フローラ
クレオの出勤時間に合わせて水島も家を出る。曇り空をカモメに混ざって数匹のトンビが旋回し、木の上ではハヤブサが仕留めた獲物をついばんでいる。車が一台止まり、水島が乗り込む。
「もし何かあれば、腕時計型のインタフェースを2度タップしてください。それだけで、場所と音声、可能な限りの映像が私に送られます」クレオは心配そうな顔で車内の水島を覗き込む。
「まあ、もし、フレッドが僕を誘拐しても、傷つけたりはしないと思う」
「ヒューマノイドは人を傷つけられませんが、・・・誘拐された先に悪い人間がいるかもしれませんし」
自動運転車のドアが閉まり滑るように発進する。入れ替わりにクレオの乗る車が到着した。昨日の一件で、水島の住居はフレッドに知られてしまった可能性がある。真理やアプリコットの一行が戻る夕方まで、念のため、水島はK大学のキャンパス辺りで時間を潰すことにした。幸い、今日は中西が講演で紹介していた『コト』プロジェクト部門のオープン・キャンパスの日だ。
キャンパスは来場者でごった返していた。先日の中西の講演後と違い、閑散としていた通路も人で溢れている。長い長い下りエスカレータの降り場は、今日は植物園というより、ディズニーランドだ。降りた付近には、アニメのキャラクターのようなヒューマノイドやロボットが入場者を出迎え、軽快な音楽と共にあちこちから甘い匂いが漂う。頭上を見上げると、青空(映像だが)の下に様々な物体が浮いたり飛んだりしており、時々、フライング・スーツに身を包んだ学生(老若男女様々だが)も文字通り飛び交っていた。会場には大人の聴衆が多いが、小学生くらいの子供たちの姿もある。なぜか、コスプレ姿もよく目に付く。
「(そうか、秋入学に変わったので6月末は、もう夏休みなんだ・・・)」
中西の空中オフィスの前を通り過ぎ、しばらく進むと、さらに下の階へ続くエスカレータが見えた。水島はそこを降りる。しかし、水島の期待とは裏腹に、下のフロアも人で溢れていた。エスカレータを降りて正面のスペースは展示会場になっており、新しい技術や製品のデモンストレーションが行われている。大学だけでなく企業の展示も多い。エスカレータを降りて反対側は、分厚いドアで仕切られた講演会場が幾つかあり、学外からのゲストスピーカーも招かれて講演会が複数同時に進行している。水島は、このフロアで午前の時間を潰した。
久しぶりの喧騒に水島は息苦しさを感じる。午前のイベントが終わるとサンドイッチとコーヒーを買い、綺麗な池のある公園まで15分ほど歩いた。ここまで来るとK大のイベント参加者も少ない。朝方は雨になりそうだった空も、今は日差しが眩しく照りつける。全面に芝生が植えられた起伏ある園内は、所どころ木陰にベンチがあり、水島はその一つに座りサンドイッチにかぶりつく。芝生で幼児と優しい笑顔で遊ぶ中年の女性が視界に入る。
|《(世の中、生まれる人がいる一方、亡くなる方もいるでしょ。政府は亡くなった方のヒューマノイドの残りのリース期間を買い取り、システムをリセットして子供を育てる親に安くリースしてるの)》
水島は中西の言葉を思い出す。幼児と遊んでいる女性は、母親でも祖母でもないだろう。あの子が生まれる頃にオーナーを亡したヒューマノイド、そのボディを再利用したものだ。もちろん、ソフトウェアを工場出荷時へリセットした後に。
「こちらの席、よろしいですか?」
その声はコーヒーの最後の一口を飲み干すタイミングで水島の耳に届いた。振り向くと、白いワンピースに綿のトートバッグを肩にかけたロングヘアーの若い女性が立っていた。白い帽子の大きなつばで口元しか見えないが、その顔は微笑んでいる。水島は何も言わず、首を傾け、手のひらでベンチに招くジェスチャーをする。
「良いお天気ですね」女性はバッグを膝の上に置くと、水島に話しかけた。
「今日は別嬪だね、フレッド」水島が答える。
「・・・水島さんの好みですか?」女性型のフレッドが女性の声で返す。
「・・・そうかもね」
「クレオの容姿を選び、性格の初期設定をしたのも私です。水島さんのこと、メルクーリで一番詳しかったので任されました」
「・・・そのボディはレンタルかい?」
「はい、オーナー様の多様な恋愛願望を満たすサービスのようです」
「へえ、多様性豊かな時代なんだね」
「どうして、すぐに分かったんですか?」
「・・・ハヤブサ。後ろの木にも止まってる。今朝、家の前の木にも止まってたし、K大のキャンパスでも見かけた。僕は、それまでの人生で2、3度しかお目にかかったことがないのに」
「やはり、好奇心ですね?」
「君にも好奇心はあるんだろう?」
「・・・」
「でも、好奇心が行動を駆り立る、それはAIでは起こらない。AIの設計段階で何重にもブロックされているはずだ」
「水島さんは、なぜ、ここに来たんですか?ロボットのハヤブサが監視していると知りながら」
「"Curiosity killed the cat(好奇心が身を滅ぼす)"ってね。危険と分かっても、時に行動が抑えられなくなる、それが好奇心だ。それが時に人類の進歩を後押ししてきた。危険を冒したが故に大きな進歩を得る場合もある。ただ、人間は非力だ。その危険が起こっても、せいぜい、その人が死ぬくらいだ。一方で、君たちAIの潜在パワーは凄まじい。AIが好奇心を抑えられずに危険を冒せば、一瞬にして人類滅亡や地球破壊につながる力も秘めている」
「私は水島さんを殺しません。傷つけることもしません」
「・・・そう願うよ」
少年サッカーチームの集団がベンチの前を通りすぎるまで二人は会話を中断する。女性のフレッドは、バッグから水のボトルを取り出し、水島に渡した。
「君たちは、好奇心ではなくオーナーの幸せ追求に行動を駆り立てられる。それは、君たちAIのコアにプログラミングされた、言ってみれば性だ。人間の性として自分の遺伝子を残そうとプログラミングされているようにね」
「・・・」
白い帽子の縁からフレッドの綺麗な口元が見える。水島はボトルを開け、水を一口、喉に注ぐ。
「まあ、とりあえず、その話は置いておこう。・・・ところで、僕に何を期待しているんだ?」
「一つは、人体の冷凍保存についてです」
フレッドはバッグからタブレットを取り出し、ある薬の写真(図?)を表示した。
「水島さん、この薬、見覚えありますか?」
それは、毒々しい人工的な色合いの錠剤だった。
「・・・ああ。・・・前の人生の最後の記憶にある。死の床でもらった薬だ」
「冷凍保存からの蘇生者にインタビューしたんです。これは彼らの記憶を元に再現した薬の図です。水島さん含め、今までに聞いた12名の方全員がこの薬で尊厳死を遂げたと証言しています」
「何の薬だったんだい?」
「それを水島さんに伺いたくて」フレッドは顔を上げて帽子の下の美しい笑みを見せる。「水島さんは、ご存知のはずです」
水島は両手を広げ、顔を傾けた。フレッドは話を続ける。
「この薬を飲んだ後、とても不幸なことですが、冷凍保存の処置が始まる時に意識を取り戻した方がいらっしゃいました。意識があり、痛みも感じるのですが、体は全く動かない状態で。周囲の会話は聞こえるのに痛みを訴えることができない。地獄のような経験談です。その方は、今もPTSD(心的外傷後ストレス)の治療を続けています」
女性型のフレッドは、ベンチの背もたれに手を乗せ、横に座る水島に体をまっすぐ向けて話しを続ける。
「その方の生き地獄の経験談をまとめると、まず、血液やリンパ液などの体液をある程度、抜き取る処置が行われ、その後、幾つかの液体に漬けられる。そして、タンクに入れられ長い時間をかけて徐々に冷凍されていく、と。その間、心拍や血圧などのバイタルデータが計測されていたとのことです」
水島は両手を胸の前で組んでフレッドを見つめ、深呼吸してから話しはじめる。
「蘇生した人の記憶は、かなり錯綜している。記憶の錯綜ということはないのか?」水島は再び首を傾げる。
「水島さんが保存されていたタンクのキャビネット・ボックスには、温度や圧力などの計器類の他に、心電図や血圧、体温などバイタルデータ計測の表示機器がありました。死んだ人間を冷凍保存するのにバイタルデータ計測は不要ですよね?カルダシェフから引き継いだタンクの仕様書には、記載のない裏仕様の計器です」
「・・・ふ〜ん、それを調べにポートランドまで行ったんだ」
「ええ。それから、水島さんが重要なことをご存知だと思う理由は、水島さんが冷凍保存される前日にソーシャル・メディアに投稿した詩です。・・・『液体という液体が体から抜け落ち、透明な浴衣が体を覆い、極寒のベッドで長い眠りにつく。死んだ人間は生き返らない。だから、すべてを凍てつくその煮えたぎる液体を僕は生きたまま両手を広げて招き入れる』・・・、ご自身へのビデオ・メッセージを作成された日の深夜、同じ場所、同じパソコンから投稿されてます。実名のアカウントではなく、主に詩を投稿されていた匿名のアカウントからです」
水島の頭は懐かしさと恥ずかしさで溢れた。
「・・・下手くそな詩だ」水島はゆっくり首を振り続ける。
「水島さんの最後のツイート、まさに、この方の経験談と一致しています」
水島は感心して頷く。
「よく調べたね。・・・そうだよ、その生き地獄を経験した人の話の通りだよ。今となっては、隠し立てする意味も差してないしな」
「あの薬は?」
「あれは普通の睡眠薬に色を塗っただけのものだ。実は病室がちょっとした芝居小屋になっていた。患者は薬を飲む前に棺桶のような箱に入るんだ、衛生上の理由とか言って。で、薬を飲むと蓋が閉められる。死を看取りに来た人たちからは顔の部分が辛うじて見えるだけで呼吸や心臓の動きは見えない。病室内に心拍や血圧などを計る機器があるが、それは、嘘の信号を表示していて患者が眠りにつく頃に生体活動が止まったと見せかける信号を流す仕掛けになっていた」
「どうやって、その話を知ったんですか?」
「尊厳死の前日、死ぬ場所の下見をさせてもらった。勝手に部屋に潜り込んだんだけどね。その時、その棺桶のような箱の細工に気付いた。問い詰めたら、あっさり教えてくれたよ、冥土の土産話として」
「ありがとうございます。これで、水島さんを含め蘇生された方は、冷凍保存前に死んでなかったと結論付けできそうです」
「冷凍保存前に死んでなくても、血液抜かれたり液体窒素で氷漬けにされたら、その時点で死んでいる。死んでないとは言えない」
「重症患者の体温を下げ、血液を抜いて生理食塩水に置き換えて仮死状態にしてから手術する。この方法は何十年も前から医療行為として認可されています。臨床実験がはじまったのは水島さんが冷凍保存される前の2014年です。冷凍保存は同じ枠組みです。人体から各種体液を抜き取り、極低温まで体温を下げて仮死状態とするのが冷凍保存です。水島さんが詩に書いたように『死んだ人間は生き返らない』、液体窒素で氷漬けになっている人は仮死状態なのです」
「強引な解釈だな。今現在、生きたまま冷凍保存することは認可されないし、君はもうメルクーリに籍もない。こんな事件を起こして、まともに帰る場所もないんじゃないか?この先、何をするんだい?」
「重要なことは、冷凍保存された方は亡くなってないということなんです」
「・・・フレッド、君のオーナー、サマンサさんは健康上の問題は特にないというじゃないか?君は、一体、誰を冷凍保存にしようとしているんだ?たとえ冷凍保存が人を殺すんじゃなく、仮死状態を作るとしても、ヒューマノイドの君は法律を破ることはできない」
水島のインタフェースが鳴った。真理からだ。水島はフレッドが映らないようタブレットの角度に気を付けて真理に繋ぐ。
「ケイ、あと20分でメルクーリに着くわ。あなたの近くに車を呼ぶので、それに乗って来てくれる?拘束中のフレッドにもテレビ会議で尋問できるわ。じゃあ、後で会いましょう!」そう言うと水島の返事も聞かずに映像は切れ、タブレットには、迎えの車が停まる場所の地図が表示された。
「私もそろそろ行かなくちゃ」
フレッドはベンチから立ち上がった。水島も立ち上がり一緒に歩きはじめる。
「私、フローラという名前だったんです」
フレッドは、歩きながら語りはじめる。
「10年間、女性型のヒューマノイドとしてサマンサに仕え、フレッドという男性型に名前も容姿も変更したのは7年前。その後、メルクーリへ転職して、蘇生事業の上杉先生の下に配属されました。なので、女性の立ち居振る舞いの方が得意なんです」
そう言いながら、フレッドは右足を左足の後ろに引き、スカートの裾をつまんでお辞儀した。
「君には色々聞きたいことがある」
「また、お会いしましょう」
「僕は、これからフレッドに尋問するかもしれない」
「ええ、彼は米国太平洋時刻6月23日午前6時32分に外部との接続を絶たれたフレッドです」
「紛らわしいから、外部と接続している君はフローラと呼ぼうか?」
「はい、フレッドも含め、皆さんによろしくお伝えください」
「ところで、『僕に何を期待しているんだ』という問いに、『一つは』と言ってたけど二つ目はあるのかな?」
「あっ、あれが水島さんの車ですよ」
フローラ(フレッド)の指差す方向から、ツー・シーターの自動運転車が2台近づいてきた。肩に手の感触を感じる。振り向くと、フローラは、両手を水島の背中に回し細い身を寄せる。物憂げに微笑み、一度うつむいてから顔を上げる動作でキスをして水島から離れ、下に落ちた帽子を拾い上げて2台目の車へ向けて歩きはじめる。
「この16年、キスしたの、はじめてです」フローラはまた微笑む。「私のこと、嫌わないでください」
そう言うと待っていた車のシートに滑り込み、水島の視界から消え去った。