深淵は中に入るもの。
エースは、儀礼剣に手をかけた。この儀礼剣、刃は潰されており、かつ、ワイバーンの翼の皮膜で覆われている。その為、衝撃吸収性や対刃性に優れる。更に耐久性向上や衝撃吸収性、対魔法防御の魔法回路が組み込まれている。そして、魔法剣や斬撃強化、身体強化の付与魔法は無力化し、刀身を輝かせる演出用の魔法に変換される。防御の為には通常の剣以上の能力を持つが、攻撃の際にはハリセンほどの痛みも与えられない、安全安心な剣となのだ。
そして、エースの腰の剣は、初代皇帝がレーベルディン家に与えた由緒ある恩寵の儀礼剣。独特のバランスを持ち、普通の剣に偽装を施しても誤魔化せない、つまり、本当にハリセンより安全安心な剣。
だから、皇帝もキシリア皇女も、斬り殺されるはずがない。そのはずである。
しかし、エースが放つ魔力、その魔力量が過剰である。光に変換されるはずの魔力がエースにまとわりついている。つまり、儀礼剣の魔法効果を発現し、身体強化をして、なお溢れ出ていると言うこと。
つまり、エースは、儀礼剣の魔法効果を無視して有効な打撃を与えられる。そう、魔物でも殺せるような。会場全体がそれを感じ取り、確信していた。
皇帝とキシリア皇女の命は、次の瞬間存在しないと。
皇帝達とエースとの距離、十メートル。身体強化により、抜刀と同時にキシリア皇女が吹き飛ばされ、次の斬撃で皇帝が殴り飛ばされる。
エースは準騎士。技量は通常の騎士に比べて高くはない。しかし、戦闘経験は通常の騎士と比較しても遥かに多い。そして魔力量に関しては魔物と比較するべきときがある。。
通常の人の魔力量は、Eランクの魔物と同等。魔導士でDランク。それに対し、エースはEランク。ただし魔力回復力は魔物ですらかなわない。そして、一時的なら極端に魔力を引き出すことができる。ただし、魔力量が多過ぎて、身体に非常に負担がかかる為、良いことばかりではないが。
つまりいま、エースは、魔力を、極端に出して攻撃力を高めているのだ。
つまり、皇帝とキシリア皇女はすでに死んでいておかしくない。
だからこそ、会場内の全員が疑問に感じた。なぜ、二人と、その護衛に傷ひとつついてないのか。
「皇帝陛下」
声が会場内に響いた。
「御加減がすぐれないのでは」
カタナが、ぎこちない笑顔で皇帝に語りかけた。
「あ、ああ」
カタナは、エースの儀礼剣の柄を軽く押さえたまま、軽い口調で話す。
「それはいけませんね、皇帝陛下。速やかに医師に見てもらったほうがよろしいかと。あと、キシリア皇女殿下、皇帝陛下に付き添いをお願いします」
「う、うむ」
「あ、ありがとうございます。カタナ殿。では、退出させていただく。皆はパーティーを楽しまれよ。では」
キシリア皇女は、左目の眼帯を直し、皇帝の手を引いてパーティー会場をでていく。その様子は、子供に手を引かれて出て行く中年男である。
カタナは、二人を見送ると、エースに言った。
「で、エース君、メイシア孃も具合が悪いようだ。ひとまず、退出してはどうかな。おじさんも手をかすよ」
カタナはエースの肩を叩き、会場の出口を示す。反対の手はエースの儀礼剣の柄を抑えていた。
「……あなたの指図には従いたくないが、」
「だ、大丈夫、です。にいさま、」
「たしかにメイシアが心配だ。一緒に行こう。カタナ殿」
エース達は、三人連れ立ってパーティー会場の出口に向かう。
「カタナさまあ、どこにいくんですかあ?」
「ああ、リンデ孃、あとで会おう」
「カタナさまあ」
カタナは自分の取り巻きと別れた。
パーティー会場を出て、エースがカタナの方を向く。
「何をした。何故、僕の身体が動かなかった?」
「まあ、剣を抜こうとしたからな。まあ、答える義務はないが、仕方ない。教えてやるか」
カタナは、自慢気に答えた。
「どんな行動にも、初動というものがある。その要をおさえれば何もできない。エース君の剣を抜く初動を抑えた。そう言う事さ」
「冗談だろう?」
エースは怪しく思った。そんなことができるなら、武術の達人ということになる。が、カタナがそんな達人だとは噂ですら聞いたことがない。油断ならない人物とはよく聞くが。
「ま、信じる信じないはエース君にまかせるよ。ただ、私はうそは言ってない」
ここでカタナはエースの剣の柄をおさえるのを止め、メイシアの方に振り向いた。
「さて、実は、私はある情報を入手していてね」
「なんだ」
メイシアをかばうエース。その姿にカタナは思わず苦笑する。
「メイシア孃の婚約者の居る場所さ」
兄妹二人は目を見開いた。
「今からすぐ行きます!」
次の瞬間、メイシアは答えた。カタナに喰い気味に迫る。
「おい、メイシア!カタナ殿に失礼だ。第一、行くと言っても」
「まあ、行く場所はこの下、深淵だよ。装備としても、礼装としても今の姿で十分だよ」
カタナが言った、深淵とは、宮殿の地下の保管庫を意味する。ここには、色々な異物、武具、生物、道具が封印されており、一つでも外に出れば世の終わりになると噂されている。つまり、危険な場所とされているのだ。
「はい、わかりました。カタナさま、行きましょう」
「メイシア! 何を言っている!」
その様子を見て、カタナは笑った。
「なるほど。思ったより強いお嬢さんだ。しかし、私も深淵に用事がありますから、ついでに案内するだけです。それとも、エース君は噂を信じているのですか?」
エースはカタナに白い目を向ける。
「何を言っている? メイシアの体調が悪そうだ。行くにしても少し休んで……」
「にいさま、わたしはすぐ行きます。にいさま、体調が悪ければ休んでいて下さい」
メイシアは、青い顔をして、それでも歩きだした。
「お、おい!」
すぐにあとを追うエース。カタナは、その様子を見ていたが、急に走り出した。
「えっ、と、エース君達、私が深淵まで案内するつもりですが、なんで置いて行くんだい?」
兄妹は振り返ってカタナを見る。
「私は一回深淵(に行った事がありますよ、カタナさん」
「わたしも何度かあります。キシリアねえさまにたのまれて、色んなもの納入しに」
「あ、ああ、そうかい。じゃ、私は要らない?」
白い目でみる兄妹。
「カタナさんから言ってましたよ。今日、深淵に用事がありますって。なら、いつか来るから先に行っててもいいでしょう?」
「……もういいですよ」
三人は、宮殿の地下へ向かう階段を下りていく。やがて、大きな門の前までやってきた。門番が守っているが、エース以外はフリーパスで通る。エースは、カタナの付き添いとして入る。
ここからは、カタナが先導。暗い石作りの通路が続き、何個かの扉を通る。やがて、一人の人が、扉の前に立っている。その人物は、三人が良く知っている人物だった。
「よお、マリク」
「マリクさん?」
「マリク先輩?」
彼の名はマリク。
「え、義理息子を知っているのか?」
「アル様のお友達でしょう?」
「騎士養成校の先輩です」
マリク=フォン=バルムンク。カタナの義理息子であり、アルベルト皇太子の親友、騎士養成所の卒業生である。ちなみにエースとは、同じ班になった事もあり、知り合いである。
金髪を後ろにまとめた丸メガネの若者は、三人を見てつぶやく。
「まさか、この組み合わせでくるとは……いや、考えようによっては……」
「何ぶつくさ言っている、義理息子」
「いえ、義父上。やはり、婚約者に会ったほうがいいと思いますから」
「しかし、上のパーティーでは大変だったぞ。皇帝陛下がアルベルト皇太子とメイシア孃との婚約破棄を発表したからな」
「え? それは拙いです」
その声に呼応するように、地鳴りが聞こえた。
「ぶひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
否、それはとても大きく重い豚の雄叫び。その声は、深淵全体に響き渡った。
「ぶひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」
そして、分厚い扉が砕かれ、中から大きく黒い影が現れたのであった。
「ぶひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」




