取引は危険なもの
帝都の夜。雑踏と猥雑さが混在し、活気や熱気が溢れている。にも関わらす、魔法による灯りや、目立たないように巡回している騎士達により、治安は悪くない。ある意味、自由と規律がうまく調和しているといえる。
とはいえ、光に濃淡があるように「闇の区画」という場所も存在する。
ある狭い裏通り。後ろ暗い連中がたむろする地区。その中の酒場の隅のカウンターで一人の男が酒が入ったタンブラを弄んでいた。
外見を言えば、ごく普通の男。やや暗めの茶色い長ズボンに上着。同じ色のフード付きマントをつけている。
同じように男たちがたむろするなか、一人の男が隅に座る。
「こちら、よろしいですかな?」
「いえ、あとで友人が来ます。ここでないとダメですかな?」
「そうではありませんが、お友だちがくるまでここにいてはいけませんかな」
「わかりました。ちなみに私の名前はシークです」
「わかりました。ちなみに私の名前はオーグマです」
ここで後から来た男は酒を頼んだ。タンブラに入ったそれをなめるように飲む。
ここでシークと言った男は小さな石を手渡した。その動きは素早く目立たない。オーグマは少し慌てたように石をてにとった。そして、二人とも石に魔力を込める。すると、石に刻み込まれた魔法印が発動。念話のパスを形成する。
『こちらシーク、通じますか?』
『はい、こちらオーグマ、聞こえません』
二人は念話を開始する。しかし、外からはただ、黙って酒を飲んでいるようにしか見えない。しかし。
『合い言葉確認。ひう、やっと話せます』
『……油断しないでください。合い言葉や符丁を聞かれたら拙いんですよ。それに、念話も盗聴出来ないわけではありませんから』
『その割にはおかしな会話してますが』
『ある程度、周りに報せとかないとな。この辺の連中はみな、臆病者だから。で、魔薬の取引をしたいと?』
『あ、はい』
魔薬、魔法増幅、威力拡大、魔力増大の効果を持つ薬の総称である。ただし、神経系の強化で効果を得る為、副作用を持つ。感覚過敏、異常興奮、被害妄想、幻覚、依存性、魔力減少、目眩、吐き気、体調不良、不整脈、時には死なども。
それでも、治癒魔法によってある程度の回復が見込める為、求める者は多い。
しかし、帝国を含めたほとんどの国は、一部の弱い魔薬を除いて、厳重な管理を行っている。それでも闇取引を行う者は多い。彼らのように。
「で、取引したいのは何だい。ヘントラム? ハッシュ? ディアオブセージ? サィオキシン?」
シークの問いかけに、オーグマは小さな声で呟いた(念話)。
『ジオナイト。100グラム』
シークは小さくうなずいた。
ジオナイト。
帝国を含めた人類主体のすべての国が禁止薬物として規制している最強の魔薬である。使用のみならず、所持しているだけでも極刑にあたる。
魔力の増強、集中力、持続力の拡大、身体能力の向上、持続力な魔力の上昇などに絶大な効果がある。
しかし、副作用としても、強い依存性をもち禁断症状として倦怠感、躁鬱気質、激しい記憶の混乱、内臓の弱体化、壊死などが表れる。
『と、なると、ここでは拙い。幸いに良い場所がある。そこで交渉しよう』
『わかった』
二人は、少し時間をずらしてその店を出た。雑踏の中、二人は貴族の屋敷が並ぶ区画へと足を進める。
たまに鳥が鳴き、野良犬が残飯をあさっているなか、多くのマントを羽織った一般人がいきかう。
二人は、一般人と同じようにマントに身をくるみ、フードを深く被ったまま貴族街にほど近い廃屋敷へと足を運んだ。
屋敷の中に入ると、二人は早速商談を始める。
「で、ジオナイトの純度は?」
「99,9」
「冗談みたいな純度だな」
本来のジオナイトの純度は50以下である。
「仕入れ先は言えないが、確かな筋からの物だ。品質は保証する」
シークは、フードの奥から小声で呟いた。
知ってるよ、と。
「何か言いましたか?」
「いえ。では、支払いはゴールド、金貨でよいですか」
「はい。あと、物は」
オーグマが言いかけたが、シークは遮った。そして、大きな袋を出す。
「相場の倍出す。直ぐに必要だから全部くれないか」
オーグマは、やや緊張した様子で答えた。
「戦争でもするんですか?」
「いえ、ある高貴な方が必要としているとだけいいましょう」
「しかし、物が物だけに、軽々と渡す訳には行かない」
オーグマの反論に、シークは最もだ、とつぶやく。
そこで取り出したのは、一枚の紙だった。しかし、裏には精密な魔法回路が張り巡らされている。
「まさか、“制約の紙”……そんなもんまで使うのか。高いのに」
「金に糸目はつけない。できるだけ早く、との事だ」
“制約の紙”とは、要するに約束を守らせる魔道具である。約束と罰則を書き、制約をなす者達が魔力を流すと、当事者に魔法回路が転写され、約束を守らないと罰則が発動するようになっている。
この場合は、売買契約と守秘義務の徹底。罰則として、魔薬に関する言葉を失うと言うこと。
売人の筈のオーグマは、少し落ち着いた様子になった。
「わかった、契約する。ジオナイトはここに……」
オーグマが言いかけた所に、廃屋の入り口から声が響いた。
「二人とも動くな! 魔薬取引の現行犯で逮捕する!」
シークは、ちっ、と舌打ちした。オーグマはうろたえる。
「私はジャス王国百十五位勇者、アルガンだ。ギルド法及びギルド行動条約に基づき、貴様らを逮捕する」
「や、ヤバい。まさか勇者が出てくるなんて……」
オーグマはうろたえた。ここで言う勇者とは、ジャス王国特有の国家資格である。心技体全てに優れ、軍事、法律、行政に関する知識をもつ。また、ジャス王国において、限定的な軍事、行政、法執行に対する権限を持つ。ある意味貴族より厄介な存在である。
これだけなら、ただのジャス王国の権力者、と、言うことにすぎない。しかし、ここで、傭兵ギルドという存在が関与してくる。
傭兵ギルドは、武力を糧にする連中(この中には冒険者、探索者、狩人なども含まれる)の共済組織である。単なる傭兵で終われば問題はない。しかし、この世界においては、魔の森と言う広大な治外法権地帯が存在する。その領域においては法は存在しない、ハズだった。しかし、当然ながら、そのような土地では、冒険者や傭兵と、魔の森の開拓者や現地人とのトラブルが多発する。損失する利益や人的資源の多さに、ギルドは対策を打った。トラブル防止の為の“法律”を作り、それをギルド会員と魔の森の開拓者や住人に通達、更に他国との協約を認めさせるに至った。ギルドの“法律”は、ランク分けされ、証拠があれば“依頼扱い”される。つまり、限定的な警察権を持つ事になるのだ。そして、勇者はギルドの中でも、高い権限をもつ。そう、へたな貴族でも反抗出来ないくらいの。
そして、一般的な冒険者は、証拠とする為の魔道具を所持している事が多い。1日分の音声記録をしたり、画像を残したりできるものを。
オーグマは、走って逃げようとした。違法魔薬取引はAランク依頼扱いになる。扱う魔薬によってはSランク依頼扱いとなる。特にジオナイトは依存性、効果、価格的にも、扱うだけでSランク扱いされる魔薬である。オーグマ、シークが極刑になるのは間違いない。たとえ貴族であろうと、国家要人であろうと。
オーグマは走った。が、軽装の鎧を身に纏った女戦士に回りこまれた。
シークは身じろぎしたが、すぐに静かになった。そして、静かに口を開く。
「すまないが、見逃してくれないか? 相応の謝礼はする」
勇者はニヤリと笑った。金属製の胸当てと籠手を装備した軽装の戦士。武器は刀という刃物だろう。その後ろに女の子が二人。役割としては僧侶と魔道士だろう。一人は厚手の詰め物をした布の服を身につけ、フレイル=スタッフと盾を構えている。もう一人マントに身をくるみ、ロッド=スタッフを構えていた。
「そういう訳にはいきませんよ。違法魔薬取引で既にAランク扱いの事案です。更に貴族が関わり、ジオナイトなんていうS級禁止魔薬だったりするじゃないですか。Sランク扱いの事案です。私の勇者階位も十階位くらい上がりますからね。見逃す訳ないじゃないですか。まあ、刑の軽減は出来ますよ。極刑から終身刑にする位ですけどね」
「じゃあ、仕方ない」
そう言うと、シークは屋敷の奥に向かってじりじりと動く。しかし、魔道士の女の子が魔法攻撃を発動した。
「ゲイルクラスト!」
初級攻撃魔法、風の刃を多数打ち出す魔法である。多数の風の刃は、シークの魔力力場を貫けない。しかし、シークのマントは切り裂かれ、フードが千切れとぶ。そして、シークの顔がさらされた。
赤い髪に端正な顔だち。片手には分厚く鉄塊のようなソード=スタッフ。やや、垂れ目の顔だちは端正で有名。
「エース! “妹狂い” こりゃ良かった。勇者階位があと十位はあがる」
その言葉を聞き、エースは瞬時に勇者に近づいた。そしてソード=スタッフを上段に振り上げ、勇者に振り下ろす。
勇者は、腰の剣、否、刀をエースのソード=スタッフに向け抜き撃った。
勇者は、エースの攻撃を刀で迎撃するつもりだった。刀はスタッフ=ウエボン。斬撃に特化した刀はあらゆる物を切り捨てる。
が、刀とソード=スタッフは魔力力場同士が干渉しあい、激しく輝く。しかし、それも一瞬。エースのソード=スタッフが魔力力場を凌駕した。刀ごと勇者の頭を叩き潰す。金属片と血と脳漿が辺りに飛び散った。返す刀で近くの僧侶に攻撃。僧侶は盾で身を守る。しかし、エースの剣戟は重い。盾が砕け、彼女は体勢を崩して転んだ。
女魔道士はしばらく事態についていけなかったが、我に帰り、ロッド=スタッフを構えた。そして攻撃魔法を撃とうと魔力を込める。しかし、エースのほうが早かった。踏み込んで、ソード=スタッフを振り抜く。魔道士の頭は、卵を砕くがごとく吹き飛ばされた。
エースは、間髪入れず、僧侶に剣戟を叩き込む。僧侶は体勢を崩しながらも盾で防御。しかし、盾は一撃を受ける事に砕けていく。
そのころになって、女騎士は我にかえった。オーグマに剣を突きつけ怒鳴る。
「こ、この男がどうなってもいいのか!」
女騎士は必死に問いかける。しかし、エースは何も言わす、ただ、僧侶を殴りつける。そして、エースの一撃が盾を砕き、次いで僧侶の頭を砕いた。
そして、エースは二人を見る。
「ひっ!」
女騎士は、エースの、赤い姿を見て、恐怖した。何も考えず、オーグマをエースの方に突き飛ばす。そして、エースに対して攻撃魔法を撃った。
「ゲイルランスドライ!」
風系上級魔法。貫通性が高い風の槍が、オーグマを貫きエースを襲う。更に女騎士は魔力で身体強化。剣を上段にかかげて前進し、オーグマごと切り落とした。
女騎士は思った。自分が使える最強の攻撃の二段構え。倒せなくとも、ダメージは与えるはず。手応えは、あった。
が、次の瞬間、エースのソード=スタッフが女騎士を襲った。驚く間もなく腕ごと肋骨を叩き折られた。二撃目で女騎士の側頭部に打撃が走る。何とか魔力力場で斬撃を受け止める。それでも、全ての力を受け流せず、女騎士は吹き飛んだ。更にエースは追撃。何度も剣を叩きつけ、女騎士の頭を砕いた。
エースはオーグマを見た。胴体に穴が開き、頭は叩き切られている。もし、女騎士が冷静に攻撃していたら、と、エースは身震いする。
「こうなっていたのは俺だったかもな」
やがて、エースは勇者たちの装備品を剥がす。そして、帝都の下水道の蓋を開け、勇者たちをその中に押し込んだ。
全員を下水道に落としたあと、浄化の魔法を使う。血や埃が水分を奪われて圧縮され、一握りの塊になる。
そこに、一人の女性が現れた。
「エース様、遅いですよ。時間です」
「すまない、アリサ姉」
アリサは、エースの様子を見て、ため息をつく。
「厄介な連中が絡んできましたね」
「……仕方ない。ジオナイトの取引とばれていた。証拠隠滅は必要だ」
「全員処理したんですか」
「当然」
アリサは、浄化魔法をエースにかける。全身が乾燥し、血や埃が彼女の手のひらに集まる。
「さ、それも」
アリサは、エースが持っている塊を受け取った。そして、下水道に流す。
「エースはどう思っているの?」「なにが?」
エースは、勇者たちの装備品を隠し戸棚に押し込む。バラけた刀や盾の破片までは何も出来ない。とはいえ、この家屋は一応、ある子爵の持ち物。セカンドハウスだったのだが、維持費に困ったため、レーベルディン家が借り受けているのだ。補助倉庫として建て替える予定となっている。なのでよほどの事がない限り、人が迷いこんでくる事はない。外でフクロウが鳴いているようだが。
「……魔薬製作や取引に手を出し、勇者に尻尾を握られたら即処分する。荒事は嫌いでしょう、エース。あなたは望んでしている事ではないでしょうから、自ら手を出さなくともいいのに。人にさせるとか」
「レーベルディン家の為には、非合法行為に関わる者は少ない方がいい。それに、俺はこの世からいなくなる予定だからな」
「そんな事言わない。メイシア様が悲しむよ」
「大丈夫。アルベルトがいるし、父も、アリサねえもいる」
エースはここで小さく呟く。
でも、美菜には、俺しかいない。美菜を助けなければ。死の縁から救ってくれた彼女を。一人ぼっちの彼女を。
「ま、薬も回収できた。いこうか。“深淵”に。あ、彼はよんだ?」
「はい、まだ早いとは思いますが……」
ここで、アリサはためらいながらエースにたずねた。
「ドルセン、可哀想でしたね。とはいえ、なんで薬を横領なんかしたのか。真面目な人だったのに」
「娘さんが重い病気らしい。治療に金がかかるそうだ。こうなった以上は面倒を見よう、帝国病院にいれる」
「……飼い犬に手を噛まれたのに?」
「死んだ人はみないいひとだよ。悪くなりようもないしね」
そう言ってエースは歩きだした。“深淵”に向かって。
そして俺は生きていく。罪を重ねながら。
そう、思いながら
浄化魔法。風系の初級魔法で、任意の場所に付着した任意の物質を低温乾燥し、一カ所に纏めるもの。指定範囲が小さい。その為広範囲には魔力が大量に必要。この場合、エースは常備しているリング=スタッフ(浄化魔法のみを使用可能な指輪、魔道具。旅の必需品)を使用して現場の血痕などを浄化した。




