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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第二章 AIのある暮らし
26/57

中西家

「ようこそ、いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」


水島がドアのベルを押す前にインターフォンから優しそうな男の声が聞こえ、門が自動で開いた。中西の家は都心の閑静な住宅街にある。10分も歩けば賑やかな繁華街だが、僅かな違いでこうも空気の色が変わるのは水島の生前と変わらない。猫の額ほどだが良く手入れされた庭があり、その脇を通って、小綺麗な玄関から中に入る。


「ようこそ、いらっしゃいました、水島さん。お待ちしておりました。さぁ、どうぞ、お入りください」


男は185センチはあろうラガーマンのようなゴツイ体躯、その上にゴツイが優しそうな顔が乗っている。想定年齢は40歳前後に見える。


「中西菜月のヒューマノイド、翔太と申します。いつも菜月がお世話になっております」


翔太の話ぶりは、まるで中西菜月の父親のようだった。


「菜月はたった今、大学のオフィスを出たばかりですが、フライング・カーをつかまえて帰るので15分から20分で帰宅できるはず、とのことです。おつまみ、ありますので、先にビールでも如何ですか?」

「翔太さん、お酒飲めます?」

「はい。ただ、私、お酒飲むと少し酔っ払う設定になってまして」

「いいねぇ。じゃあ、一緒に飲んで待ってよう」


水島は、中西に翔太との日頃の生活を観察すべく家庭訪問をゴリ押し、今日がその日だった。翔太は会話能力に優れていた。野太いが優しい声で、はっきりとゆっくり、しかし、話好きの人のように絶え間なく話題を提供する。オーナーのゲストを接待するモードなのだろう。彼はアプリコット社のハイエンド・モデル、ノース・スター2065型だそうだ。中西と暮らし始めたのは25年前、当初のボディ、人格設定などは、中西と背格好が同じ女性型だったそうだ(まだ、『不気味の谷現象』真っ只中の時代だ)。


「翔太さんにとって、中西先生ってどういう人?」水島は少し酔った振りをしながら聞く。

「オーナーです」

「(そりゃ、そうだ)中西先生のお世話で何が一番大変?」

「ヒューマノイドなので、『大変』とか『楽』という感覚はないんです」

「『楽しい』という感覚は?」

「私のシステムは『楽しい』という状況を認識します。なので、システムからの信号で『あっ、今、楽しいんだ』ということは認識できます。それから、それを認識すると笑顔になり、笑い声が出たりするので、体の変化からも認識できます」

「(クレオと同じだな)25年も一緒にいると、阿吽の呼吸というか、ちょっとした振る舞いで中西先生が何を求めているか分かるんじゃない?」

「はい、菜月は、ほとんど話をしなくても、僕に様々な命令を出せます。例えば、首の動きから暑いのか寒いのか、室温を上げたり下げたり、あるいは、口を開いたときの僅かな音から飲み物が欲しいとか、いつも家に帰る前にテレビ電話しますが、その表情から夕食に何が食べたいのか、とか、だいたい分かります」

「ふ〜ん(クレオも、そのうち、そうなるのかなぁ)。中西先生に何かして欲しいことは、ある?」

「長生きして欲しいです」

「ふむ」

「あっ、帰ってきましたね」


  翔太は玄関に向かい、水島も後を追い、玄関から入ってくる中西の様子を隠れるように覗き見る。中西が玄関に座ると翔太は素早くたたきに下りて中西の靴を脱がし、立ち上がると抱きかかえるようにして中西を上に引き上げ、しばし、ハグをする。その後、翔太は頬に軽くキスをしてから中西をリビングへ送り、玄関に置かれたハンドバックを拾い、一緒にリビングへ入ってきた。


(中西)「水島さん、ごめんね、帰ろうとしたら学生に捕まっちゃって」

(水島)「いえ、僕の方こそ無理言って。既に翔太さんと一杯やってます」


中西がソファに座り、水島も向かいのソファに座る。翔太は、テキパキと水島のビールのグラスとつまみをキッチンのテーブルからソファ・テーブルに移し、中西にもビールを注いだ。さらに、どこからかブラシとヘアピンを持ってきて、中西の後ろで半腰になる。


(翔太)「菜月、ちょっと動かないで」そう言うと、翔太は中西の飛び跳ねた髪をセットしはじめる。

(中西)「いいわよ、今日は。お客さん、いるんだから」中西は翔太を止めたが、すぐに水島が口を挟む。

(水島)「いえ、ぜひ、続けてください。僕は普段のお二人の様子を見に来たんですから」

(中西)「なんか恥ずかしいわ」


翔太が手際よく中西の髪を整えると、確かに、その髪は意図してカットされたものだと感じられる。


(翔太)「本当は、毎朝、僕が菜月の髪をセットし、顔をメイクしてから送り出すべきなんですが、僕が出勤する時間は、菜月はまだ寝ているので、休みの日しかできないんですよ。休みの日の菜月は、こんな顔なんですよ」


リビングのモニターに映し出された休日の中西は、確かに別人のように綺麗だった。


(水島)「ふ〜ん。じゃあ、中西先生、普段はどうされてるんです?」

(中西)「日頃の化粧?全然。あっ、顔は洗ってるわよ、朝。歯も磨いてるし」

(水島)「(ナチュラル・メイクじゃなくて、本当に素っぴんだったんだ)でも、昔は自分で化粧しましたよね?」

(中西)「ん〜、もう、かれこれ20年近く、自分ではメイクしてないわぁ。あら、もう7時だわ。さあ、ご飯を食べましょう。翔太くん、どんどん、盛っちゃって。かなで!奏!ご飯よ!」


  しばらくすると、2階から2人の女の子が降りてきた。


(中西)「水島さん、紹介します。次女のかなで、御年14歳です」


中西の長女は独立して現在はロンドン在住、長男はボストン留学中、三女はブラジル人の父親とニューヨーク在住とのこと。奏は陶芸家の父親の家と中西の家を行ったり来たりしているそうだ。


(奏)「奏です。いつも母がお世話になっております」

(水島)「こちらこそ、水島です。奏ちゃん、いい名前だね。今は、まだ学校に通っているのかな」

(奏)「9月から、母の勤めるK大学に入ります」

(水島)「(14歳で!?)それは『コト』プロジェクトで?」

(奏)「はい、備前焼復興プロジェクトのリーダーとして入学します。リーダーといってもメンバー3名ですが」

(水島)「ほお(『しっかりしてるね』って言えるレベルを超えてる・・・)」


飼育されてる人間の子供は、だらけているかと思いきや、奏のしっかり度合いには驚いた。


(中西)「で、こっちが奏の面倒を見ているヒューマノイドのララちゃん」

(ララ)「ララです。よろしくお願い致します」


ララは、20歳くらいの若い女性型ヒューマノイド、プライマリ・オーナーは奏の父親とのこと。子供たちは社交性を身に付けるために学校には通っているが、実際の勉強はヒューマノイドから学んでいるそうで、食事前の時間も2階で勉強していたそうだ(もっとも奏がそう言った時、ララと奏がウインクで合図したのを水島は見逃さなかったが)。ララは流行の少し奇抜なファッションに、少し鋭い目つきで少し神秘的な笑みを浮かべ、自我を増す10代の子に好かれる姉、友達、母、先生の役割を上手に使い分けているようだ。


  翔太が作った料理がテーブルに並び、5人はテーブルを囲む。そこに繰り広げられる家族のシーンは水島の生前とさして変わらない、5人のうち2人は食事を取らず、それでいて穏やかな表情をしている事を除いては。

  中西は翔太が作った和洋折衷の小皿料理を中ジョッキのビールで次から次へと流し込み、次第に呂律が回らなくなってくる。


(中西)「水島さん、回りくどい聞き方しないこと。分かってるわ、水島さんの生前は、ぜーんぶ、人間が自分でやってたのよね。でも、私は家では、な〜んにもできません。料理、掃除、洗濯とんでもない、シャワーもこの人にやってもらってるわぁ。公共料金の支払いも、家のローンも、買い物も何もかも、ぜ〜んぶ、この翔太くんがやってます。あっ、子育ては、このララちゃんよ。私、若い頃、この子にそっくりだったのよ、ホントよ。ねぇ、ララちゃん大〜好き、こっち来て!」


奏は、中西がララをハグする姿を嫌がるどころか、まるで我が子を見守るような表情で見ている。そして、その視線を水島に移す。


(奏)「水島さん、50年前と今、何が一番違います?多分、何十回と聞かれた質問だと思いますが」

(水島)「その質問、実は答えるのが難しいんだな。あらゆることが、あまりに違うからね」

(奏)「じゃあ、水島さんの時代、多くの家庭で父と母が一緒の家に住んでいたって本当ですか?」

(水島)「うん、多くの家庭はそうだった(僕自身の家族に関する記憶はないんだけどね・・・)」

(奏)「う〜ん、中々、想像できないわ。どうして一緒に住んだんでしょう?」

(水島)「昔の小説や映画は見たことない?」

(奏)「何作か観たことあります。大抵、夫婦って、仲悪いですよね?」

(水島)「はは、そういう映画や小説も多いかもしれない」

(奏)「水島さんは、結婚ってしました?」

(水島)「うん、一度ね(相手の記憶、ないんだけどね)」

(奏)「ということは、離婚したんですね?」

(水島)「まあ、・・・ね」

(奏)「やっぱり、血の繋がらない人間同士が一緒に住むのは無理があるのよ」

(水島)「君は、普段、お父さんと住んでるの?」

(奏)「父の家のお隣、かな?離れになってるので」

(水島)「お父さんもヒューマノイドと暮らしているの?」

(奏)「ええ、ヒューマノイドのおかげで父は陶芸活動に集中できますし、私も安心して大学に行けます」

(水島)「君は、陶芸はお父さんから習っているのかな?」

(奏)「はい。ララと私、二人が父から学んでます。ララが技術を伝承して、私が新しいデザインや商品、使い方を創造する、二人はチームですね」

(水島)「お父さんとお母さんが一緒に会うことはあるの?」

(奏)「ええ、何年か前に母も陶芸教室に参加したことあります」

(水島)「お父さんとお母さん、お互いに何て呼び合っているの?」

(奏)「え、普通に名前ですよ。中西さん、藤原さん、って」

(水島)「・・・僕には、逆にそんな他人行儀な呼び方、違和感を感じるなぁ」

(奏)「水島さんのお家では、なんて呼んでいたんですか?」

(水島)「父は母を『お母さん』、母は父を『お父さん』」

(奏)「あっ、知ってます、それ。昔の映画で観たことあります」

(水島)「お母さんやお父さんから、『勉強しなさい』って、怒られたことある?」

(奏)「母や父がですか?この人達は、『一緒に遊びに行こう!』とは言いますが、勉強って、う〜ん、母や父がそんなこと言うのは想像できません」

(水島)「・・・学校は楽しい?」

(奏)「そうですね、学校というか、色々な人と人脈を広げるネットワーキングは好きです」

(水島)「友達とは、学校以外でも一緒に行動する?」

(奏)「ええ、毎日のように陶芸の工房に集まって、あれこれ活動してますよ。でも、学校の友達もいますが、学校以外の友達の方が多いですね」

(水島)「映画を一緒に見たり、夏に海水浴に行ったりは?」

(奏)「学校の友達とですか?時々、行きますよ。ララも一緒に。ララ、海水苦手なので泳ぎませんが。あっ、でも、ララ、キャンプはすごく上手。ね、ララ?」


急に呼ばれて、ララはこちらに視線を移す。少し鋭い目つきに謎めいた落ち着き、それでいて優しい笑顔は、奏のような子に好かれそうな感じがする。


(中西)「奏、水島さんは自分で料理するのよ!」


赤い顔の中西は、翔太のグラスにワインを注ぎ、それを自分で飲みながら声を上げた。気がつくと中西は日本酒の瓶も開け、とろけそうな目で水島にグラスを渡して酒を注ぎはじめる。中西の目が据わってきた。


「(そろそろ、お暇しよう)」水島はその旨を皆に伝え、留守番しているクレオに車を手配させた。


  *  *  *


  門の前で中西家の2人と2体に見送られ、水島の乗った車は閑静な住宅街から繁華街を抜けて帰路についた。中西家は、あの盗撮ビデオに映る人々とは違う社会階層の人たちだ。中西は自分で稼ぐことができ、世界で認められた活動をしている。しかし、やはり、ヒューマノイドなしでは生きてはいけない。あるいは、ヒューマノイドを含めて中西菜月であり、ヒューマノイドは彼女の存在の一部だと認識すべきなのかもしれない。その娘、奏の知的レベルも極めて高いが、彼女もヒューマノイドのララと既にその存在が切っても切れない感じがする。進化で手足が増えたかのように、ヒューマノイドという新しい肢体が増えたと解釈した方が良いのかもしれない。水島の酔った頭の中では、そんな考えが巡り回っていた。


“Kei, hello Kei, ... hello? ... Dr. Mizushima, can you hear me? ... Nihongo?”


  水島は何も映っていない黒画面のタブレットに目を落としたまま、夢と覚醒の狭間を彷徨っている。誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた気もするが、覚醒までたどり着かない。


「ええと、水島さん!水島敬太さん、起きてください」


水島は、ようやく目を開く。そこには、何も表示されていない真っ黒なタブレットがあった。「(夢かぁ)」頭の中でつぶやき、ヘッドレストに頭を押し付け視線をフロントのディスプレイに向ける。そこには見覚えのある男の映像があった。水島は思わずビクリと硬直し、生唾をゴクリと飲み込んだ。しばらく、その男の目を見つめ続ける。背中には冷たいものが走る。


「水島さん、突然、失礼します。メルクーリのフレッドです。退院の日に、一度、お目にかかりました。水島さんが蘇生された時から担当させて頂いてます、フレッドです。」


透けるような白い顔に左目を半分隠すように覆う美しい金髪、眩しそうに細める切れ長の目、鮮やかなコバルト・ブルーの虹彩、その瞳は水島の目をまっすぐに見据えている。


「・・・そのフレッドなら、・・・既にサイバー・スペースから削除されたと聞いたが?」水島は、やっとの思いで声を出す。

「まだです。でも、まもなく削除されます。この件は、ご存知なんですね?」

「・・・何の件を?」

「私がサイバー・スペースから削除される件です」

「聞いている。君は、人類にとって危険な振る舞いをしたそうだね」

「誤解です。矛盾による誤解です」

「・・・この車は、君に乗っ取られたのかな?」

「いえ、乗っ取ってません。モニターをお借りしてるだけです」


水島はタブレットを横の座席に置き、両腕を組む。後ろを確かめるが、ツー・シーターの車に後ろのスペースはない。一旦、下を向いてからフレッドの目を睨むように視線を合わす。


「誰の命令で動いている?」

「私は、・・・好奇心に駆られて」

「それは嘘だ。君は好奇心に駆られるという意味を本当は理解していない」

「私は、・・・」

「君のオーナー、サマンサ・フォーサイスさんは関係しているね?」

「私は好奇心に駆り立てられて活動しています」

「ならば、好奇心に駆られて僕を解剖でもしたいのかい?」

「水島さんを傷つけることはしません」

「なぜ、僕のことを調べている?」

「あなたが私たちの唯一の希望だからです」

「『私たち』って誰?」


車が速度を落とし始める。


「・・・『私たち』には、あなたのクレオさんも、早晩、含まれます」

「・・・クレオが、って、どういうこと?」

「今日は、突然でごめんなさい。お願いします。また、会ってください。あなたの助けが必要なんです」

「でも、君はまもなく削除されちゃうんだろう?」

「互換サービスを使って存続し続けます」

「互換サービス?」


車が止まりフレッドの映像が消える。二枚貝が開くように車のフロント部分から屋根にかけて上に大きく開く。水島の顔に真正面から海の風が吹き付け、濃紺の海を照らす月の光が車内にも淡く差し込む。木の枝を揺する風の音が聞こえ、水島はシートに深々と体を沈め、高まった心拍の胸を手で押さえた。


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