第二話「探し人 前編」
○
苦学生は辛い。
そう切に思うようになったのはやはり食事の面だろうかと僕は考える。
親からの仕送りを一切断っている僕としては生活するだけでもう手一杯だ。
掃除、洗濯、炊事、ゴミ出し、さらに大学、バイト……。
だけど何から何まで苦しいなんてそんなことはない。
僕、椎柴梢はとある一枚のビラをしげしげと眺めた。
「卵お一人様105円。玉ねぎ、人参、ピーマン詰め放題150円。キャベツ一玉120円。ふふふ」
おっといけないいけない。思わず口に出してにやけてしまった。これでは芳人さんだ。気をつけねば。
僕が住んでいる安アパート(大学からの紹介)の近くにあるスーパー【ゲキアン】は名前の通り1か月に数回、生鮮食品が激安になる。
昔からコンビニはあまり利用していなかったので、大学生になって一人暮らしをするようになったら自炊はどうなるんだろうか。と不安に思っていた時に、隣の部屋の大学の先輩がこのスーパーのことを教えてくれて助かった。以来僕は足しげくこの店に利用するようになった。
かといっていつもいつも僕が自炊をしているなんて、そんなことはない。
大学で講義が長引いた時、なんとなく体がだるくて料理をするきが起こらない時。そして、芳人さんになにかしら絡まれた時。
……最後のは特にやる気が起こらなくなる。僕より一回りは年齢が上の癖に体力は幼稚園児とガチンコ張れるあの人を相手取るには相当の体力と根気が必要だ。
おっとっと。どうも芳人さんの話になると話が横道に逸れる。
で、なんの話だったかな。……そうそう、いつも自炊をしないという話だった。
そんな時普通ならどうするだろうか。
僕はスーパーの弁当を買う。
いや、これは別に僕の行動であって、決してネタとかギャグのつもりじゃないから。シラけた、とかそんな感想はやめてくれ。
ならなんでそんな勿体ぶって話を進めたのか。早い話旨いのだ。めちゃくちゃ旨い弁当だからだ。それこそ謎の調味料Xとかそんな未知の隠し味を入れているんじゃないかってくらい。
しかし不思議なことに他の大学の友達と同じ弁当を買っても、友達は決して絶賛はしないということだった。うまいけどまあ普通。みたいな、そんな感想を言う。舌が肥えているんだと僕はこめかみに血管を走らせたが話を聞くとどうもそうではないらしい。
友達は言った。
「いいかコズエ。あの店にはな。Monsterがいるんだ」
モンスターの部分を強調していたように思えた。
曰く、【ゲキアン】には最強の主婦、斉藤さんがいる。
曰く、斉藤さんは1日に一つしか弁当を作らない。
曰く、斉藤さんの作る弁当はこの世の何よりも勝るおいしさである。
「いや、嘘だろ」
僕は冷静に突っ込んで相手を制した。
多分その弁当を作る人はいるだろうが、弁当を一つしか作らない店員なんていやしないだろう。
あと二つにも色々と文句をつけたいところだけれどやめた。
する意味がない。
そもそも、友達の言葉を借りれば、僕はその斉藤さんと知り合いということになる。
○
「……コズエ」
「うわ、びっくりした。何? 因香ちゃん」
僕の耳元まで顔を寄せて、内緒話をするように因香ちゃんは僕に話しかけてくる。これはいつになっても慣れるものじゃないな。
「……その紙、見せて」
ぽそぽそぽそぽそ。
空気の塊が1ミリ間隔で僕の耳殻を刺激する。こそばゆいったらありはしない。
「紙? ああ、チラシね。はいどうぞ」
「………………」
因香ちゃんはじっとチラシに目を釘付けにする。
白樫因香。
何を隠そう、僕の雇い主である白樫芳人の妹である。
年齢17歳。職業高校3年生、在学中。
「…………また?」
因香ちゃんは実に嫌そうにチラシから顔を覗かせてそう言った。
「うん。今回もよろしく頼むよ」
彼女が覗いているのは今月の【ゲキアン】のチラシだ。
お一人様ひとつ限りというのは無情だ。
一人暮らしとはいえ食費が嵩むことには違いない。そのため僕は頭数を増やすために因香ちゃんや芳人さんに協力してもらうこともままある。因香ちゃんが不満気な表情をチラつかせるのもまあ仕方がないことかもしれない。店を歩くだけでも疲れるからな。他人の買い物なんかだと特に。
なにはともあれ、今回は卵がお安い。是非とも2つは手に入れておきたいところだ。
「ところで因香ちゃん。芳人さんは家に居なかったの?」
僕のアパートから【ゲキアン】まで近いと先ほど説明したが、実はその間に白樫家のアパートが挟んでいたりする。ついさっき電話で呼び出したときは因香ちゃんしか出なかったが、はて、あの暇人が用事でもあるのだろうか。
「……怯えてた」
「……? スーパーに?」
「……コズエに」
「失礼な人だな」
「……私も、時々」
「時々、何?」
「……怖い」
いったい何が怖いというのか。
まったくもって失礼な兄妹である。
○
『ちょっとぉ! それアタシのなんですけど!?』
「先に手を伸ばしたのは僕です。横取りなんて自分を恥じなさい」
『なっ!?』
『ちょっとそこのあなた! そこの大学生っぽいの! お一人様一つでしょ! 数少ないんだからズルはやめなさいよ!』
「向こうに連れがいます。あなたこそそっちの砂糖。一つでしょう? 見たところ3つはありますが」
『ちょっとそこの―――!」
「だから――!」
『―――――!?』
「―――――!!」
「疲れたね」
「……お疲れ」
ようやく目当ての商品を手にいれ、生鮮食品コーナーから冷凍食品の棚まで来て一息ついた。
「……だからここは苦手」
「え? なんでさ。とっても安いじゃない」
「……コズエが怖くなる」
いやそれは違う。僕が怖いんじゃなくて周りのおばちゃんが凶暴化するだけだ。
なんていうか、おばちゃんっていうか主婦っていう生物は、いかに食費を抑えるかに特化した野獣のような存在だと僕は思うね。
押せば弾き出され、引けば自分の籠の中まで奪われ、気づいた時には辺り一帯お勧め商品は消え去っている。
こっちに引っ越してから始め2か月はきつかった。どうあの猛者達と対峙すればいいのか分からなかったからな。
「ん? なんか顔についてる?」
「……なんでもない」
僕の顔をじっと見つめる因香ちゃん。納得のいっていないと自己主張するように溜息を吐き、「……アイス買って」と言った。
いやそれを買っちゃうと僕が節約した意味ないじゃん。とは言えない。言うことを聞かねばどうするか知らんぞ、とばかりに睨んでいる少女に、そんなこと口が裂けてもいえなかった。
どうにも、今どきの女子高生ってやつにはあの光景は刺激が強すぎたらしい。
○
一通り散策を終え、さて帰るか、と因香ちゃんが注文したソフトクリームを籠に入れたとき、買い忘れたものに気がついた。
「ねえ因香ちゃん。もういっこ寄って行きたいんだけどいい?」
「……ん」
了承を得たので僕は総菜コーナーに向かった。
【ゲキアン】の総菜は、作っている人が見えるように白い作業着を着たおばちゃん達が陳列棚の後ろから見られるのが特徴的だ。
僕はその中からとある人を見つけ出し、「すいませーん。弁当お願いしまーす」と呼んだ。
「……コズエ、弁当ならそこにある」
「いいからいいから。とっておきのがあるんだよ」
因香ちゃんが整列するプラスティックケースに包まれた弁当を指さして僕を見る。まあ見ていてくれ。
『はーい。只今ー』の声と同時にその人は店員用ドアをこじ開けて姿を現した。
「どうもこんにちは、もっちーさん」
「いやいや。アンタそのあだ名は最高でしょうよ。ていうかやめなさいいちいち呼び出すの。面倒なのよ」
「はあ、すいません」
「一ミリたりとも思ってないでしょったく」
もっちーさん。
本名、茂木里美さんは知る人ぞ知るオーダーメイド弁当職人である。
意味がわからない? そのままの意味で受け取って欲しい。【ゲキアン】の七不思議なのだ。
そして友達の話に出てきた最強の主婦、斉藤さんその本人である。
「はいよ、レジまで持ってきな」
茂木さんがほかほかの弁当を手渡してくる。
「どうも、いや、でもどうやって作ってるんです? これ見た目はあんまり変わりませんけど」
「企業秘密だっつの。いいから行けほらシッシ。営業妨害考えな」
酷い言われようだな。僕が一体何をしたというんだ。
「色々したと思うけどね。……まあいいや。って、この子は? 見ない顔だけど」
茂木さんが目を丸くして僕の隣にひっそりと佇む因香ちゃんを見た。そしてにやけた。嫌な予感だ。
「あんた意外と隅に置けないね」
「芳人さんの妹さんですよ」
「アタシが悪かった」
芳人さんはこの街じゃ有名人だ。主に悪い意味で、だが。僕とも時々ここに来るので茂木さんも芳人さんの顔は覚えているのだろう。
「そうか、白樫んとこの子か……」
茂木さんがなんだか遠い眼をしている。
なんでかは分からないがしんみりとした空気が漂ってきた。帰るか。
「それではもっちーさん。また来ます」
「あの、さ。たしか白樫って探偵だったよね」
どうしてこの地域の人は皆後ろから肩を掴んで止めるのだろうか。
「めちゃめちゃ痛いんで放してください」
「あ、ごめん」
慌てて手を引っ込める茂木さん。なんというか、茂木さんのような若い女性にそういう仕草をされるとぐっと来るものがあるな。
「ではさいなら」
「待ってって!」
「ドントタッチミー!」
「うるさい! 少し話を聞いてけ!」
嫌だな。もう用件は大体伝わった。できれば逃げ出したかったのだが、無理だったか。助けを求めて隣を見るが、因香ちゃんは最近機種変えした携帯に目を落としていた。諦めてこちらから話を振ることにする。
「ひょっとして依頼ですか? やめといた方がいいですよ? 少なくとも芳人さんが関わると人間関係ぐちゃぐちゃになります」
僕は一応釘を刺しておいた。普段世話になっている分この仕事の実態を知っておいてもらいたい。
「それでも、お願できる?」
やはり依頼だったか。なんとも気が進まない。
「本気ですか?」
「うん」
そう言って頷く茂木さんの眼は真剣だった。どうも事情が違うようだ。表情に先ほどの柔らかさがない。
「実はある人を探してるんだけど」