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高ノ森鳥籠と初めて出会ったのは、僕が私立白樫高校の二年生に進級してすぐ、まだ桜も咲いていない頃の事だった。
この学校では、毎年新学年がスタートするとまず、レクリエーションという名の、クラスの親睦を深める遊園地日帰りツアーが行われる。
一見、楽しそうに思えるイベントだが、僕にとってはそんな事はない。
楽しみでは、ない。
なぜなら、僕は新しいクラスに友達と呼べる人間が一人もいなかったからである。一人で行く遊園地を、楽しめる人などなかなかいないだろう。
だけれど僕は、いじめをうけていてクラスから迫害されているわけではない。
影が薄く目立たないというわけでもない。
―――影は濃い。
―――目立ちすぎ。
もともと、友達は少ない方だった僕なのだが、1年生の頃起したとある事件のおかげで、少ない友達はさらに少なくなり、噂が噂をよび、現在クラスメイトにはすでに一目置かれていた僕に自ら進んでお近づきになりたがる物好きはいなかった。いや一目ではない、一線ひかれていたが正解だ。いい感じに距離をとられていたのである。
ある意味いじめだろ、みたいな感じです。
嫌われていない、怖がられていない、が、気持ち悪がられては、いた。
当然遊園地までの少ない日数の中その距離を縮められるはずもなく一人で行動するであろうことは目に見えていた。
最近は一人上手になってきた僕だが、一人遊園地は未経験だったので、雨天中止に期待をよせた。
降水確率30%。
3割の確率なら期待は持てる。イチローまではいかないが、打率でいえば申し分ない強打者だ。
そういえば、昔僕は降水確率というものは、雨の降る確率ではなく、雨が降る場所の範囲だと思っていた。
たとえば、北海道が降水確率50%なら北海道の半分、雨が降るものだと思っていた。我ながらとんだ勘違いだったな、と思った。
そんな、どうでもいい思い出に浸りつつ、テルテル坊主を逆さにつるす僕。
その様子を心配そうに見つめる母、というシュールな画。
―――その夜、僕は眠れなかった。
明日の旅行の事を考えて、興奮してねれなかった、わけではない。
迂闊にも、寝る前に怖い系のビデオを見てしまったという、どうしよもなくチキンな理由だった。
翌日、遊園地当日
「快晴とはこの事かよ。」
いって、肩を落とす僕。
人生願うだけでは思うようにはいかないものだ。
学校に着くとすでにバスが到着していて、点呼をとりすぐさまバスに乗り込まされた。
バスの中で、一言も言葉を発しない僕をみかねた心の優しいクラスメイトが声をかけてくれ、そのクラスメイトの友人グループと仲良くなり、楽しい一日を過ごしました。なんて作文のようにはもちろんいかず、予想通り、いや予定通り遊園地に着くやいなや真っ先にフードコートの椅子に座り、一人、コーヒーを片手に読書に勤しむ僕がいた。
本を読む事はあまり好きではないのだが、本は、何時どこでも誰にたいしても壁を作れるいい道具だった。ちなみにコーヒーもこれといって好きではない、雰囲気作りのオプションである。
もちろん遊園地にしても例外はなく、あからさまに壁を作り読書に勤しむ僕に話かけてくるような人は
「なにを読んでいるんだい?」
いた。
いたよ。
誰かに話しかけられるなんて予想していなかった僕はさぞおかしな表情をしていただろう。写メに残しておきたいくらいの、だ。
一瞬目線が声のする方向に向かったが、スカートが目に入りすぐさま視線を本に戻すシャイな僕。同時に椅子を引く音がした。どうやらこの女性は向かい側の椅子に座ったらしい。僕はとにかく気にしていない風を装い読書を続ける。
「太宰治の人間失格か、自分も読んだことがあるよ。」
彼女は僕の挙動など気にする様子もなく話を進めた。
「太宰治が好きなのかな?」
僕は無視することもできず、返答する。
「いや別に。ただ聞いたことのある作品だから買ってみただけであまり詳しくはしらないけど。」
「そうなのかい?自分はなかなか好きだな、その作品は。」
「はあ。そうなんですか。」
「おもしろいかい?」
質問攻め。
「まあまあ。でも漢字が難しくて読むのに時間がかかる所はネックだけど。」
僕は理系なのだ。そして漫画派なのだ。かっこつけたい年頃なのだ。コーヒーはもちろんブラックなのである。
「ふっ。」
笑われた。しかも鼻で。
「漢字は自分も苦手だよ。」
さいですか。
………と、いうかなんなんだこの人、誰なんだこの人、新手のセールスかなにかですか?
ぼくは壺にも化粧品にも特にこだわりはないですよ。貧乏なただの学生ですよ。いやでも化粧水は最近気を使ってますけど、思春期なので。
「何だい、まるで知らない人に急に話しかけられた様な顔をしているね、自分はどこぞのセールスマンではないから警戒を解いてもらって構わないよ。」
…エスパーか。はたまた超能力者か、って意味いっしょかな。
「なんだい本当に自分を知らないみたいだね。まあまだ新学期が開始したばかりだからしかたがないという事かな、自分は君の事を知っているんだけどね、新崎新君。」
咄嗟に僕は本から声のする向かい側に視線をずらした。
そこには黒髪ロングのストレート、前髪は眉のあたりで真っ直ぐカットされていて瞳は大きくシャープな顔立ち。可愛い優等生系でだらしない僕をいつも叱ってはいるけれど「しょうがないなぁ」と優しく包み込んでくれそうな幼馴染の(後半は完全なる妄想である)イメージの女の子が座っていた。
服装は我が白樫高校の制服だった。
今日この場にいるということは同級生ってことだよな。
でも、知らない人には変わりはない。
警戒心は拭えない。
「どちら様ですか?」
「うんうん、それでは自己紹介をしようかな、初めまして同級生、自分は2年8組出席番号9番、高ノ森鳥籠と申します。いわいる君のクラスメイトというやつだよ。好きな食べ物は飴ちゃんで趣味は読書、運動は基本的に苦手なインドア系だな。ちなみにスリーサイズは、上から」
「ちょっと待てクラスメイト。」
「んっ、なんだいクラスメイト?」
「自己紹介にスリーサイズは必要か?」
「カップ数だけでよかったかい?」
自己紹介で何をいいだすんだこいつは。なんの罠だよ、これ。思秋期の性衝動をかりたてていったい僕をどうしようというのだ。ドッキリか?ドッキリなのか?
だがその程度の揺さぶりで動揺する僕ではないのだ。
「カップ数はFカップだが。」
「でふっ」
噛んだと同時に視線は彼女の胸にスライドする。
「んっ?どうしたのだい?」
………いや、別になんともないですけど。ただ噛んでしまっただけですけど、噛み癖あるだけですけど。決して胸のサイズを聞いて驚いたわけではないのですけど。胸なんて全然興味ないんですけど………いや、まぁ、大きい事はいい事だとは思うけどね単純に、別に僕は大きさにそこまで重点をおいてはいないってだけで、人にはそれぞれ好き嫌いはあるってことだ、が、言われてみると本当に大きいな……ってそうじゃなくて!
落ち着け僕、いや違う、べべっ、べ別に動揺なんかしてないんだからね!ってツンデレなのかって!
……いや本当に落ちつけ僕。
これでは僕が、クラスメイトのカップ数を聞いて興奮するような変態みたいではないか!断じて違う!僕は紳士なのである。
ここは紳士的な対応で、男の余裕というものを見せてあげようではないか。
これぞ紳士の中の紳士というところを。
「………君は、おっぱいが大きいのですね。素敵です。」
素敵な変態紳士がここにいた。
こんな僕はみたくなかったよ。いやまったく。
「うん、なかなか見応えはあるだろう。胸にはいささか自信があるのだよ、自分は、それはもう満々だ。」
満々かい。
「よかったら、どうだい、つまんでみるかい?」
「どの部位を!?」
つまむって、触るじゃなくてつまむって。
「ふっふっ、冗談だよ。」
知ってるよ!冗談だって、知ってるよ!
いったいこれは、何プレイですか?
僕のキャパでは早くも対応できないぜ。
僕はコーヒーを口に運び、本に視線を戻し、落ち着きを取り戻そうと必死になる。
彼女は相変わらず、向かいの椅子に座ったままだ。
いつまでここに居座るつもりなのだろう。
はたからみたら、同級生女子と仲良くお茶をたしなんでいるかのように見えるのだろうから、別に悪い気はしないというのが本音だが。
同級生女子に性的ないじめをうけているというのが本当だが―――
「で、どうだったのかな?」
「僕はまだ触っても、つまんでもいないぞ!」
どこにそんな描写があった!
僕はそこまでアクティブでアグレッシブな男子ではない!
「………いや、本の感想を聞きたかっただけであって、自分の胸の感想は求めてないのだけどね。誤解を招いてしまって申し訳なかったよ。」
「本の話かい!」
………いじめ確定だな。性的な。
しかし、思春期の思考回路とはまったくエロ恐ろしいな。僕の理性とは、天と地、いや月とすっぽん、いや男の子と男の娘、並のスペックの差があるようだ。
というか、僕の思考をエロ方面にベクトル変換したのはお前だけどな!
「そろそろ読み終わりそうなんでね、どうだったのかなと思ってね。」
「はぁ、そうですか。面白かったとは思いましたよ、単純に。でも題名を見た時想像していた内容とはだいぶ違いましたけど。」
「違う?君はいったい人間失格でどんなえっちな想像を膨らませていたのだい?」
「膨らまねぇよそんなもん!」
ついつい大きな声を出してしまった。
エロおっかないはこの人。
「僕はてっきり、人間失格というほどだから、どれほどのダメ人間がどれだけ最悪で最低な人生を歩む話かと想像していたのだけど。逆に、普通の人より繊細で人間味があって共感できるところも多くて、普通に普通の感性の持ち主だと思ったんで。失格というよりかは、失敗かな、と。」
「ふふっ」
また笑われた。
「なんですか?」
「面白いな、君は」
彼女はそう言って、また鼻で笑った。
けど、バカにしている様な笑い方ではなかったので、あまり気にはならなかった。
「すべらない話をしたつもりはないけどね。」
「すまないすまない、こんな面白い感想をきけるとは思ってもいなくてね、ついね。ふふっ、変わっているよ君は、良い意味でね。」
悪い意味にしかきこえないけどな。
僕は「遊園地で一人読書している同級生に話しかける君のほうが変わっているよ」。と思ったけど口にはしなかった。
「僕が変わっているのは有名だろ、君だって僕の名前を知っているならあの噂くらいきいたことぐらいあるだろ。」
「きみが変わっているとはきいたことはないけどね、変態だ、となら聞いているよ。」
いつのまにか僕は変態にランクアップしていたのか。ちょっとショックかも。
「しかし、人の噂も七十五日とはいうけれど、今現在も噂されている君の
噂は、ある意味すごいのかもしれないよ。」
「すごいって………。噂なんて七十五日くらいじゃ消えるものじゃないだろう。この白樫高校を卒業するまで続きそうな気がするよ。」
いって、目線をさらに下げる僕。
「卒業するまで続いたら更にすごい快挙だとおもうけどね。皆勤賞みたいな、ね」
「たいしてすごさの伝わらない例えだなだな。」
「そんな状況にも、学校に登校している君は、噂よりさらにすごいと思うけどね。七十五日も噂されるなんてたまったものではないからな。自分なら十日で転校する自信があるよ。」
「転校するほどのお金はあいにくうちにはないのでね。かといって、家の中に閉じこもっているのも好きではないから。」
僕は実は行動派なのだ。面白い事やおかしい事、おかしな事は好きなので。
スリルとサスペンスは嫌いじゃないし、むしろウェルカムな、ぎりぎりでいつも生きていたいタイプなのです、本当は。
「よし。」
彼女は身を乗り出し僕の顔を覗き込み―――
「気に入った。」
―――僕の瞳をまじまじと凝視した後、いった。
「君はこの学校初めての自分の友達だ。」
僕の数少ない友達リストに高ノ森鳥籠が追加された。