16歳の御主人様
とある裕福な家庭。16歳となった娘のため、父親は『イノフ=トラームズ』をプレゼントした。
『今日から仕えさせていただきます。イノフ=トラームズです』
「やっとうちに来たんだね。まだかなあってずっと思ってたんだ。父さん、ありがとう!」
「ハッハッハ! 喜んでもらえるとこっちも嬉しいな」
「あんまり、無理させないでね」
娘の言葉に父親は顔を綻ばせ、母親は心配そうに言う。イノフが仲の良さげな家族を見ていると、後ろから別の『使用人』に声をかけられた。
『あなたが新入り?』
その声に、イノフは頷く。
『私はキュオット=ドープアイ。アイって呼ばれてる。君の先輩に当たるわ』
『そうですか、失礼しました! 私はイノフ=トラームズといいます。これからよろしくお願いします』
『こちらこそよろしく、ね』
アイは礼儀正しいイノフを素直に良いものだと思うと同時に、自分の将来に対しての不安を感じていた。
「イノフはどこ?」
『はい、ここに!』
イノフがこの家庭に来てから二週間程たった。イノフはすっかり娘に気に入られ、彼女が外出するときはいつでもイノフとともに行くのだった。
『いってらっしゃいませ』
それに対し、アイの活動は部屋の中ばかりとなってしまった。今までアイが勤めていたポジションは、イノフに取って代わられたからである。初めの一週間程は、娘がイノフとアイのどちらも一緒だったが、イノフは処理がアイよりも遥かに早かった。日がたつにつれ、彼女はアイを利用しなくなっていった。
『この三年で、大きく進歩したっていうことね……』
アイはしみじみと、初めてこの家に来てからの生活を思い返した。
アイが来た当時、この家でアイに演奏の腕でかなうものはいなかった。父親が娘のために用意したアイだったが、その美しい音色に彼もこっそりとアイに音楽を奏でさせたりもした。
また、あらゆる動作もそつなくこなすアイは、娘が要求する情報を必要以上に提供し、彼女を別の意味で困らせたりすることもあった。娘がまた見たいと思う風景を描いたり、寝坊しないようわざと喧しく音楽を弾いたりということもあった。今までの記憶が次々と、頭をよぎっていく。
『なんだか、眠くなってきたなあ……』
日は落ち、景色が夕闇に染まり始めた頃、娘は帰宅し、自分の部屋に戻ってきた。
「あー、疲れた。お風呂入ってこよ」
娘はイノフを部屋に置いて、出て行った。イノフはアイを確認し、今日の出来事を報告する。
『今日で全て返却されました。御主人様の平均点は、67.11……』
と言いかけて、アイの様子がおかしいことに気付く。
『アイさん?』
イノフの問いかけにも返事はない。この家庭にやって来てから初めてのことにイノフは慌てる。イノフは誰かを呼ぼうとするも、今の状態ではイノフも音を出せない。どうしようもできない虚しさに、イノフは打ち拉がれた。
「ん? メールかな?」
風呂を上がった娘は、青い光を点滅させるスマホに気付く。メールボックスを開くが、受信した様子はない。
「誤作動? 大丈夫かな? これ」
父親が買ってきて二週間しかたっていないのに、もう不具合が起きるとは。父親に文句を言いたいところだが、まだ帰ってきていない。仕方ないので、彼女は今日返されたテストの見直しをはじめることにした。久々に音楽を聴きながらしようか、と思い、イヤホンを耳につけた時、ふと気付く。
「あ、電池切れ……」
彼女は気怠そうに棚から充電器を取り出し、音楽プレイヤーにさす。
ここ最近は、スマホしか使ってなかったなあ、と思いながら、充電器のもう一方をコンセントにさした。
イノフ=トラームズ ← enohP tramS
キュオット=ドープアイ ← hcuot d○Pi