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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第二章 AIのある暮らし
19/57

講演

ショッピング・センターの中を彷徨っていると、果たして、そこにK大学の講堂があった。スイーツを売る店の前を通り過ぎて扉から奥へ入ると傾斜のきつい階段式講堂の一番上に出た。ステージを中心に座席が扇型に配置され、ステージの後ろには巨大なスクリーンが構えている。あまり広くない、座席数は500くらいか?それでも50人程度しかいない聴衆ではガラガラな感じがする。

  中西は既に会場におり、知り合いであろう最前列に座るスーツを着込んだ役人のような人々と歓談していた。ジーンズではないが、ブルーをベースとした柄のワンピースに白いカーディガンを羽織り、観光地の道端で買ったような大きなネックレスに大きなピアス、無造作な(ところどころ飛び跳ねた)ショートカットと相変わらずカジュアルな出で立ちだ。今日はメガネをかけているが、あれは、講演用のデバイスかもしれない。

  水島が中央の階段を降りて上から3段目の席に座ると、それに気付いた中西は水島に手を振る。水島もそれに応えて軽く手を振ると、最前列に構えるスーツ姿の聴衆が水島へ振り向く。水島はタブレットで今日の講演のページを開いた。オンラインからの参加者のカウンターは4256から間を飛ばして4260、4267へと変わり、その後も増え続けた。各国語のボタンがあり、ロシア語のボタンを押すと映像中のスクリーンのタイトルがロシア語に変わり、タイ語を選択するとタイ語に変わった。おそらく講演も同時通訳されるのだろう。『統計』のボタンで参加者の地域を調べると海外からが76%を占め、アジアからヨーロッパ、アフリカへと幅広く分布している。南北アメリカ大陸からのアクセスがほとんどないのは、この時間、向こうは深夜だからだろう。午後3時を5分過ぎて、K大の教授が中西を聴衆へ紹介し、中西の公開講義が始まる。


  講演はヒューマノイドを軸とした日本社会に関する内容だった。中西曰く、ヒューマノイドを取り上げる講演では、テロや犯罪組織による悪用や、軍事用ヒューマノイドの暴走など、ヒューマノイド脅威論を扱うケースが多いが、今日の講演は闇の部分ではなく光の部分にフォーカスするとのことだ。まずは、時間軸をたどって起きた出来事や事件を紹介する導入話から始まった。


  2030年後半、日本政府は、その後、各国が追従することになるAI及びヒューマノイドを社会基盤の軸とする社会システムへと大胆な改革の舵を切った。中西によると、それは決して考え抜かれた政策ではなかったそうだ。国内には高齢化社会の問題や年金基金の破綻、医療保険、加速する少子化、雇用問題など、待った無しの厳しい問題が山積、日本経済がほぼ破綻まで達してからの決断だったそうだ。中西は、労働争議で荒れる2030年代の日本の映像を効果的に使い、試行錯誤の中から雇用対策法や所得税率の仕組みができた過程を上手に説明する。さらに、当時の日本の産業構成、経済状況のデータを示し、それが、ヒューマノイド産業を経済の軸とする政策に舵を切ってから、どのように変化し、日本経済がどのように移り変わっていったのか、実にテンポよく説明した。

  歴史をたどる導入話が終わり、本題のヒューマノイドを基盤とする社会の光輝く事例にフォーカスした話が始まる。苦肉の策で始まった新しい雇用対策法、すなわち、人々は自分が雇用される代わりに自分のヒューマノイドを雇用主に貸し出すことで収入を得る仕組みになり、収入があり経済的には安定しはじめたが、結果、実際には働いていない人材が世の中に溢れることになった。はじめは、多くの人は戸惑い困惑していたが、ほどなく、それらの人々の中から自らの手で『コト』を起こし始める人々が続々と登場した。ビジネスを始める人もいたが、多くはボランティア活動や文化活動を始める人々で、2040年半ばから2060年前半にかけ、日本は空前の起業ブームになったそうで、勢いは落ちたものの、今も起業する人は多いそうだ。


「一口に起業と言っても、とても多様で、投資家から大きな投資を受けて大きなビジネスを作った人もいれば、身の回りのささやかだけれど大切なことを守るために一生を捧げている人もいるの。例えば、近所の湘南の海に行くとゴミ一つない海岸に、30メートル下の海底まで綺麗に見える透明な水に、晴れた日には目のさめるようなエメラルドグリーンの大海原が見えるけど、これ、今の若い人達、当たり前だと思っているけど、30年前は、全然、こうじゃなかったの。これ、どこの海か分かる?」


そう言ってスクリーンに映し出されたのは、湘南の海で、映像の右端には2015年という年号が記載されてあった。


「ここに江ノ島あるから分かるわね、そう、すぐそこの海です。もっと水の近くで撮影した映像を見ると、・・・ええ、当時は、こんな水質だったんです。皆さん、足を入れる気になります?でも、当時は、この水で泳いだんです。ほら、親子連れで、こんな小さい子供も水に入って喜んでます。・・・当時は、これが普通だったの。なぜ、この海が今のように美しくなったのか?」


中西によると、当時、K大を卒業したばかりの野村という若者がはじめた海を綺麗にしようという活動が多くの人の共感を得て、たくさんの人が協力するようになり、他大学の研究者も支援に駆けつけ、一大ムーブメントになったそうだ。単なるゴミ拾いのボランティア活動ではなく、機械工学の専門家に化学者や海洋生物学者、地質学者などを巻き込んで海中清掃のためのロボットや化学的手法、海洋生物学的手法を組み合わせて運用し、さらに地下や海底に水中の景観を損なうことなく水質改善の処理施設を構築、最新のバイオテクノロジーで生態系をリバランスもしたし、活動を加速するために地域住民のヒューマノイドの空いてる時間を活用するクラウドソーシングによるチームも組織、さらに法律や政策、財務、メディアの専門家を巻き込んで条例を変え、県や国から大きな予算を取り、住民や観光客の意識を変える啓蒙活動など、一個人が始めたプロジェクトとしては空前の規模の活動となったそうだ。同じように、空き家問題や過疎地の問題、耐久年数を大幅に過ぎた地方のインフラの問題、消滅した伝統工芸の復興、等など、それまでは政府に頼って、その実、何も解決されなかった問題が次々と解決されていったそうだ。


「この人々は、なぜ、こういった取り組みをしたんでしょう?この人たち、皆さん自発的にこういったプロジェクトを立ち上げ、推進したんです。時間だけでなく、実はみなさん、自腹で結構なお金を出してるんです。経済的なリターンなんて期待できないことなのに」


中西は、社会心理学の向社会的行動やマズローの欲求段階説などを紹介し、また、アメリカ人のボランティア活動への価値観や20世紀末頃から盛んになったオープン・ソース・ソフトウェアのコミュニティなどを取り上げて、この現象の説明を試みていた。


「昔の代表的な起業ブーム、それはサンフランシスコ湾岸周辺、当時はシリコンバレーと呼ばれてましたが、シリコンバレーを中心に20世紀末から21世紀初頭にかけてブームがありました。ただ、この時のブームと今のブームでは、根本的なところが違うと思うんですよね」


中西によると、シリコンバレー時代の起業家というのは、マズローの欲求段階説でいうと4階層目のEsteen、つまり、自分が集団から価値ある存在と認められたい、人々から尊重されたい、という欲求レベルで止まっていた、と。口先では綺麗事を言っていたが、その実、評価の軸が著しく金銭に偏っていた、とのこと。非営利法人の創業者ですら、成功すると数千万ドルの大金が懐に入り、NPOの創業者ですら、社会からは報酬額で評価されていたと。


「(まあ、少なくとも俺もカイルも、成功を金で測っていたから、4階層止まりだったな)」水島は胸の前で腕を組み、右手の親指と人差し指で顎を挟みながら、身を乗り出して中西の講演を聞いていた。


「シリコンバレー時代と今の起業ブームの違いは、人々の欲求階層が1階層上に上がったんではないかな、と?つまり、今、我々の社会で起こっている起業ブームというのは、第5階層の自己実現の欲求にようやくたどり着いた、私はそんな風に考えています」


中西は再び映像を使って、今、起きている様々な起業活動を紹介した。


「今、ここで見てきたように、この数十年、社会は大きく変化しました。その過程で高等教育の社会的な役割も大きく変わります。私が学生だった2030年代末は、大学の存在意義が大きく崩れていった時代だったんですよ」


中西の後ろのスクリーンには、閉鎖になった大学のニュースがランダムに登場する。これは水島にはショッキングだった。「(えぇ!あの大学も今では存在しないのかぁ・・・)」


ヒューマノイド、あるいは、その中身のAIがほとんどの職を奪っていった時代であり、知識をつけても仕事を得られなくなった時代だ。『ヒューマノイドと協業してうまく使いこなす術を身に付ける』という取り組みもあったが、所詮、誰かに命ぜられてするレベルの仕事は、今日うまく協業できても、明日にはヒューマノイドだけでできてしまった。


「大学は何のために存在するのか?この段階になって大学は初めて真剣に自問し始めます。ご存知の人も多いと思いますが、当時の大学システムは、今から見ると唖然とするものでした」


スクリーンには昔のテレビニュースが投影され、神社の合格祈願のお札が映され、巨大な試験会場で受験生が答案用紙と向き合うシーンがあり、合格発表の掲示板の前で胴上げしたり、傍で落ちて泣いている学生の姿が映し出された。


「そもそも、当時、ほとんどの学生は具体的な目的もなく、大学側が用意した試験の点数で大学に入り、4年間、大学の用意した授業を受講して過ごしたんです。最後に卒業するのが目的の研究ゴッコをして、はい、終わり。しかも、学生はみんな18歳から20歳くらいに入学して、その年代だけ大学で学ぶ。一生に一回、4年間通う。今見ると、意味不明で何かの宗教活動、巡礼、とか思っちゃいますが、当時は良い大学卒業すると安定した企業に就職できて、安定した収入が得られる、という風潮があったので、みんな、そのために大学に行ったんです。良いところに就職するのが大学に行く目的だったんです」


紺のスーツを着込んだ男女数百人が並んでお偉いさんの話を神妙に聞いている映像がスクリーンに次々と流れる。講堂もあれば、どこかの体育館や中には野球場を借り切っての式典もある。新入社員の入社式の映像だという説明に、聴衆からは驚きとともに冷笑めいたざわめきが起こる。


「で、その前提が崩れた。良い大学卒業したって与えられるポジションはない。実際に働くのはヒューマノイド。収入あるけど、やることない。そんな人々が溢れている。大学側からすれば、前提が大きく崩れてしまった」


中西は水を飲んで、一呼吸、置いてから続ける。


「大学の使命って何のか?・・・社会に必要な人材を育てる、・・・社会に必要な知識を創造する、この当たり前のことに立ち返った時、当時の大学は全然、使命を果たせる仕組みではなかったんですね。時代は既に変わっていたんです。社会に必要なのは会社に就職できる人材ではなく、『コト』を起こせる人材であり、論文書くのも必要だけど、それ以上に『コト』を起こすのに必要な知識を創り出し、実践する人材、その方が社会に必要になったんです」


大学が『コト』を起こす人材を育て『コト』を起こす知識を創造する中心になる。その目標を掲げ、参考モデルにしたのが、冒頭、中西が紹介した美しい海を取り戻すプロジェクトを立ち上げ、推進したK大卒業生、野村の事例だという。野村は在学中は目立たない学生だったが、卒業後、『海を生き返らせたい』という情熱に駆られ、知識とネットワークを求めて母校のK大を頼り、学費も払って研究生となって色々な先生に問題の解決の糸口を求めた。もちろん、野村にはヒューマノイドが働いて得た収入があった。さらに野村に賛同した仲間も次々に、当時、閑古鳥が鳴いていたK大の研究室に研究生として登録、一番多い時には22名もの人々が研究生として在籍していたという。


  スクリーンには、その時のメンバーの写真が映し出された。老若男女入り乱れたメンバーが様々な活動をしているシーンが映し出され、最後に揃いのTシャツを着た集合写真が表示される。大学というより、ベンチャー企業のようにも見える。


「一番下は12歳、最年長は82歳、男性10人、女性12人、メンバーの出身国は7カ国、当時としては、とても多様なメンバー構成だったんです。ええと、この人が野村さん、このプロジェクトの後も色々な『コト』を何度も立ち上げて、今は指導する側としてプラハで教鞭をとられています。ちなみに、これが、当時23歳の私です。あまり変わってないでしょ?ね?」軽い笑いが起きる。


  K大の新しいコースでは入学試験を撤廃し、志願者に大学を使って成し遂げたい『コト』をプレゼンテーションしてもらい、『コト』の社会的価値と在籍している教員の専門性とのマッチングで受け入れるか否かを決めるそうだ。個人ではなく、『コト』単位で受け入れを判断したので、一旦、受け入れた『コト』のチームの人数が増減することもあった。さらに、大きく変えたのが在学期間。固定の在学期間を撤廃し、『コト』が軌道に乗ったり、逆に撤退を決めた段階で修了となるそうだ。チームによって、1ヶ月で修了するところもあれば、10年以上、大学に居続けるチームもある。人によっては、何回も『コト』を立ち上げ、その度に大学に何度も入学・修了する人もいるという。さらに公共性が高いプロジェクト(『コト』)に関しては、大学も積極的に国や自治体へ働きかけて大きな額の助成金を取りに行き、ビジネス性の高いプロジェクトに関しては投資家へ働きかけもした。


「(イメージとしては、生前、シリコンバレーで流行ってたインキュベータに近いなぁ。利ざやの良い不動産業者と揶揄された営利目的のインキュベータは、うさん臭かったけど大学のシステムとしては面白い)」


  中西は司会の教授に何かを確認していた。時間を見ると予定の時刻を10分過ぎている。指を使って「あと3分」というやり取りの声が聞こえる。中西は聴衆を振り返り、ニッと笑って会場の笑いを取り、話を続ける。


「まあ、こういった新しい教育システムを今から四半世紀前に構築して、まずは小さくスタートしたんですが、初年度から志願者が100倍以上殺到、初年度から『コト』が次々起こり、成果もわかりやすいので新しいコースは年々倍増、10年後には、このコースというか教育システムがK大の主流になりました」


スクリーンには、ビジネス・インキュベーション・センターのようなスペースに集って『コト』に取り組む人々の様子が映し出された。それは、現在、このキャンパスに在籍している『コト』のチームだそうだ。さらに、水島には分からないが、K大発の著名な社会事業の事例や、K大発の有名企業の映像が流れた。


「さて、講演時間を過ぎちゃいましたが、来週の木・金は半年に一度のオープン・キャンパスの日。実際に『コト』を起こそうとしている現場を訪問できます。オンラインからも参加できるので、どうぞ訪問してみてください。そして、『コト』のアイデアのある人、いつでも応募できます。臆せずチャレンジしてくださいね。では、今日はこの辺で失礼します!司会の藤田先生、本日はありがとうございました」


司会の藤田教授が中西に礼を言い、聴衆に挨拶とオープン・キャンパスに関する事務連絡をしている間、水島はタブレットに目を落とした。参加者のカウンターは1万5千を超えていた。ランダムに開いたタブレットのページには、相模湾の海底100メートルにリアル竜宮城を建設、観光地として運営を企てるプロジェクト・チームの活動が映し出される。ページをめくると古式大島紬の再生プロジェクトがあり、その次はロボット猫を使った野良猫のしつけと保護管理のプロジェクトがある。目次ページを見るに、プロジェクトの数は数百はある。この数は多いのか、少ないのか?これらの社会的価値は如何に?色々疑問もあるが、何かしらの情熱は感じる。


「お腹すいてない?」


振り向くとタイ焼きを持った手の先に中西がいた。水島は、軽く頭を下げて、もらったタイ焼きを半分食べると、席を立って中西と一緒に講堂を出た。


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