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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第二章 AIのある暮らし
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限りなく透明に近いブルーは・・・

水島は記者会見会場からエレベータホールに向かう途中で中西との会話を反芻し、ネクタイを緩める。


「クレオ、今日の記者会見で、誰か僕がコンピュータ工学の専門家だという話をしたかな?」

「ちょっと待ってください、ビデオを確認します。・・・いえ、記者会見の中では誰も触れていません」

「じゃあ、配布した資料の中に書いてあったのかなぁ?」

「・・・いえ、記者会見の案内にも今日の配布資料にも記載はありませんね」

「中西先生は、どうして知ってたのかな?」

「不思議ですね。でも、良かったですね、早くもお仕事が見つかって」

「仕事じゃないよ、単なる研究のお手伝い。給料じゃなく謝礼」

「中西先生、水島さんの知識がすごく貴重って言ってましたね」

「それも不思議な話だよな」


  部屋に戻り、スーツの上着とネクタイを寝室のクローゼットにかけると、水島はワイシャツのボタンを2つ外しバルコニーに出た。海を臨むその部屋からは目の前の小さな岬が一望できる。弓を引いたような海岸線、静かに白波が揺らぐ砂浜、遠くに霞む富士の山肌。この海に最後に来たのは2001年だったか、2002年か?あれから60余年。


「こんなに綺麗になるとは・・・」

「昔より綺麗ですか?」クレオもリビングルームからバルコニーにやってくる。

「水の色がね、魅入ってしまうほど蒼い。60年前とは別世界だ」


クレオは、サンドウィッチとアイスティーの早めの昼食をバルコニーの丸テーブルにセットした。そして、海に向かって左側に水島が座り、右に水のグラスを持ってクレオが座る。2人とも体をほぼ海に向けて座った。


「君は、こういう景色を見てどう思う?」

「綺麗だと思います」

水島は正方形の小さなサンドウィッチを一つ口に放り込みながら聞く。

「それは、どうして?」

「私の認識システムが綺麗と判断したからです」

「では、この景色の中で何が一番綺麗かな?」

「富士山ですね。この景色の中では小さい存在ですが、日本人にとって美しさ、壮麗さのシンボル的存在です」

「では、何が二番目に綺麗かな?」

「この目の前の小さな岬です。多くの人は、自然が長い年月をかけて作った造形物に美しさを感じます。岩に波が押し寄せ、しぶきが上がるのにも美しさを感じます。この岬を始点に左右に弧を描くように砂浜が続きます。こういう自然の幾何学的な地形は世界の多くの地域で好まれています」

「ふ〜ん、その次は?」

「青い海ですね。普通、人は青い海が好きです」

「青い空はどうなの?」

「青い空もいいですが、希少性の面から空よりも海を優先します。特に、ここの海は、エメッルドグリーンと深いブルーのコントラストがあり、岩礁と砂場と変化が多いので、多くの人が好きになる場所と思います」

「・・・もし、僕が日本人でなければ、君が一番最初に挙げたのは、富士山だった?それとも、この小さな岬?」

「小さな岬です」 

「ふ〜ん。・・・あっ」水島は、うっかりアイスティーの入ったグラスを倒し、中身をテーブルに撒き散らしてしまった。


  クレオは「あら、あら」と言いながら、アイスティーが水島のスラックスにかからないよう、おしぼりでテーブルの上の液体を押さえ、水島をテーブルから離し、水島にアイスティーがかかっていないことを確認すると、バスルームからフェイスタオルを持ってきてテーブルの上と周りを一通り拭き、それが終わると、グラスを持って簡易キッチンに向かい、アイスティーを入れ直して持ってきた。


「はい、どうぞ」


朗らかな笑顔でクレオがグラスを差し出す。

水島は、しばらくそれを見つめた後、ゆっくりと手を差し出す。そして、グラスからクレオの手が離れると、水島はグラスをテーブルに転がした。グラスは3つに割れ、今度はアイスティーがクレオの紺色のスカートにも飛び跳ねた。クレオは、再び「あら、あら」と言いながら、おしぼりで水が拡散するのを抑え、サンドイッチが入っていた袋に割れたガラス片を入れ、テーブルにガラスの破片が残っていないか確認すると、先ほどと同様、バスルームに戻したフェイスタオルを持ってきてテーブルとその周辺を吹き、再び、アイスティーを入れ直して持ってきた。


「はい、どうぞ」


再び、朗らかな笑顔でクレオがグラスを差し出す。クレオのスカートはアイスティーで濡れたままだ。水島は、ゆっくりグラスを受け取り、大きくガブリと一口飲むと、再び、グラスをテーブルに転がした。今度も、クレオは「あら、あら」と言いながらテーブルを片付ける。朗らかに、一向に不平めいた表情ひとつなく、濡れたスカートもそのままに。水島はさらに3度繰り返した。クレオは、乾いたタオルもボトルのアイスティーも底をついたので下の階でもらってくると言い残し、部屋を飛び出した。


  水島はバルコニーから外の景色を見ようとしたが、真昼の強い日差しと罪悪感が水島を部屋に押し込んだ。リビングのソファに一旦は座ったが落ち着かず、立ち上がり、バスルームを覗き、シンクにある薄茶色に染まったフェイスタオルに水をかけ、軽く洗って絞り、備え付けの洗濯機に放り込んだ。割れたグラスの残骸を片付けようと思ったが、この時代、どうやってゴミを処理すれば良いか分からず、そのままにしてリビングに戻り、再びソファに座る。クッションを枕にソファに寝転がり、両腕を組んで目を閉じる。


「(なんで、俺、コンピュータ相手に罪悪感を感じるんだ?いや、罪悪感というより恐怖心?)」


扉が開き、アイスティーのボトルとフェイスタオルの束を抱えたクレオの元気な声が聞こえる。


「遅くなってゴメンなさい。すぐにアイスティーを準備しますね」


水島はソファから立ち上がり、簡易キッチンへ向かおうとするクレオの両肩を後ろから掴み、クレオの体を自分の方に向かせる。そして、ボトルを取り上げてサイドテーブルに置き、フェイスタオルの束を取り上げてバスルームへ向かう。1枚を残してフェイスタオルを棚の上に収納し、残った1枚をシンクで軽く濡らす。水島は、それとなく横目でクレオの顔を窺う。そこには、とても自然な、しかし、計算されたものであろう『当惑の表情』が浮かんでいる。水島はクレオの前で片膝をつき、濡らしたタオルでクレオのスカートを拭き始める。


「あっ、そんなこと私がやりますから、水島さんは休んでいて下さい。アイスティーを入れますか?」

「・・・さっきの僕の行動、変だと思わなかった?」

「先ほどの行動というと、何度もアイスティーをこぼされたことですか?」

「うん」濡れたタオルがうっすらと茶色に染まる。

「どうされたのかな、と推論しましたが、今もって適切な仮説も見つかりません」

「・・・ちょっと実験をね、してたんだ。・・・OSに思考継続をブロックされちゃうので、この件は推論せず忘れた方がいい。他のヒューマノイドとも、この経験はシェアしないでね」

「はい、分かりました。実験ですか。さすが、サイエンティストですね」

「大昔のね」水島はスカートを拭く手を止め立ち上がる。「このスカート、洗った方がいいね。洗濯機に放り込んだら、着替えて散歩に行こう」

「はい。マンションの物件巡りもしますか?」

「う〜ん・・・今日は、のんびり海岸を歩こう」

ウッドサイドではヒューマノイド専用の部屋があったが、葉山のメルクーリではクレオも水島の部屋に同居する。あるいは、ウッドサイドのあれは病室で、ここは客室という違いなのかもしれないが。


  水島は寝室でジーンズに着替えると、ベッドに座りながらクレオの着替えを待った。クレオは水島がそこにいるのを確認すると着替えを持って部屋の中を見回し、水島から見えないバスルームの横の洗面スペースへ向かい、そこでワンピースに着替えて戻ってきた。


「わざわざ、向こうで着替えてきたんだ」

「水島さんの目の前で下着になるのは失礼かと」

「君の下着姿を見れるなんて嬉しいけどね」

「本当ですか?じゃあ、もう一回、脱ぎますね」そう言って、背中のホックに手をかけるとクレオの顔は見る見る紅潮した。

「・・・あのぉ、どういう訳か脱げません。水島さんに喜んでもらえるのに」

「人前で下着姿になるのが恥ずかしいからかな?」

「はい、どういう意味か本当は理解できないんですが、私のシステムは『恥ずかしい』と状況認識しています」

「ふむ、羞恥心、あるいは羞恥心があるように見える仕組みが実装されてるようだね」

「すみません。せっかく、水島さんに喜んでもらえると思ったのですが」

水島は笑った。「下着姿を見れるのは嬉しいと言ったのは冗談。それより、君には羞恥心もある、それは驚きだ」

「恥ずかしいとか羞恥心とか、よく分からないのですが」

「それを説明するのは難しいな。・・・まあ、羞恥心は、君をより魅力的にするたぐいの性質だ。『秘すれば花なり』、ってね」水島は立ち上がり、クレオの肩を軽く抱いて促し、クレオを先に歩かせて部屋を出る。


  砂浜に出た頃には、日差しが雲に隠れ風も少し出てきた。踏み入れた足の先に広がる砂浜は、細部にわたるまで綺麗なテクスチャーを描き、打ち寄せる限りなく透明な波がそれを少しずつ描き換える。


「少しだけ、水に入っていいですか?」クレオは、いたずらっぽい表情で水島の顔を覗き込む。

「もちろん」水島も笑顔で答える。


クレオは脱いだサンダルを左手の指にかけ、右手で風に揺れるワンピースの裾を抑えながら、波間を裸足で戯れる。その容姿、立ち居振る舞い、表情、ユーモアある会話から、恥ずかしさで頬を紅潮させる姿まで、よくぞ、ここまで徹底的に人間を再現したものだ。一方で、アイスティーを6度も撒き散らしたのに、不平一つ漏らさず、朗らかな表情で淡々とテーブルを整える姿は、明らかに人間とは異質の存在だ。


「水島さんも靴を脱いで入りませんか?」

「僕は、しばらく、ここから君を眺めているよ」そう言って、水島は砂浜に腰を下ろした。


心があるかのように、意識があるかのように、自我があるかのように、羞恥心があるかのように、・・・振る舞う。コンピュータが『あるかのように』振る舞うことは原理的に可能だ、振る舞いを真似るための膨大な学習データと、もし、人間と同じレベルで状況認識ができるならば。目の前で波と戯れるクレオには好奇心があるかのように見える。しかし、クレオに好奇心はないかもしれない。たぶん、ないだろう。AIたるクレオの最優先は、オーナーである自分の人生を豊かにすることだ。おそらく、映画やドラマのシーンで女優が演じるような振る舞いが一緒にいる男性の心を和ませると学習し、クレオをあのように振舞わせているのだろう。


「それは人間も同じだよな」

両足を砂の上に投げ出し、両手を斜め後ろについて水島はつぶやく。人前で人間がどのように振る舞うか、通常、無意識にやるので気付かないが、ほとんどの立ち居振る舞いは過去に見た誰かのモノマネだ。MITのエドガー・シャイン教授はSocial Theater(社会劇場)という言葉を使っていたが、人は幼少期から生涯を通して社会生活におけるその場その場の役割を学び、往々にして無意識にそれを演じている。


『あるかのように』なのか、『ある』のか?コンピュータという機械に心は持ち得ないのか?『中国語の部屋』の思考実験を提唱した哲学者ジョン・サール教授は、コンピュータが人間と同じような心や意識を持てるかという議論には否定的だが、人の脳も結局のところ電気で動いている機械であり、その意味で機械が心を持てないとは言えないという。


「(あいつは、コンピュータだ。それを理解していながら、なぜ、あんなに罪悪感を感じたんだろう?)」


『限りなく透明に近いブルーは透明である』


顔も名も思い出せない高校の数学教師が極値理論を教える際に使ったフレーズが頭に浮かぶ。


「(限りなく心があるかのように振る舞うAIには、心があるのだろうか?)」


遠くでクレオがサンダルを持った手を大きく振り、右手を口にあてて笑顔で何か叫んでいる。水島は右膝を立て肘を当てて頬杖をつき、特に反応することもなくクレオの振る舞いを眺め続けた。

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