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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第二章 AIのある暮らし
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社会事情

11時30分を5分過ぎ、水島は一旦はスーツに身を包んだ。しかし、すぐに思い直し、ジーンズに白シャツへ着替え、一階へ降りた。

「水島さん、お一人で本当に大丈夫ですか?もし、私が邪魔なら、お食事が終わるまでカフェの近くで待機してますよ」

「はは、まるで小さな子供の初めてのお使いだね。心配ない、ほら、君へのインタフェースも腕時計型とタブレット型、2つも持ってるし」

「あっ、あと1分で到着します。あれですね」

水島はタブレット上のマップに記された配車のリアルタイム情報を目で追った。「(ふ〜ん、UBERやLyftの自動運転版だな)」

ドアのないフィアット500のような車が止まり、ボンネット部分から前半分がカバの口のように大きく開いた。水島が2シーターの左座席に車の正面から乗り込むと大きなドアがゆっくり閉まり始める。車内のモニターには、小さく手を振って見送るクレオの姿が見える。


  車を降りると、そこは、お洒落なショッピング・モールのような一角だった。噴水の横には可愛い花屋さんがあり、少し奥にはデートコースになりそうな綺麗な池のある公園も見える。


「(おかしいな、どこにも大学らしき建物がない)」


水島は、タブレットに地図を表示して現在地を確認したが、確かにその地図では大学とショッピング・モールが同じ場所にあった。


「(歴史あるK大学が今はショッピング・モールの中?)」


腕時計型のインタフェースからトントンと水島の腕を叩くような振動を感じ、画面を覗くとクレオが見えた。画面横のボタンを押すと水島の左耳からクレオの声が聞こえてくる。

「カフェの場所、分かりますか?」

「う〜ん、どっちだろう?」

「まず、こちらに進んでください」クレオは頭上に向けて指を1本立てた。水平にした腕時計型インタフェースの画面では、まっすぐ進めということだろう。曲がり角に来るたびクレオに方向を聞き、水島は待ち合わせのカフェに到着した。

「中西先生は、カフェの中を通って建物の反対側の中庭にあるテーブル席で待っています」

「ありがとう。じゃあ、また後でね」


  中西は、白とブルーのストライプのシャツにジーンズ、椅子の背もたれに白いジャケットをかけてタブレットを操作していた。水島に気付くと座ったまま笑顔で手を振る。


「遅れて、すみません」

「分かり難かったでしょう、ここ?」

水島は腕時計型インタフェースを指した。「頼りっきりです」

「水島さん、日本に来てから3日目?4日目?知らない場所じゃあ、当然です。」

「私の地元なんですがね、70年前は」


水島はコーヒーを、中西は紅茶を頼み、食事は中西の勧めで2人でハマスをシェアすることにした。


「クレオちゃんとの生活はどう?」中西は、サイドディッシュの野菜スティックをポリポリかじりながら聞いた。

「面倒見られっぱなしで、肩身が狭くなりそうなんですが」水島もセロリを一本、グラスから引き抜いた。

「そうは感じない、と?相手が機械だから?」

「そこは微妙ですね。人間としか思えない、と感じる時と、人間ではありえない、と感じる、その両方がありますからね」

「人間ではありえない、って、どんな時かしら?」

「面倒なことでもイライラも怒りもせずに黙々と作業を続ける。・・・例えば、テーブルにグラスの水をこぼす。そうすると、テーブルの上を拭いてくれて新しい水を持ってきてくれる。で、またグラスの水をテーブルにこぼす。でも、文句も言わずテーブルを拭き、再びグラスに水を入れて持ってくる。何度やっても、優しい微笑みを絶やすことなく、イライラも怒りもしない。絶対的な寛容性と言うか・・・」

「『絶対的寛容』、いい表現ね。何回、それを繰り返したの?」

「ええと、6回かな?」

「まだまだね。被験者を使った実験では、私なら20回は繰りかえさせるわ」


中西は視線をティーカップに落とし、「絶対的寛容、絶対的寛容」と呟きながら紅茶を口元に運ぶ。


「はは、僕は被験者にはなりたくないな。罪悪感とともに、ちょっと気味悪さも感じてしまった」

「それも、一種の『不気味の谷現象』かもね」

「不気味の谷現象?」

「ご存知ない?そうか、水島さんより、さらに前の世代の理論かぁ。今から百年くらい前のある日本のサイエンティストの理論、というか予測です。ヒューマノイドがだんだんと人間っぽくなってくると、人はヒューマノイドに好感を抱くようになるの。ところが、あるところまで似てくると、人は急激に強い嫌悪感を感じ出すだろう、という予測。中途半端に人間に似てると不気味に見える、と。で、さらに作り込んで本当に人間と同じレベルになると再び好感を抱くようになるだろう、と。人間に似てくる途中で、一旦、谷のように嫌悪感を感じる段階があるので、『不気味の谷現象』って呼ばれてるの。」

「ああ知ってます、それ。Uncanny Valleyですね。で、その予測は正しかったんですか?この時代、既に結果が出ていますよね?」

「私の感覚では正しかったと思うわ。確かに、一時期のヒューマノイドは不気味だったもの」

「今は、そう感じないんですか?」

「ええ、今のヒューマノイドは私も含め、多くの人にとって人生の伴侶だわ」

「じゃあ、その研究者の予測は正しかった、ってことですね」

「水島さんが卒業された大学の先生よ、森政弘教授って」

「・・・。なぜ、私の過去をご存知なんです?」

「・・・。さて、なぜでしょう?」


  中西はティーカップをソーサーに戻し、両肘をテーブルについて両手の指を交差させ、そこに顎をのせて水島の目を見る。水島は、右手をコーヒーカップにかけたまま、できるだけ穏やかな表情で中西の目を見る。


「・・・クレオちゃんの絶対的寛容性を学習したのかしら?・・・これだけ長い時間、人間の男性に優しく見つめてもらうなんて、何十年振りかしら?」そう楽しそうに言うと、中西は笑い出した。

「実は、たまたま、私の教え子があなたのことを知ってたのよ」

「教え子?」

「祖父母がお世話になったとか」

「誰ですか?」

「真理・ファーガソンって、母親も祖母も日本人のアメリカ人の女の子」

「ファーガソンって、カイルとケイコさんの孫?」

「さあ、名前までは存じません」

「その真理さん、今、どちらに?」

「3年前に私のところで博士号を取って、今はアメリカに戻ってメルクーリの研究所で働いています。水島さん、まだ、真理にお会いしてないんですか?彼女からは、蘇生したての真っ白な水島さんのお話を聞きましたけど。ええと、」中西はタブレットを調べる。「あっ、本当だ、書いてあったわ。『ヒェ〜、なんで、こんなに早く退院できちゃうの?一度もお話できなかったじゃない!』って」


  中西は、ピタの皮の間にスプーンでハマスをたっぷり入れながら続ける。


「まあ、真理は就職後も頻繁に来日してるから、是非、会ってやって下さいな」

「・・・あの、就職って言葉で思い出しました。ヒューマノイドって就職するんですか?」

「おっ、カルチャー・ショック、ありましたね?」中西は、しばらく、口をもぐもぐさせて口の中のものを飲み込んでから話を続けた。

「ヒューマノイドが就職するって、どこで聞きました?」

「クレオがそろそろ自分は就職すべきだ、と」

「そう。水島さんは、どう思いました?」

「どう思うと聞かれましても・・・。最初は、何のことか分かりませんでした」

「私のヒューマノイドも昼間はメーカーの開発部門で働いてます」

「クレオは多くのオーナーは働いてない、と言ってましたが?」

「そうですね、私のように職に就いているのは少数派です」

「雇用機会がないと?」

「う〜ん、公式には雇用主はヒューマノイドではなくて、そのオーナーと雇用契約を結びます。その契約の中で、オーナーの指示でヒューマノイドが働くことになっているので、書面上、オーナーは雇用されてるわ。厚生医療保険も適用されますし」

「(厚生医療保険?)企業は、なぜ、自分たちでヒューマノイドを所有しないんですか?自分たちでヒューマノイドを買い揃えた方が、全然、経済的だし、効率もいいでしょうに?」

「いい質問ね。そこには雇用対策法があるの。企業は、AI労働力の一定割合を雇用契約を結んだ個人から受けなければならない、という趣旨よ」

「それなら、資金があれば、たくさんヒューマノイドを購入して、たくさん収入を得ることもできますね?」

「複数のヒューマノイドを所有することも、所有するヒューマノイドを複数の企業に就職させることもできるわ。ただ、そうするとね、所得税率がとても高くなってしまうの。複数、働かせても意味がないくらい」

「ふむ。中西先生のようにヒューマノイドが働いているのに、ご本人も働いている場合はどうなんです?」

「所得税率に対するペナルティーがないので、かなり豊かな生活ができます」


ウェイターが来てテーブルの上を片付ける間、二人は無言でその様子を眺める。水島と中西はウェイターの勧めで飲み物をお代わりする。


「今の時代、人間が必要な職種って、かなり限られてます。高度な創造力が必要なポジションだけです。創造力と高い専門知識があれば、どこかの企業に雇われたり、あるいは、自分で事業を始めることはできますが、そういう人はそんなに多くありません」

「先ほどの雇用対策法とかが整備される以前、労働争議とかで社会的な混乱ありませんでしたか?生前に見た未来小説をベースとしたテレビ・ドラマで、ヒューマノイドに雇用を奪われた人々が抗議活動しているシーンがありましたが」

「ありましたよ、2030年代にとても大きな混乱が。日本経済が破綻に向かっていたのにベーシックインカムだ、とか叫びながら。私がまだ学生の頃、この辺りは連日デモ隊の行進、時に暴徒化して、このキャンパスも破壊されて、ご覧のように歴史の重みのないキャンパスに」


中西は、遠い目をして紅茶を口に運んだ。


「変な時代でね、かたやAIに仕事が奪われると騒ぎ、他方、介護や病院、保育園なんて、人がいなくてサービスできないって騒ぎ、一部の知識階級ではAIと協業して高収入を得たりと」

「そういう混乱を収拾するために制定されたのが、雇用対策法や所得税法の改正だったと?」

「あと、AIの技術は大したことなかったけど、それを搭載したヒューマノイドという総合的なものづくり、サービスの産業では、確かに日本は進んでいたの」

「つまり、産業政策としても理にかなっていた、と」

「それから、最も大きいのが年金問題」

「ヒューマノイドと年金、何か関係あるんですか?」

「ヒューマノイドは年をとらない、リースだから5年から7年に一度、ハードウェアが新品になるからね。年をとらないヒューマノイドが給料をもらってくる、そして、疲れることもストレスを溜めることもなく、彼・彼女は年老いたオーナーの面倒を見るの。分かる?」

「つまり、年金制度が不要になったと?」

「今の若者は『年金』という言葉を知らないわ」

「・・・どうやって、ヒューマノイドを普及させたんです?」

「政府がやることなんて、たかが知れてるわ。補助金政策よ」

「ヒューマノイドをリースするためのアップ・フロント・フィーさえあれば、ヒューマノイドが給料持ってくる限り、政策はうまくいく、と」

「そう。企業側の首根っこを掴み、補助金でリースしたヒューマノイドをどんどん雇用させたの。それによって、雇用問題を形式上は解決し、ヒューマノイドを国のど真ん中の基幹産業へ育て上げ、少子高齢化問題を過去のものとし、年金問題も過去のものにした。これだけ見ると、素晴らしい政策に見えるわね」

「ヒューマノイドが働き、日がな一日、人々は遊んで暮らす、と。『そして、人々は幸せに暮らしましたとさ』、・・・とは、ならなかったんですね?」

「それをね、水島さんの目を通して見てみたいの。私はこの社会に慣れすぎ。良いことにも悪いことにも鈍感になりすぎている」


ウェイターがやってきて再び飲み物のお代わりを勧めたが二人はそれを断った。


「さて、私はそろそろ行かないと。今日は楽しかったわ。また、これからもお願いします。あっ、そうだ、今度の公開講座、よかったらいらっしゃらない?講義が終わった後、見せたいものがあるわ」


二人はテーブルを離れ、カフェの入口で別れた。2時近かったが、カフェは休日のようにカジュアルな格好の人々がのんびり寛いでいる。水島は、綺麗な池のある公園へ足を向け、気だるい表情をした人々の中に溶け込んでみた。

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