プロウェア
水島は食事の後片付けをするクレオを凝視し続ける。トレーを下げ、テーブルクロスを折りたたんで給支台に掛け、テーブルをベッドに収納し、水島の首からナプキンを外す。美しい容姿、優雅な振る舞い、優しい笑顔。それは、場違いに美しすぎ、優雅すぎ、優しすぎるように感じはじめる。クレオは給支台と一緒に部屋から出て行った。入れ替わりで、今朝、水島の拘束具を外した背の高い白人の看護婦が部屋に入る。明るい声で「オムツの交換に来ました」と言われ、水島はオムツを着けられていることに気が付いた。看護婦は「失礼します」というとテキパキとオムツを外し、水島の下半身を持ってきたタオルで拭いた。身体がほとんど動かない現状ではどうしようもないが、意識がしっかりしている分、恥ずかしさで顔が熱を帯びる。
「(本当に、この身体は動くようになるのだろうか?)」急に自分の未来に心細さを感じ、「普通の数え方なら今年で95歳」と言ったクレオの言葉を思い出す。目をつむったフリをしてうす目で看護婦を観察する。
作業が終わり、看護婦が立ち去り、一人の静寂に包まれる。あの看護婦の振る舞いも笑顔も、どこかクレオと似ていた。そして、やはり、場違いと感じるほど美しい。「(あの看護婦もヒューマノイドか?)」真っ白な病室は、再び海岸線に臨む映像に変わる。水島は映像の窓の向こうを優雅に飛ぶカモメを見つめながら物思いに耽る。
しばらくして戻って来たクレオは、SF映画に出てくるピストルのようなデバイスを手に携えていた。午後の活動の前に神経系を活性化する薬剤を投与するとのことだ。その物騒な形状をしたデバイスで頭と脊髄に薬のカプセルを打ち込むと聞き、水島はひるみ、頭の中でアルファベットの文字列を唱えた。
“ARE YOU A LICENSED NURSE?”(看護師免許、持っているの?)
「今、インストールしてセットアップしてきました。もちろん、アメリカでも日本でも医療用として認可されたプロウェアです。実はここメルクーリが開発した看護師プロウェアなんです。SaaS(Software as a Service) 型で利用することもできますが、上杉先生のアドバイスに従って3ヶ月のライセンスを購入しました。ご安心ください。」
“PRO-WARE?”
「あ、プロウェアはプロフェッショナル・ソフトウェアの略で、ヒューマノイドに機能を追加するソフトウェアです。エキスパート・ソフトウェア、略してXウェアとも言います。水島さんの生前、携帯電話やパソコンで『アプリ』と呼ばれていたものに相当します。」
水島は、Turbo TaxやH&R Blockというアメリカでは確定申告で使われるアプリを思い出した。「(あの時代も税理士は既にアプリだったな)」水島の生前、オックスフォード大学の研究者の論文が話題になっていた。2020年から2030年には、半数近い仕事がAIに奪われるという予測だ。その論文では、医療関連の職業に関してはAIに奪われる可能性は低いとされていたが、今は2067年だ。
「(この時代は看護師もダウンロードかぁ)」
水島は大きなため息を吐き、目の前の物騒なデバイスとそれをかざすクレオの顔を交互に見つめた。水島の気持ちを知ってか知らずか、クレオは正面のモニターを使って投薬について説明し始める。
クレオによると、そのデバイスで打ち込まれるのは極小のカプセルに入った神経系の薬だという。カプセルは自走し、あらかじめ設定された体の部位へ移動、ピンポイントで狙った部位で溶け、中の薬をそこに撒くそうだ。昔の注射や飲み薬だと、たくさん投与してもごく一部しか狙った部位に届かない。大半は関係ない部位で拡散され、しばしば副作用を与えてしまう。一方、この方法だとピンポイントで狙った部位に薬を届けられるので、他の部位に影響を与えることなく、狙った部位に大量の薬を散布でき、結果として薬の効果を飛躍的に高められるのだそうだ。
「(マイクロロボットかナノロボットを使ったドラッグ・デリバリーってやつか。生前、科学雑誌で読んだことがある)」水島は、頭の中をウジ虫のようなカプセルが這い回わる姿を想像して首をすくめた。
「よろしいですか?」と聞かれた水島は、クレオから視線を外し正面のモニターを見据えて考えた。水島の脳波パターンを分析して、そこからアルファベットを抽出しようとしているようで、時々、ランダムなアルファベットが現れる。水島は、頭の中で「(リターン)」と唱えてから、再び、文字列を唱えた。
“DO YOU HAVE A HUNAN-NURSE IN THIS CAMPUS?” (この病院に河南省の看護師います?)
「中国の河南省出身の看護師ですか?」
“NO. HUMAN-NURSE”(違う。人間の看護師)
「人間の看護師ですか?このキャンパスにはいません。どの病院でも人間の看護師はかなり珍しいですよ。精神科のソーシャル・ワーカーには人間の方がいらっしゃいますが。医師には何名か人間の方がいらっしゃいます。午前中、お話しされた上杉先生も人間です。今はロンドンにいらっしゃいますが。」
水島は上杉が自分を「人間です」と紹介した理由は理解できた。一方、何故、病院に人間の医師や看護師が少ないのかが気になる。もしかすると、そもそも、人類があまり存在しないのか?
“DO YOU KNOW THE CURRENT WORLD POPULATION?” (現在の世界人口は何人?)
「世界人口ですか?ちょっとお待ち下さい。・・・ええと、国連の統計では昨年末の時点で102億人です。」
“EXCLUDE HUMANOIDS?” (ヒューマノイドを除いて?)
「もちろん、ヒューマノイドは含まれていません。」
水島は102億人という人口について考える。それが順調に増えた数値なのかどうか水島には分からないが、水島の生前の70億人よりかなり増えており、核戦争などで人類滅亡の危機に瀕している訳ではなさそうだ。
“WHY NO HUMAN-NURSE?” (なぜ人間の看護師がいないの?)
「看護は人間がするには大変な仕事ですから」
“HOW ABOUT DOCTORS?” (医者はどうなの?)
「お医者さんも過酷なタスクや繊細さを求められる仕事は、ヒューマノイドの医師が担当してます。人間のお医者さんは、上杉先生も含め、主に責任者として活躍されてます。」
水島は、さっきから文字入力で何度も間違え、イライラしながら何度も文字を削除しては入力し直している。さすがに脳波で文字入力するのに疲れてきた。少し投げやりな問いを投げかける。
“WHAT HUMANS ARE DOING?” (人間は何をやってるの?)
「私は工場から出荷されたばかりで、あまり知り合いはおりませんが、私がアクセスできる情報の範囲では、皆さん、人生を謳歌されていると伺ってます。」
そう言うとクレオは投薬デバイスをベッドに置き、水島の額や首筋に湧き出た汗を柔らかいタオルで優しく拭い、微笑みかけた。
「水島さんがいらした時代では、私のようなロボットに治療を受けることなんて、ありませんでしたよね?私のような存在、きっと不気味で怖いですよね?それに、このデバイスも?」
まるで感情があるかのように寂しげな表情で微笑むクレオに、水島は少し恥ずかしくなった。「(人間の気持ちまで理解できるのだろうか?)」水島は、目を閉じて大きく深呼吸する。ゆっくり目を開けクレオの方に振り返り、目を見つめる。クレオも水島の目を見つめ返す。しばらくじ〜と見つめて、水島は、突然、おどけた表情を作った。クレオは声を出して笑う。
「どうしたんですか?」
白い歯も見える。水島は驚いた。「(ユーモアを理解している?)」水島は、今度は口角を上げて大きくわざとらしい笑顔を作る。クレオも真似をしてニッコリ笑い返す。口を尖がらせ目を寄せた顔を作る。クレオも目を寄せ、舌を出しておどける。水島は思わず吹き出した。吹き出して笑った。「(凄い!)」水島は感動で震え鳥肌がたった。「これって、・・・(ん?)」
「水島さん、声、出ましたね!声が出るようになりました!」
弱々しく喉から出たかすれ声だが頭蓋骨に反射する振動も感じる。「本当だ、声が出る」記憶にある限り初めて聞く自分の声、不思議な感覚だった。
クレオは、水島に向き合うように軽くベッドに腰掛け、左手で水島の右肘あたりに軽く触れながら「おめでとうございます」と少し真面目な顔で言った。「声を出すことに関しては特に障害はなかったのですが、それにしても、こんなに早く声が出るようになるなんて。よかったですね。」
「ありがとう」水島にとって、声が出るようになったことは、もう、どうでも良いことになった。
「ところで、君は感情を持っているのかい?」
「感情ですか?コミュニケーションを円滑にするための表現能力はあります。楽しい、悲しい、喜び、残念、そういった状況に適応させて、例えば、表情や声のトーン、テンポなどが適応化されます。でも、憎しみ、怒り、嫉妬などに対しては何の表現能力もありません。」
「さっき、君はユーモアをユーモアで返した」
「ありがとうございます。コミュニケーションがより楽しくなるように、日々、学習します。」
そういうと、クレオは再び投薬のデバイスを持ち上げた。
「声が出るようになっても、その薬、打ち込む必要あるのかな?」
「やっぱり恐いですか、このデバイス?これは、声ではなくて手足を動かすための神経系に働きかけるお薬です。もし、私では心配でしたら、十日後に上杉先生がいらっしゃるので、それまで、お待ちしましょうか?」
「・・・いや、その必要はない。」
水島は、クレオに言われるがまま首の後ろを見せる。シュッという音がしたが痛さは全くない。続いて、背中から服をまくり上げられ、背骨に向けて薬が打ち込まれた。投薬が終わると、クレオはその物騒なデバイスを水島がロボットと間違えた機材入れに収納し、水島のベッドを整えはじめた。