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COUNT DOWN  作者: 有本康介
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プロローグ

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 傘を忘れた。


 しまったと僕は思った。


油断したな。天気予報では今日一日雨だと言っていたのに午後からは曇りになっていたのだ。それで気が抜けていたのだろう。


 場所は分かっている。

 駅のトイレだ。確か入口から三番目の席の取っ手に引っ掛けてある。はずだ。


 どうする、引き返すか、諦めるか?


 駄目だ。あの傘は貰いものの大切な傘だと思い出した。


 気がついたのが改札を出てすぐだったというのが助かった。僕は定期券を通し、改札を出ようとする人にもみくちゃにされながらなんとか目的地にたどり着く。


 あるだろうか? 大丈夫。まだそんなに時間はたっていない。盗られてることはないだろう。

 楽観しながら扉を開けたが、しかし僕の視界にはそれらしいものが何も見つからなかった。


 僕が用を足した場所に掛かっていたものが綺麗さっぱり姿を消していた。


「うわぁ……」


 僕は入口でがっくりと項垂れる。


 盗られたよちくしょう。あれ結構高かったんだぞ、多分。貰いもんだから知らんけど。


 最後にどこか間違って移動されたのかと思ってトイレを詮索することに決めた。

 ひょっとしたら僕の記憶違いで違う所に掛けたかもしれないからだ。


 小便器の周りにはなし。手洗い付近にもなかった。というかもし人がいたら僕は随分と好奇の視線にさらされたことだろう。


 問題は大便器。


 ここまできてなかったのだから諦めるか駅員さんに聞くのが正しい判断だと思ったが、一つ気になることがあるのだ。


 それは多分なんの変哲もないことで、普段なら気にも留めないことなのだが、つまり簡潔に言うと大便器の個室が埋まっているのだ。


 普通のことだ。誰かが用を足しているのだろう。


 だがそこから聞こえてくるのは排便の音ではなく、カチカチと軽い金属と金属がぶつかり合うこの場には不自然な音だった。


 この中にいる人がどういう人かはどうでもいい。ただひょっとしたら僕の傘があったかどうか僕より早くトイレに来ているはずだから知っているんじゃないかと僕は踏んだ。


 だから僕は中の人に声を掛けた。僕の判断は間違っていないはずだ。


「すいません、失礼は承知でお尋ねします。このトイレに入ったとき黒い大きな傘が掛かっていませんでしたか? 大事なものなんです。見ていたら教えてもらいたいです」


 僕はノックを数回、その後に質問をした。すこしばかり非常識だったのかもしれない。ただし、僕はこの時の自分の行動は間違っていないと思っていた。傘をなくした事で焦っていたからかもしれない。


「ん、ん? ああ、ああ、あれね。うんあったよあった。ていうかさ――」


 くぐもった若い男の声。年齢は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。


 便器の洗浄と水の流れる音とともにその男は姿を現した。


「あれはお前のだったのか。しまったな」

 出てきたのは美容液のCMにでも出そうな美白を持った女性の様な男だった。


 髪は長く。前髪は金属製のカチューシャのようなもので掻きあげ、服装はどこか攻撃的で、さながら歌手かモデルのようであり、こんな人も身近にいるのかと感心していたが不自然な箇所が目に入った。


 この人、異常なほど背筋がいいな。


 猫背な人とそうでない人の背筋の違いは傍から見てもよくわかるが、これは背筋が良いとかそんなんではくて、


「あの、失礼ですが背中に何か入れてます?」

 それより僕は正直自分自身に驚いていた。


 普段初対面の人と話すときはドもりがちになり、碌に視線も合わせれない現代っ子なのにどうしてこの人にはずけずけと尋ねれるのだろうか。

でも明らかに不自然なのだ。

どうしてトイレから出てきたばかりの人間が露骨に胸をそらしているのだろう。


「…………」


 男は何故か恭しく背中から何かを取り出した。って、僕の傘じゃないか。


「済まない。俺は窃盗犯になるところだった。これは返そうじゃないか。ああ、今月の生活費が苦しいのをいいことに盗みをしてしまうなんて俺はなんて悪男なんだ」


 僕に傘を返した男は、さながら舞台に立っている役者のようにオーバーリアクションで振舞い、それが妙に上手いのが少しいらっとした。そもそも悪男ってなんだ。造語はやめろ。それと傘程度で生活費は賄えないと思う。


「じゃあ、僕はこれで」


 身の危険を感じた僕は、そう言ってくるりと踵を返した。

しかし逆らうように僕の肩を掴む手。振り返ればさっきの男が涙を流しながら僕を凝視していた。真剣に怖かった。


「な、なんですか?」

「酷いじゃないか!」


 何がだ。


「俺がこんなに困っているのに何の感情も変えずに帰ってしまうなんて!」


 何の話だ。軽く電波でも入っているのだろうか。



「ああ、そうやってまた俺を馬鹿にして! 君は何様のつもりなんだい! 少しは俺の苦労でもわかってやろうとかそういう心やさしい気配りとか見せたらどうだ。曲がりなりにも傘が見つかったのは俺のおかげなんだから」


 ……この人なんか怖いぞ。いきなりなんだこのテンションの上がりかたは。富士急のドドンパもここまで一気に変化しないぞ。


「また感情を変えやがって糞。そんなに俺と話したくないのか――」


 あれ?


 なんだろう。この人の言葉の節々になにか違和感が残る。


 少し考えてわかった。


なんで表情とかじゃなくて感情なんだ? そんなもん外見じゃわかるわけないだろうに。


「【戸惑い】に変わった。占い師の踏んだ通りか。お前は気がついた。47人目でようやくビンゴってことかよ。つーか一日便所で籠って47人て! 金返せあのばばぁ!!」

「え、ちょ、何?」


 いきなり口調が落ち着いたと思ったら男は僕の肩に腕をまわしてトイレを出る。


「思ったよな。やっぱ思ったよな。誰でも思うわなあ。俺多分いきなり絡んできたキチ○イだと思われたよな。まあでもしゃあねえわな」


 男は僕の歩幅なんて関係なくずんずんと歩いていく。ていうか逃げれない。途中改札で引っかかって駅員さんに呼び止められたがその時も男の腕の力は強く、僕が逃げ出すことはかなわなかった。

すげえよこの人の。駅員さんの注意とか全部「日本語ワカリマセーン」で切り抜けやがったよ。明らかに日本人面の癖に。


「単刀直入に聞くけどよ。お前なんで傘忘れたって気づいたんだ?」


「……ッ、大切な……ものだから、けほ、グホ! ちょ、まじで締まっ!」


苦しい。

 首に回された腕が軽く呼吸器感を圧迫しており、予想以上の苦しみだ。

いい加減はなせこら。


「【怒り】に変わったか。お前案外順応性高いな。いいねー」

「あの、さっきから何ですか! その【戸惑い】とか【怒り】って」


 この時点でも敬語を忘れない僕は対したものだろう。そもそもなんでまだ敬語なんて使っているんだろうか僕は。


思った事を口にしたまでだ。なのになぜか男はやってしまったという顔になると、突然僕から身を放した。


「……あら? お前さ、ひょっとしてだけどさ、まさかだけどさ、気づいてない?」

「は? 何のことです? ていうかあなた誰ですか」

「あ? 俺か? 俺はな」


 そう言えばこの男が誰だか分からなかった。

 社交儀礼的に訊いた名前が僕の決定的な黒歴史に刻まれるとこの時は思ってみなかった。


白樫芳人(しらかしよしと)。職業探偵よ」


 トイレで人がいるか尋ねるのは間違っていなかった。しかし名前を尋ねたのはひょっとしたら間違っていたのかもしれない。


 それがこの僕、椎柴梢(しいしばこずえ)と白樫芳人という謎の兄ちゃんとのファーストコンタクトであった。


 今を振り返っても思う。

 どこで選択肢を間違えたんだろう、と。

 



 

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