私の好きな人
告白して、玉砕して、アップルパイを焼いた日から二ヶ月。春も足跡を近づけ、桜に蕾がつき始めたころ。
もうすぐ高校二年生になる私は、相変わらず告白の相手ーー探偵さんの事務所に足繁く通っていた。
町の一角にある貸しビル、その三階の一部屋が彼女の事務所兼自宅だ。依頼人がくることはほとんどない。あまり宣伝をしないためだと探偵さんは言っている。
学校帰り、家にも戻らずに私は階段を駆け上がる。事務所の扉には『close』の看板がかけられている。
依頼人がきているのか、はたまた副業の文筆活動ーー副業とはいえ、収入はそちらが大半を占めているらしいがーーに集中しているのか。
大方は副業の方だろうが、万が一ということもある。私は静かに扉を開けて、外行き用の表情を作り、できるだけ上品に見えるように挨拶をした。
「ごきげんよう」
こういう品があって、お綺麗に見えるだろう自分を演じるのは得意だった。
名家ともいえる家の出である私は幼い頃から両親にそう望まれてきたし、通う女学院においてもそれは変わらない。他の生徒たちの模範となり、憧れを抱かれるようにと願う人たちが大多数だろう。
誰にも見破ることなど出来ないだろうと考えていたし、実際そうであった自信もあったが、探偵さんは一目にして気付いたらしい。
『よく鏡を見ればわかる』
理由を聞いた時に彼女はそう答えたが、意味はいまだによくわからない。
職業柄ーー探偵ではなく、文筆家としてーー言葉通りの意味ではないだろうし、もしそうであったとしたら探偵さんは自分の服装や髪型にあまりにも無頓着である。
その真意がどうであったとしても、探偵さん相手に演じる意味などないと知った私は、以来素のままで彼女に接している。
ーー驚くべき、というか、事務所の応接間には探偵さんの他に依頼人と思わしき姿がもう一つあった。
コーヒーを飲む探偵さんの前のソファーに腰掛けている。
髪先にはゆるいウェーブ、おっとりした顔立ちと笑み。探偵さんとは正反対にグラマラスな体型で、一目見た印象はふわふわとした人だった。
(……放っておいたら浮いて行ってしまいそう)
私の失礼な考えを知ってか知らずか、女性は小さくクスリと笑った。
「ああ、あなたが噂の女の子ね。ここで助手ーーというか通い妻みたいなことをしているって聞いているわ。やっぱりそーゆー関係なのかしら」
その言葉に私は顔を赤くして、探偵さんはコーヒーをつまらせたのか、むせている。
「あら、違うの?」
「当然だろう。そもそも、通い妻だなんて言っていない」
少し涙目になりながら、慌てた様子で否定する。
……考えないようにしていたが、やはり私が事務所にくることは探偵さんにとって非常に迷惑なのではないか。優しい探偵さんは、私に言い出せないだけでーー。
「ーー紅茶、いれるから。お茶請けはクッキーでいいよな」
ぶっきらぼうな物言いをして、探偵さんは私のいる玄関とは向かいの壁際にあるキッチンへと向かった。
彼女が今のような態度になるのは、誰かを心配していたり、恥ずかしい時だと私は知っている。今回は暗い顔をしてしまった私を気にしているのだろう。
ーー私の好きな人は、とても不器用で、そして誰よりも優しいのだということを、今日改めて知ったのだった。