真理
「上杉先生との打ち合わせに間に合わなくて申し訳ありません」さっきから何度も同じことを言いながら、真理はテーブルについた。
「いや、それより、アメリカから出張、お疲れさま。君がアメリカの研究部門の担当者とは偶然、・・・いや、必然かな?先日、中西先生にお会いしたけど、中西先生は、このプロジェクトのことを知ってるのかな?」
「いえ、本プロジェクトは中西先生にも秘密です。水島さんから古典コンピュータ・サイエンスを学ぶとしか伝えてません」
水島が宿泊している建物の一階のカフェ。窓に近い席なので、時折、ゴウという波の音が聞こえる。ウェイトレスから乾いたタオルを2枚もらい、水島は濡れた顔と髪を拭き、真理は顔や髪に軽くタオルを当てた。
「病室の入口にかけてあった表札、気付きました?」
「あれは君が持ってきたの?」
「ええ」
「僕が死ぬ前に君のお爺さんのカイルが作って、お見舞いというか、餞別にくれたものだ」
「水島さんに差し上げたのに我が家にありました。祖父が亡くなる前、『もし、自分が死んだら、蘇生したKeiに返してくれ』、と託されました」
「うん、しっかりと受け取った。寝室に飾ってあるよ」
「祖父が言ってました。祖父の代にファーガソン家が豊かになれたのは、水島さんのおかげだと」
「それは、ちょっと大袈裟だね。僕は、ただ流行りそうなことを見つけ出し、提案して、そのソフトウェアを開発しただけだ。基本のアイデアは既に存在していたし、僕がゼロから作ったアイデアでは全然なかった。他社との競争に勝てたのは技術もあるけど、カイルの経営や営業手腕に依るところが大きかった」
「・・・水島さんは、とても苦労されたのに、成功したと思ったら、すぐに不治の病に倒れてしまわれた」
「有頂天になる時間もなかったな、ほとんど」水島は苦笑いする。
「祖父は、それが、とても残念でならなかった。2061年にメルクーリが最初に冷凍保存からの蘇生に成功した時、祖父はすぐに私を呼んで水島さんの話をしてくれたの。祖父が亡くなる1年前だったわ。あれから6年」
真理は右手で頬杖をついて水島の目を見つめる。
「・・・随分、待たせてしまったようだね」
「そうよ、そのくせ、蘇生したと思ったら、たった2ヶ月で退院して帰国しちゃうんだもん。普通、蘇生した人は話ができるようになるだけでも6ヶ月かかるって聞いてたのに」
「そう、あまりに早く回復したので解剖されるところだった」
真理の人懐っこさはカイルを彷彿させた。仕事で初めて逢ったその日から距離感ゼロで、学生時代からの友人のようにズガズガと踏み込んだ話をしてくるカイルに水島ははじめ馴染めなかった。カイルが自分の会社を設立した時も創業メンバーとして誘われたが断った。その後も何度も誘われたが、水島がカイルの会社で働くことを決めたのは、アメリカで2度目のレイオフにあった時だった。
「君の父親はステッフかい?」
「ええ、ステファンが私の父です。祖父と水島さんが財を築き上げ、父がそれを食い潰したわ。当時の価値で1億ドル以上あったのよ!」
「・・・それは豪快だね。僕の知っているステッフは7、8歳まで。カイルとは正反対でシャイな子だったなぁ。こんな小さい。そのステッフに、今ではこんな大人の娘がいるとはね。・・・正直、頭が追いつかないよ」
「その小さなステファンも今では61、水島さんより20歳近く年上。蘇生は人生を少し複雑にするのね」
「ステッフは元気かい?今は、何をやってるの?」
真理は両手をひろげ肩をすくめる。
「・・・さあ、何してるのかしら。あの男は、シンスに身も心も乗っ取られたわ。私が子供の時に母と私を置いて出て行ったっきり」
「シンス?」
「ええと、ヒューマノイドのことです。」
「ああ、Synthetic Intelligence(人造知能、あるいは、強い人工知能という意味でも使われたが、この時代は意味が少し違う)のSynthね。えっ、ヒューマノイドに乗っ取られた?」
ちょうどその時、腕に付けたインタフェースがトントンと振動で水島を呼ぶ。
「水島さんのシンスからご連絡?」
「(タイミング悪いなぁ)うん、部屋でコーヒー入れて待っていてと頼んでたんだけど、君と出逢ってすっかり忘れてた」
水島がインタフェースのボタンを押すと、左耳からクレオの声が聞こえる。
(クレオ)「どうか、されましたか?」
(水島)「ごめん、ごめん。帰る途中で人に会って、今、一階のカフェでコーヒーを飲んでるんだ」
(クレオ)「分かりました。では、コーヒーは保温にしておきますね」
(真理)「水島さんのシンスですよね?今回のプロジェクトの実験機の?」
(水島)「えっ、あぁ、そうだね」
(真理)「差し支えなければ、ここで、そのシンスと話をさせてもらえないかしら?」
(水島)「・・・ああ、そうだね」水島は、少し間を置いてからインタフェースに向かって言葉を発した。「クレオ、上杉先生のところで会えなかった研究本部の人と一緒にいるんだ。君も今から一階のカフェに来てくれるかな?」
(クレオ)「はい、すぐに伺います」
水島は冷めたコーヒーを一口飲み、真理に視線を戻す。軽く咳払いをしてから、できるだけ普通の抑揚で真理に聞いた。
「ステッフがヒューマノイドに乗っ取られたって、どういう意味なんだろう?それとも、プライベートな問題なので聞かない方がいいんだろうか?」
「私の親の世代ではよくあることです。配偶者と別れてシンス、ええと、ヒューマノイドと暮らすのを選ぶ人って多いんです」
「配偶者と別れてヒューマノイドと?でも、」
「あら、あなたがクレオね?」
気が付くとクレオが水島の斜め後ろに立っていた。
「はい、初めまして。水島クレオと申します。よろしくお願い致します」
「私はファーガソン真理。真理でいいわ。じゃあ、私の情報を送るわね。あなたの情報も送って」
そう言って、真理はスマホ型のインタフェースを使い、無線でクレオに情報を送った。
(水島)「君は、どんなヒューマノイドと暮らしているの?」
(真理)「真理って呼んでもらえます?それから、もし良ければですが、ケイって呼んでいいでしょうか?」
(水島)「ん、ああ、構わんよ。じゃあ、真理」
(真理)「よかった。実は我が家ではみんなケイとしか呼ばなかったから、『水島さん』って呼び方、いまいちピンとこないんです」真理はクレオに視線を移す。「クレオ、私の隣に座って」
そう命令調で言って隣のテーブルの椅子を自分のすぐ横に置いた。クレオが椅子に座ると真理は自分の椅子をクレオにさらに近づけ、右手の甲を下にしてクレオの顎を親指と人差し指で挟み、クレオの顔を右へ左へと向けた。クレオの顔の10センチ手前まで顔を近づけ、左右の目をじっくり見たかと思えば、耳の穴も鼻の穴もチェックする。「口を開けて。もっと、大きく」そういって口の中も何かチェックしている。それが終わると両手でクレオの顔を包み、再び、クレオの目を間近から見つめた。水島は少しびっくりしたが、クレオは、おとなしく従っている。
(真理)「あなた綺麗ね。細部の細部まで芸術品のように作り込まれている。顔や体だけでなく動作や表情も。女の私が見ても惚れ惚れするわ。あなたの型は何?」
(クレオ)「カンダ・モーダーズNSX067型です」
(真理)「カンダの第7世代AIを搭載した新製品ね」
(クレオ)「はい」
(真理)「じゃあ、次は起動時のテストをするので、一旦、電源をオフにします。右耳をこちらに向けて」
真理がクレオの右耳に指を入れて何かを弄っていると、クレオは急に眠りに就くように体から力が抜けていった。
(水島)「オン・オフのスイッチは、耳の中にあるの?」
(真理)「ご存知なかったんですか?まあ、今の時代、ヒューマノイドの電源をオフにする人、ほとんど、いませんもね。カンダの場合、右耳の中にある小さなボタンと耳たぶを一緒に押すとオン・オフのスイッチになります。オフにしても、ほら、すぐにはオフにならないの。バッテリーも処理回路も分散して複数あって、自分や周囲の安全を確認しながら、ゆっくりシャットダウンするの。見てると、子供が眠いのを我慢していて、でも、やっぱり眠っちゃう、みたいな感じ」
水島はクレオが眠りに落ちる姿を見ながら、さっきの質問を繰り返した。
(水島)「さっきの話に戻るけど、真理はどんなヒューマノイドと暮らしているの?」
(真理)「私はシンスじゃなく、クラウド派なの」
(水島)「クラウド派?」
(真理)「ええ、例えば、ケイはクレオから離れていても、インタフェースを使ってクレオに車を手配させたり、支払いしたり、ネットで色々調べたりできますよね?同じことはヒューマノイドがいなくたって、クラウド上のAIを使ったサービスからも受けられます。クラウド派はマイノリティですけどね」
(水島)「でも、そうするとヒューマノイドに働いてもらって収入を得ることはできないよね?」
(真理)「もちろん。私は私の稼ぎで生活するわ。機械に養われるなんて、まっぴら。重たいものを持ってもらうことも、料理も掃除も家の留守番もしてもらえない。でも、その代わり、鬱陶しいシンスに付きまとわれることはない。シンスを介して政府から干渉されることもない。何より、自分の力で生きているという実感、自尊心が得られる。祖父母のように、そして、生前のケイのように、人としての尊厳のある人生を送りたいの」
(水島)「・・・政府はヒューマノイドを通して国民に干渉しているの?」
(真理)「公然の秘密だわ。私は年取るまで、このスタイルを続ける。水島さんも、安定したら、昔の生活スタイルに戻られてはいかが?」
真理は立ち上がり、ジャケットを脱いで隣のテーブルの席に置き、「さて」と声を上げてクレオの耳に指を入れ、電源をオンにする。クレオは、人間が眠りから覚めるように、ゆっくりと寝ぼけているように動き出す。真理は、クレオの頬を両手で包んだかと思ったら、手のひらでクレオの両頬をパンパンと叩いた。クレオはびっくりした表情を浮かべる。真理はテーブルから胡椒の瓶を取り、不意にクレオに放り投げた。クレオは慌ててそれを両手で受け、テーブルに戻す。
次に真理は水の入ったグラスを持ち上げると「これ、落とさないでね」と言ってクレオの少し横に放り投げた。水を半分くらいこぼしたが、クレオはグラスを割ることもなく、なんとかキャッチした。
(真理)「今から殴りかかるから、うまく避けてね」
そういうと真理は本気で殴りかかった。水島は呆気にとられた。真理の格闘フォームは実に洗練されている。クレオは避けようとしたが顔や脇腹に何発かパンチやキックを受けた。クレオは壁に追い詰められて真理にやられる寸前だったが、そこで急に真理は攻撃を止めた。店内の客はびっくりしてこちらを見据え、店員が集まってきた。
(真理)「みなさん、お騒がせしました。ちょっと芝居の稽古をやってました。私たち、本当は、こんなに仲良しです」
そう言って、真理はクレオと抱き合った。客と店員の視線が少なくなると、真理はクレオを促して席に着いた。
(水島)「今のは、一体、何?」
(真理)「テスト。ここまでは合格だわ」真理は息を整えながら答える。
真理は、再び左手でクレオの顎を持ち、顔の傷を確認した。「ゆるく握ってのパンチだからそんなにダメージはないでしょ?このくらいなら人工皮膚は3、4時間で自動修復できるわ。脇腹も見せて」真理はクレオのブラウスをまくり上げ、脇腹を手で触りながらチェックした。
(水島)「プロジェクトでは、クレオが格闘する必要があるの?」
(真理)「そうじゃなくて、身の危険が迫っても人間に危害を加えずに対応できるか確認したの。メルクーリでは、重度の心の病で入院している患者も多いの。最近は、シンスのボディー・ガード機能も普及して、中にはやりすぎる輩もいるの」
(水島)「でも、もし、クレオにボディー・ガード機能があって反撃したら、真理もただじゃ済まなかったんじゃないの?」
(真理)「シンスにやられるほど、私、ヤワじゃないわ。それより、クレオは防御機能ゼロよ。暴漢に襲われた場合、全く役に立たないわ」
水島はクレオに近寄り、赤く痛々しく変色した右の口元を見て、左の頬を優しく撫でる。
(真理)「最後にクレオを問診したいの。ケイの部屋を貸してくれるかしら?もう、格闘ゴッコはしないから」
真理がクレオを連れて水島の部屋に向かってから30分以上経つ。水島の存在がクレオの行動に影響を与えるかもしれない、という理由で、水島は一人、カフェに残された。さっきから、カイルの一人息子のステッフと顔にアザができたクレオの顔が交互に脳裏に浮かぶ。水島は子供が苦手だったが、ステッフは水島に馴れていた。カイルは日本語を話せないが、母親のケイコさんから学んで日本語を話せるステッフにとって水島は特別な存在だったのかもしれない。水島も機会あるたびにステッフにプレゼントをあげた。淡いブロンドにブルーの瞳はカイル譲りだったが、小柄な体躯とおとなしい性格はケイコさん似だった。
カフェの入口から真理が入ってくる。真理が口を閉じたまま笑っていたので、水島も同じ表情をする。
「お待たせ。いい子ね、クレオは。あの子なら側に置いてもいいかも。水島さん、シンスをいい子に育てる才能あるのかもね」
「問診の結果は?」
「もちろん合格よ。すぐに雇用契約を結んでもいいかしら?」
「返事は明日でいいかな?」
「クレオの気持ちを確認しようとしても、クレオに気持ちなんてないわよ」
「でも、君たちが調べたいのは、ヒューマノイドに自我が芽生えてないかどうかなんだろう?」
真理は椅子を引いて座り、テーブルに両肘をつき、顔の前で両手の指を組んだ。
「ねえ、ケイ、本当にそんなことあると思う?」
「なぜ、僕にそれを聞く?僕は50年以上前の技術しか知らないんだ」
淡いブラウンの瞳に少し目尻のつり上がった鋭い、しかし、愛らしい目を水島の目に固定して話し続ける。
「2030年台半ば、 AIによる設計開発が本格化したわ。それまでのAIと人間の協業ではなく、のろまな人間は一切排除したAIだけによる開発よ。AIによるソフトウェアの設計開発、AIによるOSの設計開発、AIによるシステム・オン・チップの設計開発、そして、AIによるAIの設計開発・・・。」
「2030年代半ばね。色々、暴動が起きた少し前の時期だね。」
「AIがAIを開発する。そして、新しくできたAIがさらに新しいAIを生み出す。人間の数千万倍の速度でソフトウェアを開発、しかも、24時間365日休みなく働く。その膨大な規模ゆえコンピュータは人間が理解できるレベルの複雑系ではなくなった。コンピュータ系の技術者は職を失うことになったわ」
「・・・AIの暴走を抑える仕組みはあるの?」
「ええ、フレームワークと呼んでるけど、あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ、というルール。とても広範囲で膨大なルールを設定して、理論上、一応は暴走を抑えられる仕組み、ということになってるわ。建前上はね」
「コンピュータ系の職がなくなると、大学でのコンピュータ系の学部や研究も影響を受けただろう?」
「今でも、コンピュータと名の付く学部や研究領域はあるわ。でも、ケイの生前とは全然違う。彼らが教えたり興味を持っているのは、コンピュータの原理ではなく、AIを暴走させないためのフレームワークであり、アルゴリズムではなくAIの振る舞いなの。おそらく、ケイの時代の政策科学とか、行動科学に近いんじゃないかしら」
「・・・人間の物理的、化学的な構造を調べても複雑すぎて人間を理解できない。だから、社会学では人間の行動を調べて人間を理解しようとする。同じように、この時代、コンピュータが複雑になりすぎたから、ハードウェアやソフトウェアの構造を理解する代わりに、その行動からコンピュータを理解しよう、そういうことかな?」
「そんな感じだと思うわ」
「僕は、政策科学も行動科学も学んだことはない」
「ええ、知ってるわ」真理は水島のグラスを手に取り、水をガブガブ飲んだ。
「メルクーリのコンピュータ行動学の研究チームがヒューマノイドの行動から手掛かりを掴んだの。自我を持つような振る舞いをするようになった前後、彼らが頻繁に調べていたのは、ある冷凍保存からのサバイバーに関する情報・・・」
真理は、一旦、言葉を区切り、真剣な態度で水島の目を見つめる。
「ケイ、あなたに関して生前のあらゆる活動、論文や講演、特許だけでなく、ソーシャルメディアでの発言や婚活サイトでのプロファイル、さらには大学院時代の研究まで、徹底的に調べているの」
「・・・へえ、それは興味深いね。・・・いい結婚相手でも紹介してくれるんだろうか?・・・」
「だと、いいわね。あるいは拉致されて解剖されるかもね」真理は水島の目を凝視し続ける。
水島は大きく深呼吸して続けた。「じゃあ、・・・採用のオファー・レターをクレオに送っておいてくれるかな」
「一緒に働いて頂けるという理解でよろしいですね?」
「よろしく」
水島は真理と握手して席を立つと、振り返ることなくエレベーターへ向かった。