面接、遭遇
「メルクーリの日本本部にしては小さいな、と思ってたけど、我々が泊まっているところは、離れの建物に過ぎなかったんだ」
「アメリカの本部に比べると小さいですが、メルクーリ・ジャパンの敷地も広大ですよ」
スーツ姿の水島とクレオは、さっきまでの雨で少し濡れた石畳の細道をゆっくりと歩く。ブナやもみじの木が日差しを遮り、淡いブルーのヒメアジサイが緑の葉と絶妙なコントラストで咲き乱れ、イワタバコがお地蔵さんを包むように咲き、池のほとりを紫の花菖蒲が色付ける。
「君がメルクーリで働き始める。すると君はメルクーリの機密情報を知ることになる。もし、僕がその機密情報を君から聞き出そうとしたら、君はどうするの?」
「水島さんがお尋ねになったら、私の知っている範囲でお答えします。雇用契約で水島さんには守秘義務がありますので、ご注意ください。また、私が機密情報を水島さんに伝えた場合には、その旨、メルクーリの管理システムに記録されます」
「なるほど。うっかり機密情報を聞かないよう気を付けないとね」
「大丈夫です。機密情報をお話しする前に、『これは機密情報ですが、お聞きしますか?』と確認しますから」
10分も歩くと深い緑で覆われたメルクーリの庭園から抜け出し、白い砂利が敷き詰められたひらけた空間が現れ、石畳の歩道の左右には落ち着いたデザインで統一されたモダンな建物が幾つも並ぶ。上杉の秘書に伝えられた建物に入ると反対側が一面ガラス張りになっており相模湾が一望できた。雲がなければ富士も見えたであろう。上杉の秘書は旅館の女将のような出で立ちで現れ、水島たちをまるで旅館の一室のようなところへ案内した。
「上杉先生は、まもなく到着いたします。今しばらく、お待ち下さい」
そう言い残すと、その女将のような秘書は扉を閉じて出て行った。畳部屋なので靴を脱いで上がったが、テーブルらしきものもない。その代わり、縁側のような細い板間があり、座布団が横一列に4枚敷かれていた。板間の先には石の足置きがあり、男性用の下駄と女性用の下駄が2足ずつ揃えられ、ドラマのセットのような庭もある。竹で編んだ低い垣根の向こうにはガラス窓はあるが、その先にはやはり相模の海が広がっていた。水島とクレオが居場所もなく立っていると、ドアが開き相変わらず観光客のような服装の上杉が入ってくる。
「いやぁ〜、水島さん、クレオちゃん、こんにちは。暑くなりましたな。さあさあ、そちらの縁側に座ってお話しましょう。変な会議室ですが、意外と話をしやすいんですよ。人気ないので、いつも空いてますし」
上杉の秘書がお茶と茶菓子をふるまい、3人は縁側に座った。海に向かって左からクレオ、水島が縁側から足を下ろして座り、上杉も最初は縁側から足を下ろしていたが、すぐに水島の方に体を向け、座布団を水島から少し離してあぐらをかいた。
「どうです、お体の方は?」
「おかげさまで、順調です」
「久方ぶりの日本での暮らしはいかがですか?」
「いや、まだ、右も左も分かりません。日本での暮らしというより、慣れるべきは、むしろ、この時代ですかね」
「ヒューマノイドの採用面接にオーナーが付き添うのも、新鮮なことでしょう?」
「まったくもって」
「雇用契約を結ぶ場合、契約の当事者は、メルクーリと水島さんになります」
「はい。まずは、もう少し詳しいお話を伺いに参りました」
上杉はタブレットを取り出し水島に渡す。
「すいませんが、これにサインを頂けますか?規則なので」
それは、面接用の何の変哲もない機密保持契約のフォームだった。水島がタブレットに目を通して指でサインをする間、上杉は皿に乗っている饅頭を2つ3つとほお張り、なんとか口に収めきると手に付いた粉を払いながら話し始めた。
「まず、本件は私のいる医療部門ではなく、アメリカ本部の医療系プロウェア開発部門のプロジェクトです。日本には関連する部門がないので、利便上、私が水島さんたちの窓口を引き受けている、という立場です。まあ、私もこのプロジェクトには興味があり、また、被験者という立場で参加しますが」
上杉によると医療過誤等の責任は、医師ヒューマノイドを統括する人間の医師が負わねばならないそうだ。過去20年以上、人間の医師の数はどんどん減少しており、一方で医師ヒューマノイドの数は増え続けている。結果、一人の人間の医師が責任を負わねばならないヒューマノイドの数は、まともにマネージ可能な状態を超え、仕組みとして破綻しているとのこと。例えば、上杉の下には70体もの医師ヒューマノイドが活動している。そこで、この状態を改善すべく研究開発されているのが、中間管理職的な役割をこなす医師マネージャの仮名で呼んでいるプロウェアとのこと。この開発中のプロウェアをクレオにインストールし、上杉と70人の医師ヒューマノイドの間で臨床テストを実施するのがプロジェクトの目的だ。
「今まで、人間の医師がやっていた判断や承認、監査などの一部をヒューマノイドに権限委譲する、というのが趣旨です」
「もし、そのプロウェアが判断を間違えた場合、責任は誰が取るんですか?」
「正しく運用していたならば、プロウェア開発メーカー、つまり、メルクーリです」
上杉はお茶を最後の一滴まで飲み干すと、水島越しにクレオに話しかけた。
「すまなんだが、お茶と饅頭のお代わりを受付に行って取ってきてくれないかな?」
クレオは「はい」と返事をして、お盆を持って部屋を出る。上杉は、それを確認すると水島へ顔を近づけ、声を落として話し始める。
「ここまでの話は、表向きの目的です」
水島は顔をしかめる。
「裏の目的もあると?」
「裏というか、本当の目的は最近の医師ヒューマノイドの不可解な挙動の解析、原因の究明です」
「帰国の時、プリズムの座席でお話しされた知性に関することですか?」
上杉は軽くうなずいてから口を開く。
「ごく最近からですが、挙動がそれまでとは明らかに違ってきました。知性というか、自我があるような振る舞いをするようになった、単純に言えばですが」
「その解析で、・・・何か私に期待されているのですか?」
「研究本部の人間があなたに注目しております。メルクーリの中では、水島さん、有名ですから。少々、切迫してるようで、失礼ながら、他にあてがないということも理由のようですが」
「私のような50年以上も昔の知識しかない者に何ができるんでしょう?」
「本当はアメリカから研究本部の担当者がここに参加することになってたんですが、どうも今日は間に合わないようです。私もまだ会ったことないんですが。近日中に、その者から詳しい話をさせます」
「裏の目的については、クレオには秘密ですか?」
「とりあえず秘密に。それについても、担当者と話して頂ければと思います」
会議室の扉が開き、畳部屋の襖の向こうから「失礼します」という声が聞こえ、クレオが膝をついて襖を開けた。
「そんな堅苦しい作法は不要だよ」
上杉は笑いながら立ち上がり、クレオからお盆を受け取り無造作に縁側に置いた。
「(『そんな堅苦しい作法は不要だよ、・・・』か。これをどう学習するのかなぁ、クレオは)」水島は型通りであろう戸惑いの表情を浮かべながら型通りの作法を続けて部屋に入るクレオを視野の片隅で窺いながら、縁側から足を引き上げてあぐらをかいた。
上杉は座布団に座ることなく懐中時計型のインタフェースを確認して溜息をつく。
「本当は、もっとお話したいんですけど急ぎの仕事が入ってしまいました。もし、よければ、饅頭でも食べてお寛ぎください。この部屋、しばらく空いてるので」
上杉は、饅頭を一つ摘んで頬張ると左手を軽く上げ、「では、また連絡します」と一声かけて襖を開けて出ていった。
会議室の大きな窓から見える相模湾は、いつの間にか再び雨雲が覆ってきた。水島は饅頭を一つ食べるとクレオと共に部屋を出た。来た時と同じ道を帰る。海からの風で斜めに傾いた霧雨がほのかに左頬を濡らし始める。
「寝室の窓、閉めてきませんでした。すいません」
「あっ、そうだね。先に行って閉めておいてくれる?」
「水島さん、おんぶして走りましょうか?」
水島は苦笑いしながら答える。「いや、僕はゆっくり帰るよ。『春雨じゃ、濡れてまいろう』って言って、こういう暖かい雨は気持ちいいんだ」
「今は初夏ですよ」
「初夏の霧雨も同じさ」
「じゃあ、急いで帰って窓を閉めたら傘を持ってきますね」
「いや、傘は要らない。それより、コーヒーを入れておいて」
「はい、分かりました」言うなり、クレオは走って部屋に向かった。
曲がり角でクレオの姿が消えると、水島以外にこの私有地を歩く人影がなくなったように感じた。足音以外の音が霧に吸い込まれ、まるで気圧で耳が詰まったような感覚になり水島は唾を飲み込んだ。静まり返った庭園を幾つもの霧の塊が左から右へと流れる。時折、低く垂れ下がるもみじの柔らかい緑葉が頬に触れる。角の地蔵を一瞥しようと右に顔を向けた瞬間、不意に急ぎ足の人影が視界に入り、左肩がぶつかるのをすんでのところでかわした。水島は振り返ることもなく「失礼」と穏やかに詫び、まつげについた水滴を右手人差し指の中腹で払い、歩き続けた。
「Kei・・・水島・・・さん?」
水島が立ち止まり、振り返るとセミロングの長身の女性がそこにたたずんでいた。黒のパンツスーツに白のシンプルなカットソーを着込んだその女性は、急いでいたのか肩で息をしている。濡れた前髪から頬へ雫が落ちても気にすることなく水島の目を見据え続けている。水島の口から無意識に言葉が出る。
「マリー・ファーガソン・・・さん?」
「真理です。真理と書いてマリと読みます。ファーガソン・真理です。祖父母が大変お世話になりました」