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水島クレオと或るAIの物語  作者: 千賀藤隆
第一章 蘇生
10/57

退院、そして帰国

(リハビリ開始から6週間後・・・)


“Ok, Kei, let me summarize the points we agreed today.” (では、ケイ(水島)、本日、合意した点をまとめて確認しましょう)


メルクーリの患者支援部門のディレクター、スーザン・ラザフォード(人間)は、ようやく会議を終えられると言わんばかりに大きく深呼吸し、合意事項を確認すると水島と握手して会議室をそそくさと立ち去った。

  水島も予想していたが、国籍問題があるので退院後は日本へ帰国することに決まった。メルクーリ側は、すでに日本の弁護士を通じて日本の法務省、入国管理局、それから、在米領事館とも連絡を取り、冷凍保存から蘇生した水島の日本への再入国を問題なく進める手続きを確認したとのことだ。

  水島がカルダシェフと結んでいた蘇生後一年間の生活保障は、メルクーリが引き継いで履行することが確認された。その内容は、日本での10ヶ月間の住居費を含む生活費の負担とクレオのリース支払い。

  メルクーリ側からの依頼もあった。メルクーリは、現在、日本での事業拡大に取り組んでいるが、ついては、それに一役買って欲しいとのこと。メルクーリの日本法人が主催するイベントがあるそうだが、その場で日本人初の冷凍保存からのサバイバーとして記者会見に出席して欲しいとのことだ。水島は渋ったが、既にこの病院にも日本の報道関係者からインタビューの依頼が来ており、記者会見に参加した方が後々楽だろうと言われ、渋々、承知する。


  ゆっくり立ち上がって会議室を出たところでクレオが後ろから声を掛ける。


「水島さん、また杖を忘れてますよ。それとも、もう、いらないですかね?」

「いや、まだ、少し心配だから。ありがとう」


水島は、1週間前から専用ウェアも歩行アシスト・デバイスも使わず、杖だけで歩いている。まだ、ゆっくりとした歩調だが、とにかく、クレオの支え(電気ショック)なしで歩けるようになったことで水島の心のつかえが一つ取れたが、それは同時に将来へのより現実的な問題へ水島を向き合わせた。


「来年以降の君のリース料って、ずいぶん高額なんだね」

「すみません、私のボディ、カンダの最上位モデルなので、・・・ご負担おかけします。いざとなったら、ミッドレンジかコスト・パフォーマンスの良いモデルに切り替えてください。」

「・・・まあ、何とか、今のボディを維持できるよう頑張ろう」


  帰国までの一週間はすぐに過ぎた。VRのルームランナーを使ってサンフランシスコ・ベイ・エリアの至るところを歩いてみたが、やはり、そこは水島があまり、というか、ほとんど知らない地域になっていた。「(まあ、50年も経てば、あたりまえだよな)」


「では、これに着替えて下さい。私は旅行カバンを持ってきますね」そう言って、クレオは部屋を出て行った。

「(ふ〜ん、リーバイスはこの時代も健在、今も501を作り続けているんだ)」クレオが用意したそれに感慨に耽りつつ、水島は真新しいジーンズに足を通す。いまだ筋肉に乏しい水島の足にはブカブカだが、時の流れにも変わらぬ価値に少なからず感動を覚える。クレオは、おそらく水島の昔の写真をネットで調べ、今日のために同じものを購入したのだろう。


  いつもの海岸線に臨む病室の映像を消すと、そこは改めて何もない真っ白な空間だった。部屋の奥へ進みバスルームのドアの横に隠れるようにある小さなクローゼットを覗き込む。数枚の着替えと看護師のイリーナからオムツ卒業記念にもらったメルクーリのロゴ入りトランクスが数枚。水島の持ち物はそれで全てだ。小銭もクレジットカードもスマホもなければ、パスポートも免許証もない。生まれたての赤ちゃんとさして変わらない。

「国籍もないんだよな」水島は壁につぶやきながら、これから、いろいろなものを揃えねばならないと自覚する。白い壁に等身大の自分を映し、2センチほどに生えてきた頭髪を眺め、昨夜剃った頬を左手で撫でた。

「まず、必要なのは髭剃りか?」

  クレオが部屋に戻り、持ってきた旅行カバンに水島の全所持品を詰め込んだが、そのカバンの中身はほとんどクレオの物だ。結構、いろいろな着替えがあり、化粧セットがあり、可愛い下着にパジャマも見える。見たことのないデバイスも何台か入っている。今日はクレオもジーンズにスニーカーを履いている。カバンを閉じる前に思い出したように立ち上がり、ドアを出てすぐに戻ってきた。

「これもありましたね」

そう言いながら、クレオはカイルからもらった時代がかった木製の表札を一緒にカバンに詰めた。

「では、行きましょうか?」

そう言ってクレオは水島を促した。


  ロビーのある1階のフロアは、今日もリゾートの雰囲気に満ちていた。その中央で、上杉がスーザンやイリーナらと共に水島を待っていた。水島はスーザンとイリーナに別れの言葉を交わしてハグをした。上杉が近寄ってきて言った。


「水島さん、今日はご一緒させて頂きますね。ちょうど、私の帰国日と重なってラッキーでした」

「こちらこそ、道中、よろしくお願いします」

「最終日に紹介することになってしまいましたが、こちらは水島さん以上に水島さんのお体の状態を知っている3人です」


上杉は、そう言って白衣を着た男女3名の医師ヒューマノイド、エレン、フレッド、ジーナを紹介した。


「彼ら、EFG(エレン、フレッド、ジーナ)トリオは、今後10ヶ月は水島さんの体の状態を24時間モニタリングし続けます。万一ですが、水島さんの体に急な変化があり、私がすぐに捕まらないような状況でしたら、彼らからクレオさんへ直接、アドバイスが届きますので従って頂ければと思います」

「EFGトリオ?」

「あはは、失礼。私の部門には70体の医師ヒューマノイドがおりまして、採用した順にアルファベット順の名前を付けています。ABC、エイミー、ベン、キャロルと言った感じで。このEFGトリオは、命名では1巡目のEFGトリオ、ベテランです。リースなのでハードウェア的には最新です。昔から蘇生プロセスも担当しております」

「はじめまして、水島さん、フレッドです。水島さんの快復の速さは素晴らしいです。水島さんのケースを解析させて頂くことで、もっと素晴らしい蘇生プロセスを構築したいと思います」


水島と握手しながら、エレンもジーナも同じようなフレーズを口にした。水島は、それとなく上杉の顔を窺っていたが、上杉は、あえて3人の話を聞かない振りをしているように見えた。


  スーザンやイリーナらと別れ、リゾートホテルのようなメルクーリ病院の正面玄関を出ると、そこは巨大なロータリーになっていた。乗り物が次から次に到着しては、あちこちで人々を車に乗せたり、降ろしたりしている。無人運転車であるという共通点を除き、大小様々なデザインの乗り物が存在した。クレオの後をついて道路際まで行くと待つこともなく一台の乗り物が水島たちの前に止まる。小型バスのような乗り物だが、車体の右側にだけ4枚のドアがある。クレオの前のドアが垂直に折り畳まれながら下に降り、乗車用のスロープになった。クレオに促されて上杉、水島、そして、クレオの順に乗り込む。一つのドアからは4人が座れる部屋があり、他の部屋とは壁で遮られている。つまり、この一台の車内に4人部屋が4つある構造だ。ドア付近はカバンを置くための収納スペースになっていたが、上杉は小さなカバンしかなく、水島は手ぶらであり、そこにはクレオの旅行カバンが置かれただけだった。手すり付きのシートは電動で回転でき、360度回転できる構造になっている。窓はなく、代わりにその部分はモニターになっていた。

  上杉が左に水島がその右座席に座り、クレオは後ろ向きに水島と向き合って座る。左に座った上杉が水島に話しかける。


「自動車は、水島さんのいた時代と随分、変化したんじゃないですか?」

「自動運転がまだ実験段階の時代でした。自動車だけでなく、いろんな事が全然違いますね」


窓の部分のモニターには、外の風景が映し出される。緑豊かな広大なメルクーリのキャンパスには幾つもの落ち着いたデザインのビルが立ち並んでいる。キャンパスを抜け、牧草地帯を通り抜け、やがてハイウェイに入る。窓のない車が、群れをなす野生動物のように荒々しく、しかし、ぶつかることなくハイウェイを疾走する。車線を変更するごとに速度が上がり、だんだんと景色を目で追うのが辛くなってくる。まもなく、景色が溶けるようにモニターに映る外の映像が消え、代わりに観光案内の広告が流れ始めた。水島は正面に座るクレオに視線を向け話しかける。


「相当、スピード出ているようだけど、時速にするとどれくらい?」

「今は少し交通量が多いので、時速190マイル、300キロくらいです。多分、時速220マイル、350キロくらいまで出ると思います。」


クレオはモニターに地図と現在地を示す青い丸いマークを表示した。その車はすでにサンフランシスコ空港のある地域を過ぎ、驚異的な速度で北上している。


「サンフランシスコ空港が目的地じゃないんだ?」

「サクラメントに向かっています」

「もしかすると陸路で日本まで帰るのかい?ハイパー・ループとか何とかで?」

「はい、陸路です。パシフィック・リム・スーパー・ループという乗り物です。プリズム(Pacific RIm Super Maglev loop)とも言います。サクラメントからバンクーバ、アンカレッジ、ヤクーツク経由で、まずは東京へ向かいます」


  水島は食い入るようにモニター上の地図を見つめた。現在地を示す青い丸はサンフランシスコ、バークレー、ヴァレーホを過ぎ、見る間にデイビスに近づき、減速し始める。モニターが再び窓のように外の風景を映し始めると、そこには水島の生前とは違うモダンなサクラメントの街が広がっていた。


  ふと上杉を振り返ると、上杉は水島がリハビリ中に使っていたのと同じヘアバンド型の脳波読み取り装置を頭に付け、手にはタブレット型のデバイスを抱えていた。

「まもなくだね」そう言って上杉は、ヘアバンドとタブレットをカバンにしまった。

「仕事、されていたんですか?」

「え、ええ。・・・便利になったのか、不便になったのか。ヒューマノイドの医師が我々人間の医師の代わりに患者をケアしてくれるのはいいんですが、責任は全て人間。こうやって引っ切りなしに彼らから判断を仰がれ、承認を急かされ、休む暇もないです。・・・と言っておいて、実は結構、サボってますが」上杉は悪戯っぽく笑い、クレオにウインクした。

「今、頭に着けていたのは脳波読み取り装置ですか?」

「はい、そうです。脳波でヒューマノイドの1台と会話してました。声に出すとうるさいですし、患者さんのプライバシー情報もありますので」

「脳波で会話ができるんですか?」

「あまりお勧めしませんが。うっかり変なことを想像したら、それもバレちゃいますんで」

「リハビリの最初の段階で、彼女は僕が頭でアルファベットを念じると、それを理解してましたが、それと同じ原理ですか?」

「そうです、あの時の学習をアルファベットだけでなく、様々な単語やセンテンスに対しても続けるんです。2、3ヶ月も学習させれば、水島さんが何考えてるか、この子にはバレバレになります」

「ヒューマノイドは僕が何考えてるか脳波から理解できますが、ヒューマノイドから僕に音を使わずに伝達することはできますか?」

「できますよ。水島さんの左耳には拡張聴覚デバイスが埋め込まれており、それは無線信号も拾うことができますので。私の耳にも同じものを埋め込んでいます。音もなく、リモートでも会話できるので、テレパシーですね。実際、テレパシーと命名された方法です」


水島は左耳を触る。しかし、そこには何もなかった。


「僕の友人の一人は人工内耳のデバイスを耳に埋め込んでましたが、当時は耳の外に補聴器みたいなデバイスと頭の横に碁石のような、トランスミッターかな?つけてましたが、この時代の聴覚デバイスには、耳の外には何もないんですね。」

「はは、当時の人は大変でしたね。エナジー・ハーベスト(周りの環境からエネルギーを刈り取り発電する)技術が、まだ未熟だったんですね。今は、体内に埋め込むほとんどのデバイスはバッテリー不要なんで、デバイスが埋め込まれているのを気付きもしない。水島さんの体には27個もセンサー埋め込まれてますが、全然、お気付きじゃないでしょう?」

「はあ、全く」


  車が止まり、ドアが再び上から下へ折り畳まれながら開き、降車用のスロープになる。クレオに続いてスロープを降りた水島は、しばらく目の前にそびえる簡素だが洗練されたデザインのプリズム・ループの駅とその真下を時速350キロで流れるハイウェイに目を惹かれた。


「水島さん、こちらですよ」クレオが手を振る。


ガラス張りのエントランスを通ると小綺麗なショッピング・モールが広がり、カフェやレストランはそこそこの賑わいを見せる。一見、水島の生前と同じような風景だが、少なくとも水島が目にした全ての店員は親しみやすい笑顔でフレンドリーに振る舞い、何より、揃いも揃って美男美女だった。中央にそびえるようにあるエスカレータで上杉とクレオに追いつく。


「ここがセキュリティ・チェック・ポイントになっています。」クレオは、そう言って水島と同じステップに乗る。周囲の旅行者をそれとなく観察する。誰かと連れ添い、一人、大きな荷物を運ぶ美男美女の姿がちらほら確認できる。彼らの表情は一様に朗らかだ。上杉を含めた3人の中でも、一番大きな荷物(水島は手ぶらだが)を運んでいるのはクレオだ。


「世の中には、女性型ヒューマノイドの方が多いのかな?」水島はつぶやく。

「ええと、単純に女性型、男性型の2つに分類できないのですが、顔も体も性格も女性、あるいは男性として設計されたヒューマノイドの比率は、女性型41.1%、男性型37.5%です」

「・・・足すと78.6だから、残り21.4%は、顔と体と性格が男女混じり合っていると?」

「もう少し複雑でして、中性というオプションもありますし、例えば、外出先では男性の性格、自宅では女性の性格、という風にTPOに応じて設定されているオーナーもいらっしゃいます。あと、人間以外のキャラクターをベースにしたヒューマノイドも、若干ですが、いらっしゃいます」

「・・・ふ〜ん、世の中、複雑だね。・・・時に君は?」

「私は、顔も体も性格も女性として設計されています。カスタマイズしますか?」

「いや、そのままで結構」


  エスカレータを降りると全く同じ身長のプロレスラーのような体格の警備員が誠実な顔で等間隔に仁王立ちしていた。右に行くと国内線搭乗口、左は国際線搭乗口に分かれる。水島たちは左へ進み、再び、エスカレータに乗る。降りると、そこは既に搭乗口のフロアだった。


「水島さん、問題なく出国手続きができました」

「出国手続き?今のエスカレータで?」

「ええ、パスポート、水島さんの場合は特別な書類ですが、このエスカレータがチェック・ポイントになっています」

「水島さんにとってはクレオがパスポート、私はこのデバイスがパスポートになってます」

上杉はそう言って内ポケットからスマートフォンのようなデバイスを見せた。監視カメラや無線で出入国管理に必要なIDの照合や必要な書類のやり取りをしているのだろう。


  ノース・ウェスト(北西)方面の搭乗口から1階下のフロアには、窓のない新幹線の先頭車両というか弾丸のような形状のプリズム・ループの車両が何台も横に並んでいた。長さは新幹線車両の半分程度、比較的小さくスリムな乗り物だ。側面はつるりとして窓はなく、輪切りにされた後部1メートルくらいが金庫の分厚い扉のように折れ曲がって開いて出入口になっており、奥までつながる車両の中央通路が見える。車両が1台、北に向かって去っていくと、南から1台、新たな車両が現れ順番待ちの列に並ぶ。ここから見る限りタイヤで走っており、形は奇妙だが自動車にも見える。


「あの車両は東京直通です。あれで、行きますか?」


上杉はクレオの言葉に軽く頷くと車両へ繋がるエスカレータを降り始め、水島もその後をついていく。水島は、その金庫のように頑丈そうな扉に一瞥をくれてから車内へ入る。車内には、通路の左に二人用の座席、右に一人用の座席が12列、つまり、36人分の座席がある。上杉は先頭から3番目の右側の一人用座席に、クレオは同じ列の一番左の座席に座り、水島はクレオの右、通路を挟んで上杉の左に座った。前の列との間隔は意外に広く、壁側には大きなスーツケースも入る収納スペースがある。座席のフレームはとてもしっかり作られており、背もたれや座部の弾力性は高く、さらに体を包み込むように中央がえぐられた構造になっている。加速で生じる強いGから乗客を守るためだろう。


  ほどなく、出発するというアナウンスが流れ、金庫のような扉が閉まる。シートの左右からシートベルトというか、シート・アームとでも言おうか、柔らかい帯状の器具が現れ、包み込むようにしっかりと搭乗者の体をシートに固定し、その後、ゆっくりとリクライニングしはじめる。車内の照明が暗くなり、モニターに車外の風景が流れ、車両が動き始める。車両がスロープを登り始め、登りきった辺りで透明なパイプ(チューブ)の中に入った。後方で何かが閉まる音が聞こえ、その後、モニターには減圧中の表示が出る。その表示が消えると車両はスルリと進み始める。軽い振動とともにかなりの加速度を感じる。モニターには、広大な田園風景が映し出される。まもなく浮き上がった感じがあり、振動が消え、続いて飛行機の離陸時のような強い加速を感じはじめる。一体、いつまで続くのか怖くなるほど加速が続く。モニターではあまりの速度に外の風景が溶け出す。真空チューブの中を宙に浮いて進む車両は風切音も摩擦音もない。静寂の中、10分は続いたであろう加速が終わり、車内の照明が元通り明るくなる。モニターにはランチ・メニューが表示され、クレオが体を寄せて隣の座席から水島を覗き込んだ。


水島は、興奮で高まった鼓動を抑えながらクレオの目を見つめる。「もしかすると、音速を超えているのかな?」

「はい、現在の速度は時速約5000キロ、マッハにすると4.1です。最高速度はマッハ5、時速約6000キロです。東京まであと2時間半で着きます」

「地図、また表示できる?」

「はい、でも、その前にこちらからランチを選んでください」

水島は和定食を、上杉はコーヒーとサンドウィッチ、クレオは水を頼んだ。ほどなく、ヒューマノイドとおぼしきウェイトレスが料理を運んでくる。水島にとって、蘇生後、初の病院食以外の食事だったが、それより地図が気になり、何を頼み、どんな味だったかも、後では覚えていなかった。地図上の現在地はカナダ国境を越え、まもなくブリティッシュ・コロンビア州とユーコン準州の境に到達する。


「水島さんは乗り物が好きなんですね?」

クレオにそう言われて、水島は我にかえる。田舎から来た少年が初めてみる都会の摩天楼に口をポカンと開けて見とれている姿に自分を重ね、少しバツが悪そうに頭を掻きながら答える。「いや、そうでもないけど。移動手段が僕の生前と比べ、あまりに違うんで・・・」


  上杉は、お替りしたコーヒーを飲みながら、ポツリと話し始める。「私が生まれたのは水島さんが亡くなった翌年でした」


水島は上杉へ視線を移す。


「私の両親は水島さんと時代的な背景を共有しています。例えば、彼らは運転免許を取り、自分で車を運転したことがあります」

「上杉先生ご自身は車の運転経験は?」

「私が成人した頃は、まだ、かろうじて手動運転が認められてました。しかし、免許取得に必要な技能レベルの基準があまりに高くなり、運動神経のない私にはとても、とても」

「この時代の車の速度、とても生身の人間が運転できるレベルじゃないですよ」


上杉は脈絡なく次の話に進む。


「私の両親は、ヒューマノイドがいなくても生活できていました」


車両の前方に視線を固定させながら上杉は話し続け、水島はその上杉の横顔に視線を向けた。


「今じゃあ、あの二人、ヒューマノイドのいない生活なんて想像もつかなくなってますが」上杉は、水島とクレオの目を交互に見る。

「水島さんの時代にも、そんなものがありましたか?つまり、それが普及する前と後で、それ以前の生活を想像するのも難しくなるような変化が?」

「ええ、そうですねぇ」水島は、頭の中で言葉を整理してから応える。「私の時代では、携帯電話、インターネット、スマートフォン、グーグル、ソーシャルメディア、シェア・ライディング、色々なものが登場して、わずか十数年、いや、わずか数年前の生活にも戻れなくなっていました」

「そうですか、水島さんは、そういう時代から来られたんですね。今日まで続いた変化の始まりの時代ですね」

水島は天井を見て少し考え、肩をすくめながら応える。「まあ、まだ、この時代の社会をよく知らないので、あれが始まりの時代だったのかは、今後、考えてみたいと思います」

「水島さん、はじめてクレオに出会った時、どう思いました?」

「人間だと思いました。しばらくして、ヒューマノイドだと聞いて心臓が飛び出るくらい驚きました」

「でしょうな。蘇生された方は、みなさん、とてもびっくりされます。でも、みなさん、すぐに慣れます。そして、ヒューマノイドがいない生活なんて想像つかなくなります」

「私もすぐに慣れました。今のところ、ヒューマノイドがいなくても生活はできるとは思いますが、彼女はとても楽しく、しかも、とても気が利きます。例えば、このジーンズも何も言わなかったのに、私の好みを調べて準備してくれました」


上杉はコーヒー・カップをテーブルに置き、胸の前で腕を組む。そして、少し声を低め、ゆっくりした口調で尋ねた。


「なぜ、こんなことができるのでしょう?つまり、・・・」


上杉は左手の指を軽くテーブルに乗せ、右手の肘をテーブルに、こめかみの辺りで軽く開いた手のひらを、一つのセンテンスを口にするたびに前後に振った。


「つまり、・・・とても複雑で、・・・とても感覚的であまり論理的でなく、そして・・・とても、何と言えばいいかな、情緒的とでも言おうか?・・・私なんかより、ずっと洗練された人間の振る舞い、受け答えです。そのジーンズなんて、まさにいい例ですよね?」


左手でコーヒー・カップを口に運び、右手を振りながら再び話し続ける。


「我々人間は、自分たち人間のことを、いまだ、よく理解していない。なのに、どうして、ここまで優雅で素晴らしい人間の振る舞いができるヒューマノイド、基本はAIですよね、どうしてこんな凄いAIを作れるんでしょう?ねぇ、水島さん。コンピュータ・サイエンティストとしてのご意見、伺えませんか?」


上杉は水島の方へ体を向けて答えを求める。唐突に意見を求められ、水島は少し体を引いて視線を上杉から前方へと移し、戸惑いながら応える。


「どうしてと言われましてもねぇ。・・・私には、現代のヒューマノイドの仕組みは存じません」

「水島さんに限らず、誰もそれを知りません。人間はね」

「・・・どういう・・・意味ですか?」今度は水島が上杉の方へ身を乗り出した。

「もう、かなり昔から、ヒューマノイドを含め、ソフトウェアもLSIも、AIが自動設計、自動生成しているんですよ。基本設計や仕様を含めて」

「基本設計や仕様もですか?・・・なんか危険な感じがしますね。・・・人間は何をやってるんですか?」

「AIを監視してるようです。これやっちゃダメ、あれやっちゃダメ、と規則を作ってAIにそれを守らせている」

「フレームワークというやつですか?」

「よくご存知ですね?」

「彼女から聞きました」水島は、クレオを左手で指した。

「またOSのフレームワークに思考回路をブロックされないよう、私は聴覚をしばらくオフにしますね。お話が終わったら、私の頬に触れてください」


そう言ってクレオは瞑想を始めた。上杉は、相変わらず右肘をテーブルに乗せた状態で、一瞬、クレオに視線を向けたが、すぐに水島に視線を戻して続ける。


「私は門外漢なのでよく分かりませんが、人間のような知性とか心とか自我とか、実はヒューマノイド(AI)は既に備えているのでは、と本気で疑ってしまう瞬間が時々ありましてね」


言い終わると、上杉は姿勢を正して瞑想しているクレオを見つめた。水島は胸の前で両腕を組み、隣で瞑想するように瞼を閉じているクレオに目を向けた。そして、上杉の方を振り返りながら話しはじめる。


「私の知識が今の時代にどれほど役立つか分かりませんが、個人的には、とても興味深いお話ですね。古い知識になりますが、まず、知性とは何か、・・・心とは何か、・・・自我とは何か、どれも、誰もはっきりと答えられないんですよね」

「それは、今の時代も同じです」

「そこで、コンピュータ・サイエンスの分野では、人間の主観的な評価で知性的かどうかを判定しようとしたんです。人間と人間の真似が得意なコンピュータをそれぞれ箱で隠します。で、被験者を連れてきて箱の中の人、あるいはコンピュータとチャットさせて、どちらの箱に人が入っているか、当てさせるんです。もし、無視できないくらい多くの人が間違える、つまりコンピュータに騙されるなら、そのコンピュータは人間並みの知性がある、という判定方法です」

「その判定方法なら、今のヒューマノイドは全て人間並みの知性があることになりますな」

「ですよね。この判定方法には、哲学者から幾つも反論があります。有名なものでは『中国語の部屋』と呼ばれる思考実験があります。こんな話です。

紙切れの出し入れだけができる穴の開いた小部屋に、中国語を全く知らないイギリス人を入れ、あるマニュアルを渡します。そのマニュアル、実は中国語と英語の対応表なんですが、彼はそれが中国語とすら認識できない。彼には、穴を通して外から入ってきた紙切れに記載されたパターン、実は中国語ですが、このパターンに対応する英語を書き込んで、再び穴から外に紙切れを差し返す、というタスクが与えられます。彼は単にマニュアルに書かれたタスクをこなすだけです。しかし、小部屋の外にいる人は、小部屋の中には中国語が理解できる人が入っていると考えてしまう。そういう思考実験を使った反論です」

「つまり、箱はヒューマノイドのボディで、中国語を知らないイギリス人に相当するのがヒューマノイドを動かしているAIであると。ヒューマノイドは人間の知性を備えているように見えるが、実は単にマニュアル通りの作業をこなしているだけに過ぎない、と」

「こなしているだけ『かもしれない』、ですね」

「私には、単純なマニュアル作業には思えないのですが」

「そうですね。少なくともヒューマノイドのAIは与えられたマニュアルだけでなく、自分たちの経験から学習もします。この点で中国語を知らないイギリス人とは違いますね。そして、学習のための経験が驚異的に多い」

「世界中の数十億台のヒューマノイドがサイバースペース上で互いの経験をシェア

してますもね」

「はい。例えば、クレオは、毎日、私とインタラクションします。いつ、どこで、どんなプロファイルの人が、なぜ、どんなことを、どのように、どんな表情で、どんな口調で要求したか。それに対して、どんな対応をして、どんな結果になったか、クレオは記憶し、次に似たような場面になった時のために学習します。そして、この経験はクレオだけが使う経験じゃなく、ヒューマノイド間でシェアされます。人間、90歳まで生きたとしても、一生にある時間は28億秒しかない。世の中には数十億台のヒューマノイドが稼働して、お互いに経験を共有してるわけですから、ヒューマノイドはたった一秒で人間一生分の経験ができてしまう。数値の上では、ですが」


水島はシートに深く座り、右手の人差し指でクレオを指しながら続ける。


「こうやって見ていると彼女は一人の女性に見えます。でも、こうしている間でも、他の数十億台のヒューマノイドと経験を共有しています。次に僕とインタラクションする時には更にスマートなやり方を学習しています。『オーナー=人』を巧みに扱い、気持ちよく生活させる、という能力は人間以上でしょう。ただ、だからと言って知性があるかどうかは分からない。オーナーを気持ちよく生活させる対応や振る舞いはできても、オーナーに自分が着想し練り上げたアイデアを示したり、承認してもらえるよう説得することができるか、それは別の能力です。」


上杉はシートに深く座り、両手を組んで目を瞑った。そして、目を瞑ったままボソリと呟いた。


「私のところのヒューマノイドは、それをし始めたんですよ」


水島は、テーブルに両肘をついて両手を組んだ。


「『それ』・・・というと、自分で着想したアイデアを練り、それをやるよう上杉先生を説得しようとしている、と?」

「ええ」タブレット型デバイスが鳴り、上杉はカバンからそれを取り出す。画面を確認すると、ヘアバンド型の脳波読み取り装置を取り出し、頭に付け始めた。

「失礼。また、急ぎの会議が入ってしまいました」

しかし、上杉は途中まで取り付けた読み取り装置を外し、再び、水島の目を見据えて話し始めた。

「蘇生された方へのアドバイスとして、いつも『郷に入れば郷に従え』と諭すんですよ。なぜなら国や地域によるカルチャー・ショックよりも、数十年という時の流れが作る文化や慣習、価値観のギャップの方が大きいので。でもね、本当はあなたのような人には、この世界に抗って欲しいんですよ、この狂い始めた世界へ」


そう語ると上杉は脳波読み取り装置を頭に付け直し、再び『テレパシー』を使って遠くのヒューマノイドと会話を始めた。


水島は、腕を組んでシートに深く座り、隣で瞑想しているクレオを見つめた。さっきよりも愛らしく見える。「(表情も学習して磨きをかけているのだろうか?)」

水島は、その姿勢でしばらく上杉を待ったが、あきらめて体を起こし、右手を伸ばしてクレオの頬に軽く触れた。


「終わりましたか?」

「うん、上杉先生は、またテレパシー会議だ。寝てたの?」

「ええ、省電のためスリープ・モードに入ってました」


モニターの地図に目を移すと水島が乗るプリズムは、既にロシアのヤクーツクを過ぎていた。


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