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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第一章 蘇生
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出逢

  降りしきる雨、合羽にゴム長靴、母に繋がれた手にぶら下がるように力を入れ、濁った水溜りへ足を伸ばす。通りがかりの車に驚き、拍子で水溜りの中に転び落ちる。慌てて引き起こす母の姿。夢と覚醒のはざまで、さっきから何度も繰り返されるシーンだ。幼少期の記憶か、映画かドラマのシーンか?夢の中の女性は母なのだろうか?自分は2016年に死んだようだが、母はいつどのように死んでいったのだろう?今は西暦何年でここは何処なのだろう?あの上杉という男は肝心なことを伝えてくれなかった。

  光が変わる気配を感じ水島はゆっくり瞼を開ける。そこは美しい海岸線に臨んだ病院の一室だった。病室の大きな窓は開け放たれ、地平線まで続く切り立った崖の足元は波立つ白い海岸線、崖の上の草原では馬や牛が草を食んでいる。その窓とそこから見える景色も白い壁に映し出された映像なのだろう。

  ドアを叩く音が聞こえ、右に視線を向けるとそこにドアが現れた。正面の壁には、ドアの外で待つ女性の姿が映し出され「ドアを開けてよろしいですか?」というメッセージが表示される。頭の中で「(イエス)」と唱えるとドアが開き、女性に連れられてロボットが一台、水島の病室に入ってきた。ベッドのリクライニングがゆっくりと傾斜をつけはじめ、その動きが止まるタイミングで水島は女性を笑顔で迎えた。挨拶として、会釈ではなく無意識に微笑んだ自分に、アメリカに長く生活していたであろう形跡をみとめた。


「はじめまして。メルクーリ・リサーチ・インスティチュートから送られてきましたクレオと申します。本日から、よろしくお願い致します」


日本人とのハーフだろうか、ネイティブな日本語に完璧な日本式のお辞儀、ほどよい営業スマイル。年の頃は20代後半、いや、落ち着き具合からもう少し年上か。細身で長身の体を明るい紺のブレザーで包み、ショートカットの黒髪に半分隠された形の良い耳たぶには細長いアクセサリーが小さく銀白色に輝く。華やかな雰囲気の担当者の傍に立つロボットは、しかし、映画スターウォーズのR2D2やBB-8のような愛されるデザインのロボットを期待していた水島には残念だった。ゴミ箱のような筐体をボディに、顔の代わりに黒いタブレットが付いているだけの貧相なデザインだ。足もなく、タイヤかキャタピラで移動するのだろう。かつて自分が購入を考えたカンダのスポーツカー、NSXとは、同じモデル名でも正反対のデザイン・コンセプトだ。少々落胆したが、しかし、これだけ技術の進歩した時代のロボットとの生活にはワクワクするものがある。気を取り直し、クレオへ視線を戻す。


「水島さんは、今は声も出せず、手も使えず、意思疎通に不自由されています。私たちに聞きたいことがたくさんあると思います。そこで、まずは、水島さんの脳波を学習して水島さんが脳波でお話しできるようにしたいと思います」


そう言うとクレオは、持ってきたバッグからヘアバンドのようなものを取り出した。それは脳波スキャナーの読み取り装置だそうだ。クレオの説明によると脳波スキャナー本体は蘇生プロセスの段階で既に水島の脳内に埋め込まれているとのことだ。そのスキャナー本体から必要なデータを読み取り、外部コンピュータに送信するのが、この読み取り装置の役割とのこと。水島の寝ているベッドの頭部周辺にも同じ機能の読み取り装置が装備されているが、ベッドを離れてもデータを読み取れるようにするための携帯型読み取り装置ということだ。


「失礼します」と言いながらテキパキと水島の頭にヘアバンド型の読み取り装置を取り付け、しばし両手でそれを調整する。「脳波は良好に取れています」、連れてきたロボットには一瞥もくれずにそう言うと、クレオはコンピュータによる脳波の学習について説明し始める。

  まず、コンピュータが提示する言葉を水島が頭に思い浮かべる。コンピュータは脳波スキャナーを通して、その瞬間の水島の脳の活動パターンを調べる。例えば、コンピュータが猫という言葉を提示し、水島が猫という言葉を頭に思い浮かべた時に脳のどの部分がどのように活動したか、そのパターンをデータとして読み出しコンピュータ(AI)が機械学習する。これを様々な言葉に対して繰り返す。単語だけでなく、定型表現や感情をも学習するという。ある程度、コンピュータの学習が進むと、コンピュータは水島がある言葉を頭に思い浮かべた時に水島の脳の活動パターンを調べ、何を思い浮かべていたか推定することができる。簡単には、これが脳波スキャナーの学習方法であり、脳波の通訳の原理だという。実際には、脳では常に様々な脳細胞が活動しており、また、消滅したり、脳細胞どうしが新たに繋がったり、離れたり、絶えず変化しているので、脳の活動のパターンは時空間を使った極めて複雑な捉え方をする必要があるそうだが、専門的になりすぎるので、簡単には説明できないとのことだ。

  水島が死んだ当時の脳波スキャナーといえば、貧相な脳のグラフィックス上に赤や緑色のインクを撒き散らしたような、ぼやけた絵で脳の活動を表現する程度の非常に低い分解能しかなかった。あいまいな電位分布の変化しか分からなかった。しかし、上杉が示したように、この時代の脳波スキャナーは1400億個の脳細胞の活動を1つ1つ捉えることができる。そして、水島の脳波は、蘇生後、3週間もモニタリングされている。水島の脳に関しては、おそらく膨大なデータが解析されているはずだ。「(俺の頭は、もう筒抜けだな)」水島はそう感じた。


  クレオの説明が一通り終わると水島の正面のモニターがクイズ番組のパネルのようになり、いかにも、そこに何か表示される雰囲気となった。


「では、はじめましょう。まずは、最も簡単ですが、組み合わせ次第で何でも表現できるアルファベットからです。声を出すように心の中で1文字1文字唱えてください」


クレオがそう言うとモニター上にAの文字が表示された。クレオは指揮者のように手で弧を描いて水島を促した。水島が頭の中でAと唱える。B、Cと続ける。26文字が終わり、クエスチョンマークや感嘆符、コンマやカンマ、カッコ、閉じカッコ、スペース、改行なども加わり、それから数字のゼロから9へと続いた。一通り終わると、そこからは、表示される文字の順番はランダムになった。Jが表示されたかと思うと、次は、4が表示されたり、Fが続けて表示されることもあった。この作業を30分くらい続けた後、クレオは「では、今度は文字を入力してみましょう」と言った。モニターは文字の入力を待つ画面に変わった。


「(いったい、この人はどうやってモニターを操作しているのだろう?)」水島は少し不思議に思った。クレオは手に何も持っていない。脳波で操作しているのだろうか?しかし、それらしきデバイスは見当たらない。あの銀色のピアスに秘密があるのか?あるいは、横にいるロボットがクレオの次の言葉を推測してモニターの画面を操作しているのだろうか?ならば、あのロボットは見かけによらず中々賢い。


「では、水島さんのお名前、K-E-I-T-Aを脳波で入力してみましょう。他のことを考えず、アルファベットのことだけを頭の中で唱えてください。心の中でしっかり声を出す感じでお願いします」


水島が言われた通りに心の中でK、E、I、T、Aと順番に唱えると、その文字列はあっさりとモニターに表示された。拍子抜けするほど簡単だ。水島は続けて、”THANK YOU, KLEO(CORRECT?)!”と唱えた。


「どういたしまして。はい、クレオのスペルはこれで正しいです」


水島は続けた。”I HAVE QUESTIONS”(質問)


「はい、何でしょう。私で答えられることでしたら、何なりと」


“WHERE IS THIS? JAPAN? USA?”(ここは何処?日本?アメリカ?)


「上杉先生、お伝えしていなかったのですね。ここは、アメリカのカリフォルニア州ウッドサイドにあるメルクーリ本社キャンパスにある病院です。水島さんがオレゴン州のポートランドの病院に入院される前に長らく生活されていたお住いの近くです」


地名からは特に思い出すことはなかったが、やはり自分はアメリカにも住んでいたということは確認できた。そして、最も聞きたかったことをスペルにした。


“WHAT YEAR IS THIS?”(今年は何年?)

「それも伝えられてなかったのですね。今年は2067年です。2067年4月11日、月曜日です」


「(2067年?まだ21世紀じゃないか)」、2016年の水島の予想は外れ、22世紀でも23世紀でもなく、同じ21世紀に蘇ったのだ。水島は2067年という年代に、しばし思いを巡らせたが思い当たることは何もなかった。しばらく考えて頭に浮かんだことといえば、ドラえもんの製造はまだ先の未来ということと、自分を知っている人が、まだ、この世にいるかもしれない、という2点だった。


「水島さんは1972年生まれなので、普通の数え方なら今年で95歳になられます。でも、51年間冷凍保存されていたので、まだ44歳ですね」


クレオはそういうと、食事の準備ができたようなのでランチタイムにしましょう、と手を2回叩いた。それに合わせるように部屋の様相は青空と大草原が広がる高原に変わり、ベッドには再び木漏れ日が差し、草原の映像と同期してよそ風が水島の頬を撫ではじめた。


「水島さん、蘇生後、初めてお口からお取りになる食事ですね。まだ手がうまく動かないので、私がお手伝いします」


胸の前で両手の指を軽く合わせて微笑むクレオの自然な振る舞いを見ながら、水島はさっきから感じる、もう一つの疑問を考えていた。


  ベッドのリクライニングが食事用に角度がきつくなり、傍らからオープンカーの屋根のように折りたたまれた板が何枚か飛び出し、水島の太ももをまたぐようにベッドの上でテーブルに変わった。と、同時に病室のドアが開き、給支台が自動運転でトレーに載った食事を運んできた。クレオは給支台からテーブルクロスを取り、ベッドの上のテーブルに広げ、そこへ給支台からトレーを移す。そして、給支台の引き出しを開け、中からナプキンを取り出し、水島の首に付ける。「失礼します」、そう言うと、太ももがテーブルにあたらないよう気をつけながらベッドの横の小さな椅子に腰掛けた。


「流動食でゴメンなさい。水島さんのお身体は、まだ普通の食べ物は受け付けられないそうです。上杉先生の予想では、あと1ヶ月もすれば、もっと美味しいものが食べられるようになるそうです」


そう言うと、クレオはスープともお粥とも言えぬ食べ物をスプーンですくい、軽く口を尖がらせてフー、フーと少し冷ましてから水島の口元に運んだ。正直、食べ物というより、薬と言った方が適切な味だ。あるいは、味覚がおかしいのかもしれない。水島は5度目に差し出されたスプーンの液体を飲み込んだあと、クレオの目を見つめながら右手を上げ、握れない五本の指で正面の壁を差し、何かを話すように口を動かした。


「何か、お聞きしたいことがあるのですね」


左手にはスープの器を、右手にスプーンを持った状態でクレオがそう言うと、正面の壁は高原の風景を残しつつも、中央はさっきと同じ文字入力画面になった。水島は少し考えてから頭の中で文字を順番に唱えた。


“WHAT IS THAT ROBOT?”(あのロボットは何?)


「あれですか?あれは、ロボットじゃなくて機材入れです。治療やリハビリに使う機材から、ピクニックの道具も入っています」


「(あれはロボットじゃない?)」、水島は質問を続ける。

“WHERE IS KANDA NSX?” (カンダ NSXは、どこにあるの?)


「はい、ここにいます。私がカンダ・モーターズのヒューマノイド、NSX 67-LMモデル、フル・オプション仕様です。モデル名まで良くご存知ですね。上杉先生は、場所とか年代とか伝えずに私のことをお話されたんですね」


そう微笑みながら答え、クレオは「あ〜ん」と言ってまた水島の口元にスプーンを運んだ。水島の目はクレオの顔をたっぷり30秒は凝視したが、この女性にからかわれているんだと思い、すぐに口元を緩めながら頭の中で文字を唱えた。


“YOU MUST BE KIDDING”(冗談だよね?)


クレオは正面のモニターに映し出された文字を見るまでもなく、「えっ、何がですか?」と聞き返す。水島は背中に汗が一筋流れるのを感じ、再び、クレオの顔を凝視する。水島が凝視するクレオの目には涙の潤いがあり、白目部分には細い血管の線も確認できる。ブラウンの虹彩のパターンは美しすぎる感じもするが、中央の黒い瞳孔は木漏れ日の加減に合わせ大きさを変えている。まつげや眉毛も丁寧に整えられてはいるが自然だ。ファンデーションが塗られたきめ細かい肌には、うっすらとうぶ毛も確認できる。ファンデーションに隠れて色が薄くなってはいるが、左目の下には小さなホクロも見える。「あ〜ん」と言う時に見える口の中の湿った感じも実に自然だ。水島は平静を装い、今度は少し長い文字列を頭の中で順に唱えた。


“YOU ARE A HUMAN EVEN YOU ARE SUCH BEAUTIFUL” (君はそんなに美しいけれど人間だ)


水島が入力する間、クレオは微笑みながら、じっと水島を見つめていた。そして、入力が終わった後もモニターの方には目を向けずに返事をする。


「ありがとうございます。でも、本当です。例えば、人間は、こういうことはできませんよね」


そう言うとクレオの右目から赤い光が発せられた。そして、クレオの顔と共に赤い光線も動き、正面の壁に赤い光の点ができる。赤い点は蝶の形になり、壁に沿ってゆらゆらと飛びはじめる。続いて左目からは緑の光が飛び出し、壁にできた緑の点は、今度は子犬の姿に変わり、緑の子犬が赤い蝶を追いかけ始める。クレオが目を閉じると2本のレーザー光線は消え、再びまぶたを開いたクレオは美しくはあるが、普通の人間の顔に戻っていた。器とスプーンをテーブルに置くと、クレオは水島の目を至近距離から見つめた。


「水島さん、これが私の視界です」


水島が正面に目を向けると、壁いっぱいに水島の顔がズームアップされていた。クレオが水島の顔を右から左へ覗き込むと、壁のズーム映像も水島の右顔から左顔へと移り変わる。クレオは優しく水島の頬を両手で包み、顔をさらに近づける。


「水島さん、私の目を見てください。水島さんの網膜に、直接、私の映像出力を投影します」


一瞬、何かのパターンが目に映ったと思った次の瞬間、クレオの顔があるはずのその位置に水島が入力した、“YOU ARE A HUMAN EVEN YOU ARE SUCH BEAUTIFUL”の文字列が表示されている。水島は生唾を飲み込む。映像が消えると、クレオの顔が水島から10センチのところにあった。


「私は基本的にコンピュータです。先ほどの脳波スキャナーの学習画面、あれは私の映像出力です。無線でこの部屋のモニターに出力しました。水島さんが脳波で文字を入力したということは、実は水島さんが脳波で私を制御した、ということですよ」


クレオはベッドの元の位置に腰掛けなおし、再び、スプーンで水島の口に流動食を運んだ。


「はい、あ〜ん・・・」


口は勝手に流動食を飲み込んではいたが、水島が我を取り戻すまで、優に10分は経過していた。


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