すべてがMOFUMOFUになる
「ぶへっくしょいっ!」
堪えきれずに、オレはおおきくクシャミした。
「ぶへっくし! ぶへーっくしゅ!」
3回続いたところで、ようやく治まる。ふー、やれやれ。
マスクをずらし、机の脇にぶら下げた箱からティッシュを取ると、ぶしーっと鼻をかむ。ついでに、カバンから点鼻薬を出してシュッシュッと鼻の穴に吹き込むと、オレはマスクを元に戻した。ティッシュは机の反対側にぶら下げたビニール袋に放り込む。
「で、何の話だっけ?」
クシャミの直前まで会話をしていた相手に尋ねれば、なぜか半眼で睨まれた。
「あんたさ、そんな調子で来年大丈夫? ウチら来年は受験生っしょ?」
「まぁ、何とかなるんじゃないかな」
受験シーズンは本格到来していて、1コ上の先輩は何だかピリピリとしていたり、逆に突き抜けていたりと忙しい。そういえば、久々に部活に顔を出した先輩は、何だか「ヒャッハー」な感じになっていたっけ。
オレの発言をどう取ったのか、目の前の相手、梨乃がやれやれって感じで肩をすくめた。お前はどこのアメリカ人だ。
「動物の毛アレルギーだっけ? このご時世に大変だよね」
「元凶の一人に言われたくない」
思わず憮然とした。
「とっととウィルスもらっちゃえばいいのに。それで改善するってお医者さんにも言われたんでしょ?」
「改善する、じゃない。改善する可能性が高い、だ」
「同じようなもんじゃん? 実際にそれで動物の毛アレルギーが治った人だっているんでしょ? だったら―――」
「ちょっとバクチを打つ気にはなれないんだよ」
そういうもん? と答えた梨乃の頭の上で、ぴこぴこ、と動く三角のアクセサリーが目に入った。顔の半分はあろうかという大きさのそれは、小麦色の毛が生えている。どうも狐の耳らしい。ついでに言うと、座っているオレと同じ目線の高さには、丈を縮めた制服のスカートからのぞくもふっとした毛の塊がゆらゆらと揺れている。さっきのクシャミはこいつのせいだ。むだにもさもさとした尻尾を揺らしやがって。
別に梨乃のそんな姿を気にするようなヤツはいない。クラスの半数には、何やらの耳や尻尾が生えている。片瀬は馬、度会は猫、望月はフェレット、様々だ。
およそ10年前のこと。オレがまだ幼児の頃だ。突然、その奇病は蔓延した。
国内の8箇所で同時に発症が認められたその奇病は、通称Mウィルス。感染した人間はおよそ半日から1日の潜伏期間を経て『獣の耳や尻尾が生える』。当時はえらい騒ぎだった。連日報道はそのニュースばかり、オレの住んでいる地域は、幸い、感染のない地域だったこともあって、どこか他人事のように感じていた。
10年経って分かったことは、
●健康上の被害は認められないこと
●個人差はあるが半年~1年で症状が消えること
●経口感染のみであること
●人から人への感染が認められないこと
こんなところだ。
経口感染だけなのに、どうしてこんなに蔓延したのか、それには理由がある。
このMウィルスは人為的に作られたものであり、かつ、意図的に広められたものなのだ。
まず最初の同時発症。これは、Mウィルスの製作者が複数の浄水場にウィルスを投げ込んだことによるものだ。当時はテロという言葉が散々使われていたらしい。
その後、ウィルスの製作者は農業用水にも同じ仕込みをし、その結果、汚染された水で育った野菜や果物にもウィルスが内在することとなり、全国に蔓延した。
輸出制限や渡航制限、日本の経済は大打撃を受けた。
そこにMウィルス製作者からの犯行声明が出る。「リアルけも耳っ娘、バンザイ!」で始まる犯行声明には、日本中が激怒したとか。犯行声明に添付されていた臨床データ、各国主導による独自の臨床試験を経て、本当に無害で人騒がせなだけのウィルスらしい、と判断されるまで、日本は大不況だったという。
だが、そこは二次元の妄想産業が花開く日本。転んでもただでは起きない。ウィルスを意図的に取り込んでコスプレに生かす輩を筆頭に、様々な分野で積極的にMウィルスを利用したビジネスが花開いた。もしかしたら、世界はドン引きしたのかもしれない。オレは幼児だったから知らんけど。でも、ニュースで「海外からMウィルスの摂取ツアー」なるものが何度も来日したと聞いた覚えがある。『接種』ではない。口から入れるから『摂取』としているんだとか。
Mウィルス発見から10年。人騒がせなウィルス製作者は未だ捕まらず、けも耳を生やしているのは人口の3割。その大半が若年層だ。髪を染めるほどの気安さで、Mウィルスを取り込む人が多いのだとか。
―――長々と話をしてしまったが、どの道、2年前に動物の毛アレルギーを発症してしまったオレにとっては、甚だ迷惑な話だ。
「航太郎って、一度もMウィルスにかかってないんだっけ?」
「特に興味なかったからな。今となっては害悪だし」
「害悪ってひどい! もう触らせてあげないよ!」
「すまん」
素直に謝るならよし、と梨乃は体勢を変えると、オレの机の上にもふっとした尻尾を乗せた。オレは幼馴染の気安さからか、遠慮なく撫でさせてもらう。あったかいし、柔らかいし、リアルファーは手触りがいい。梨乃も気を遣って色々と手入れをしているらしいから、そのおかげもあるんだろう。
「ね、航太郎。Mウィルス入れてみなよ」
「みなよ、ってお前―――」
「だって、このままじゃ困るんだもん」
「困るって、別にお前は困らんだろ」
「困る!」
「なんで!」
むー、と口を突き出したキツネっ娘は、とんでもない爆弾を落とした。
「航太郎と付き合いたいからに決まってるじゃん!」
「ぶべっ!」
キーンコーンカーンコーン……
「あ、チャイムだ。また後でね」
「ちょ、おい……」
なんでだ、後ろの男子とか斜め前の男子とかから「リア充滅べ」のオーラが出てる気がする。オレのアレルギーのためには、むしろ「リア獣」を滅ぼして欲しい。
オレは机の横に引っ掛けたサッカーボールのネットを手繰り寄せ、その中に突っ込んである箱ティッシュを、ドンと机の上に置いた。柔らかいティッシュはちょっとお高めだが、鼻の下の皮が剥けないようにするためには仕方ない出費だ。パッケージの子ペンギンと目が合った。……リア獣滅べなんて思ったオレが滅べばいい。かわいい。
とりあえず、授業前に勢いよく鼻をかんでおいた。
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~′,,,,,,,,,,ミ,,゜Д゜彡
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「お前が満面の笑みとか、マジで怖いんだが」
「だって、ようやく航太郎が決心してくれたんだもん」
「だからって、どうして病院について来るんだ」
「え? 直前でやめようとか思わないように、……監視?」
数日後、何故か梨乃が病院に付いて来ることになった、と思えば、オレがちゃんとMウィルスを摂取するかどうか監視をするらしい。怖い。
「どこに友人同伴で病院に行くヤツがいるんだよ。中学生にもなって」
「友人てひどい! だって航太郎があれだけ嫌がってたMウィルス摂取するって言い出したのって、あたしのためだよね?」
「……別に」
「もう! 照れてる航太郎もかわいい!」
「かわいい言うな!」
二年以上お世話になっている先生にまで、「君みたいなのってリア充って言うんだよね。爆発してみるかい?」なんて言われる始末。そういや、先生、三十代後半で独身だったな。
何やかやと問診を経たり、一通りMウィルスについて説明されたり、説明を受けました、なんていう書類にサインさせられたりして、ようやく処方されたカプセルを、先生、看護師、梨乃の3人の目の前でゴクンと飲み下したとき、何故か拍手が上がった。解せん。
「航太郎は、何が生えるのかなー」
「生える言うな」
帰り道、オレは「Mウィルスについて」とかわいい字体で書かれた冊子を読みながら、梨乃に適当に相槌を打っていた。
「じゃ、明日には航太郎の新しい姿、見せてもらえるね」
「あー、はいはい。妙な耳が生えてても笑うなよ」
「笑わないよ。だって、航太郎だもん」
「なんだそりゃ」
家の前で梨乃と別れて、自分の部屋に戻ったオレは、じっくりと冊子を読み込む。
そういえば、Mウィルスって詳しく調べたことはなかったな。社会の時間にちょろっと話は出たけど、それこそ蔓延の経緯が主だったし。
ふむふむ、『病院で処方されるカプセルは、飲む人の体重に合わせて処方されます』と。『Mウィルスで発現する耳や尻尾は、個人差が激しく、遺伝との関連性も解明されていません。ただし、症状が一度治まった後に、再発した場合、同じ種類の耳や尻尾が生えます』か。
「あー、確かに、親がネズミで子が牛で、っていうのが居たなぁ」
えーと、なになに、『稀に絶滅した動物の特徴が出る症例があるため、その際は専門機関での受診をお願いします』? なんだこれ、サーベルタイガーとかマンモスとか、そんな人がいるのか。
『発現する特徴は、千差万別で、パッと見には分からない可能性があります』、と。そういやクラスメイトの萱野がスズメの尾羽しか生えてなかったな。
『耳は基本的に動かせるだけの飾りで、耳としての機能を果たさないものが大半です。稀に、聴力が優れる場合がありますので、異変を感じたら、専門機関での受診をお願いします。耳栓等の処置を行うことができます。※保険適用内』って何だこりゃ。いるのかそんな人。
熟読していたオレだったが、最後の注意書きに目を丸くした。何しろ『象の特徴が発現した方は、決して象牙を業者等に売り渡してはいけません。現行法律では臓器売買にあたり、罰金または懲役を受けます』なんて書いてあるもんだから。
「象牙、ねぇ」
オレ、象になったら売っちゃうかも。あれ、そもそもそれって人工象牙って言うのかな? ある意味、人の手で作られたものだしな。
「まぁ、いいか」
発症時に発熱する場合もある、と冊子に書いてあったが、オレはそういった症状もなく、無事に朝を迎えた。
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翌日、オレは珍しく、黒いニット帽を被って登校した。
なんだよ、これ。なってみると、かなり恥ずかしい。
「おっはよー、航太郎! 帽子なんてかぶっちゃって、脱ぎなよ! ほら脱ぎなって」
「梨乃! 教室で脱げ脱げ言うな、お前一応女子だろ!」
「女子だよ! 帽子を脱げって言ってるだけじゃん? 見せてってば」
「……」
「マスクつけてないってことは、アレルギーも改善したんでしょ? ね、お願い。見せて?」
小首を傾げてお願いポーズを取るのはやめろ。なんだかクラス中の男子の視線が刺さる。あぁ、またリア充爆発の呪いをかけられてんのか、これ?
「航太郎、お・ね・が・い」
「……っだー! 笑うんじゃねぇぞ?」
「うん、約束したじゃん」
オレは渋々ニット帽を取った。
そこに生えているのは、俗に「ロップイヤー」と呼ばれる垂れた兎耳だった。ちなみに、朝一番で「かわいいー!」と母親に絶叫され、散々モフられた挙句に「ブラッシング用の柔らかい櫛買っとくわね」と言われた産物だ。鏡で確認したときは、黒髪の頭から栗色の耳が生えている光景に、なんとも不思議な感覚がしたもんだ。
「……航太郎、それ」
「オカンが言うには、ロップイヤーっていう兎の」
「やだ、カワイイんですけどーっ!」
お前もか。
梨乃の絶叫に引かれてか、なんだなんだとクラスメイトが集まる。男女問わず「かわいい」を連呼されながら、オレの兎耳は散々に触られまくった。
「―――もうやだ」
「今日だけだってば。皆すぐに慣れるって」
「体育の時間まで触られたんだぞ! しかも先生にまで!」
「だって、触りたくなるんだもん。いいなー、元から柔らかい毛だもんね。かわいいし。あ、尻尾もあるの?」
「見たいとか言うなよ。……丸っこいのが生えてる。まぁ、ズボンの中に収まるぐらいだから別に困ってねぇけど」
「うーん、そっかぁ……」
梨乃は、何故かオレの耳をじーっと見つめた。もう散々モフっただろ。まだモフりたいのか、お前は。
「ねぇ、航太郎」
「んだよ」
「あのね、お願いがあるんだけど」
「あー、いいぞ。もう。慣れた。モフらせろって言うんだろ。……いってぇ!」
オレの新しい耳に激痛が走った。
ついでに、オレは自分の目を疑った。今、見たものが間違いでなけりゃ、梨乃、こいつ―――
オ レ の 耳 を 噛 み や が っ た!
「いってぇだろ! 何すんだ!」
「えー、だって、航太郎の耳見てたら、なんかこう、うずうずするものが……」
「うずうずしたからって、齧るこたねぇだろ!」
「だってぇ、何か、すごく、がぶってしたくなったんだもん……」
待て。
ちょっと待て。
今、オレの頭にイヤな考えが浮かんだ。間違っていて欲しい、と切に願う。
キツネって、ウサギを捕食する動物じゃないか?
「ね、もっかい、もっかいだけかじらせて!」
「やめろ。マジで痛ぇ」
「じゃ、痛くしないから、もっかい!」
「信用できねぇ」
「ねぇ、航太郎~! 優しくするから! はむってするだけだから」
「言い方がいかがわしい!」
もちろん、オレは新しい耳を死守した。
ただ、死守できたのはこの日だけで、梨乃の猛攻に負けて週に何回かは噛まれる羽目になるんだが、それは後の話。