェースがあるんですが・・・」
「じゃあ、ちょっと待ってて。僕のヒューマノイドに聞いてみる」
そう言って、水島は書斎のモニターを使ってクレオに連絡する。
「(俺もマンションの管理人への連絡方法すら知らないなぁ。そもそも、管理人室も管理人も見たことない。クレオに頼りすぎだなぁ・・・)あっ、クレオ、仕事中に悪い。今、話をして大丈夫?」
「ええ、今、5件ほど並行で手術をマネージしながら、心臓と肝臓の同時移植ではスタッフ足りないので私も参加してますが、私の計算リソースは、まだ、多少は余ってます」
「手術中!悪い、後でまた掛け直す」
そう言うと水島はすぐに接続を切った。「(クレオの給料、高い訳だ・・・)」
リビングに戻ると花玲奈はソファでクッションを枕にぐっすり寝ていた。水島は花玲奈を追い出すのをしばらく諦め、タオルケットを持ってきて彼女の上にかけた。
「(まあ、二日もろくに寝てないなら、しょうがないか。・・・あんなに濡れた状態で、ん?・・・コイツ、もしかして病気?)」
水島は慌てて花玲奈の額に手を当てる。しかし、熱はなさそうだ。念のため首筋の体温も確かめるが高くない。脈拍も正常の範囲だ。花玲奈は寝ぼけて水島の手を握り、「カナタお帰り、・・・」と寝言を言いながら幸せそうな表情で寝り続ける。
「コイツ、健康優良児だな」
そう呟き、そっと手を抜き取って水島は書斎に向かった。
書斎に入るとドアの鍵をかけ、海を臨む南西側のスクリーンを下ろし、中央の揺り椅子に座ってヘッドフォンで耳を塞いで映像を見始めた。中西に送られた飼い猫化、飼い犬化された800件にものぼる人々の盗撮映像。メルクーリの事件に振り回されてご無沙汰していたが、明日は中西とのディスカッションがある。
映像は多様だがパターンは単調だ。ヒューマノイドが外出中は人々の活性度は低く、寝てるか、テレビやゲームをして時間を過ごす。ヒューマノイドが帰ってくると活性度が上がり、じゃれ付き、たくさん会話をし、一緒に外に出かける者も多い(すぐに性行為を始める輩もいるが)。よく見ると、多くのヒューマノイドは、オーナーをそれとなく運動させている。遠目に見る限りだが食事も健康的なものが多い。たぶん、『ペット』飼育の優先事項として健康管理に重点を置いているのだろう。
ビデオを見るのに集中していたせいで、気が付くと午後1時を回っていた。花玲奈は、相変わらずリビングのソファですやすや寝ている。声をかけても起きる気配がないので、水島は一人で部屋を出て近所のカフェでランチを済ませた。箱詰めのサンドイッチを一つとショートケーキを2つ、花玲奈が起きている場合にと買って帰ったが、花玲奈は出かける前と同様、深い眠りの中にいた。水島は紅茶を入れ、ショートケーキを持って再び書斎にこもる。
しばらく、中西の『盗撮ビデオ』を見続けたが、薄気味悪い同じような映像が続き、次第に気持ちもまぶたも重くなってきた。4時くらいに新しい紅茶を入れにキッチンに入った時も花玲奈はまだ眠っていた。しかし、紅茶を入れた帰りに、ふとテーブルに目をやるとサンドイッチもショートケーキも皿だけ残して消えていた。「起きてるのか?」と声をかけたが花玲奈からは寝息しか聞こえてこない。人差し指で花玲奈の頬を押してみたが反応なしだ。水島は、再度、書斎に入ったが、もう、今日は『盗撮ビデオ』を見続ける気にはなれなかった。代わりに、K大の『コト』プロジェクトを調べることにした。オープンハウス・イベントに参加以来、中西には悪いが、そこには何かバブルっぽいものを感じた。ネットに掲載されたK大のサイトは、それはそれは華々しく、まるで世界がそこから再生されるかのように威勢良く、イノベーションや創造力といった文字が咲き乱れ、わずかの成功例を千倍も引き伸ばし、世界中の役人・政治家を集めて撮影した映像で権威付けし、自分たちが発明した便利でうやむやな評価法で自分たちの成功を測っていた。
|《進歩がね、・・・止まったんですよ》
水島は上杉の言葉を反芻する。揺り椅子を揺らしながら、『コト』プロジェクトの概要を見続ける。現在、稼働中のプロジェクト総数は三百弱。平均5名のメンバーがいたとしても、千五百人程度。これで世界で最も成功している大学というなら規模が小さすぎる。キャンパスをショッピング・モールと共有しているのは、そうしないと大学キャンパスを維持できない、ということか?
「上杉先生は、既に科学技術の発展が停滞、あるいは衰退する時代に入ったと考えているのだろうか?」
水島の生前、ある著名起業家は『人類の長い歴史を考えると、技術は決していつも進歩している訳ではなく、時として衰退すらしている』と言っていた。水島は目を瞑って考える。古代ローマ帝国が滅び、暗黒の中世に入ったヨーロッパは軍事技術も、建築技術も芸術も衰退し、ヨーロッパが古代ローマ帝国の水準に戻るまでに、その後、千年以上の時を要した。古代の中国は何度も技術的に優れる時期がありながら、王朝や支配勢力が変わるたびに多くの英知を抹消していった。江戸時代の日本も鎖国をし、さらに新たな軍事・造船の技術開発を禁止したため、黒船が来るまで軍事技術も造船技術も停滞、衰退していった。そして、水島がいるこの時代、国民の多くが犬猫になって、ワンワン、ニャンニャン鳴きまくり、肉球や尻尾をつけては・・・。
「あ、夢かぁ」
時計を見ると6時近い。もうすぐ、クレオが帰ってくる。最近は、クレオが帰る時間が近づくと無意識に心が弾む。子猫のように踊るクレオ、水島の箸から味見しながら上手に甘えるクレオ、風呂上がりにベランダで、テーブルでたわいのない話題にも、その自然な笑顔にも癒される。日増しに増す愛おしさは、計算された振る舞いによるものかもしれないが、実際、抗い難いものになりつつある。
「(俺も飼い猫になりつつあるのか?)」
花玲奈が(もし、まだいれば)ソファで寝ているのを思い出し、書斎のモニターを消し、中西からもらったインタフェースをロックしてから水島はリビングに向う。