第7節 コンダクターの仕事2
受付番号 AIC(01)EIG01-B00140B
電話回線が繋がると画面に『山崎きらら 二十九才 女性』と表示された。ID接続はしてくれている。永眠希望者。
第一声はとても悲しいもの。でも一日に何度も聞く言葉。聞かなくてはいけない言葉。
『死にたくて……飛び降りようかと……』
その声は大きく震えた小声だった。私は本物の言葉だと感じた。
「山崎きららさんですね? い、今、どこにいるんですか?」
『マンション……です』
「ご自宅の? ですか?」
私は女性の言葉を聞くと同時に女性の現在位置をID接続情報からGPSを利用して探索する操作をしながら話を続けた。しかし女性は私の声が聞こえなかったのか一人話し続けた。
『もう、疲れちゃって。私がダメなんです。みんなと上手くやれないから……っていうか……不器用なんですよ……要領よくできなくて……なんていうか、その場の空気とか読むのも苦手だし……もう、生きている意味なんてないんですよ、私なんて……いない方がきっとみんな幸せなんだろうな……』
「みんなっていうのは職場ですか? それとも友達とかですか?」
『職場の人……』
「職場の方ですか。ちなみにお仕事はどのようなお仕事をされているんですか?」
『え? あ、あ……事務です。ごく普通の事務職……』
私は山崎さんの対応、反応の仕方に危険を感じ、注意深く彼女の言葉、そしてその発し方、息遣いに私は全神経を集中した。
「職場の人たちから嫌がらせとか? そういうことがあったんのですか?」
『ええ。どうしてだろ……いつのまにか誰も私と口を利いてくれなくなって、問題が起きれば私のせいにされて、どう考えても時間が足りないような、私一人ではできない仕事を押し付けられたり……』
私の耳には時折自動車の通過していく音や風が当たる音が聞こえてくる。家の中じゃない。外だ。
「そのような話を会社で、例えば上司の方とか人事関係の方に相談などは?」
『そんな大きな会社でないんで……』
「他の所へは相談してませんか? 例えば名古屋市の労働相談窓口だとか」
『いえ……それで何か変わるんでしょうか?』
「そうですね。簡単には問題は解決できないかもしれませんが、それでも糸口……」
『アナタに何が分かるのよーっ!』
さっきまで囁くような弱々しい声が突然、金切り声の叫びに変貌した。私は率直に怯えた。でも、これも毎日のようにあること。そしてこれには今も慣れはしない。未だに私は怖いと感じる。今すぐにも、この電話の向こうで人が一人死んでしまうのではないか? そんな風に思えて……。しかし私のコンダクターとしての仕事、とにかくこの女性を少しでも落ち着かせて思い留まらせること。しかしそう思う私の気持ちはあっても時間は止まらない。電話の女性、山崎さんは畳みかけるように興奮した状態で私へと叫び声をあげ続けた。
『やっぱり無駄なのよねっ! 何したってさぁーっ! もう私なんて役に立たないし! みんなの手を煩わせるだけだし! ごめんなさい! つまらない電話しちゃって。やっぱしもういいよ。もういいよっ!』
「落ち着いてください。まずは色々と話を聞かせてください。それからでないと私たちはどのように案内すればよいのか分からないので」
私は山崎さんが浴びせる言葉に耳を傾けながら急いでライフ・ディフェンダーの要請をした。
するとモニターの上にあるランプが点灯しライフ・ディフェンダーの要請を周囲に知らせる。そしてコンダクターのみんなが私の方を注視する。私の向かいに座っている島田さんは一区切りついたところで私の目を見て頷き小さなガッツポーズを作って励ましてくれた。ひとりひとりのこういう励ましが力をくれる。支えになる。こういうことがなければとてもじゃないけれど一人で対処しきれない。それは“一人の命を私に預けられた”というように錯覚してしまうから。でも、それは一人で背負い込むことではなく、ここ悠久乃森のスタッフみんながみんなで支えるものなんだ。そういう実感が安心につながりこの後の対応も落ち着いてできる。
そしてライフ・ディフェンダーの要請に対して所長もしくは副所長が会話記録を元に必要と判断した場合、電話主の居場所が確定次第所轄の地域福祉課へライフ・ディフェンダーの出動要請をしてくれる。そして最も近くを徘徊しているライフ・ディフェンダーが本人と会って自殺を直接引き止める。という流れになっている。
でもライフ・ディフェンダーは普段、自殺既遂者のバックアップがメインのうえ人数が少ないということで間に合わなかったという過去が多々あるという。このもどかしさは誰もが抱えていた。
私の予想する状況は差し迫った感じで、やはり本当に電話の女性、山崎さんはマンションの危険な場所から電話していると思った。一通りあらゆる言葉を叫び続けた山崎さんはピタリと黙っていた。
「山崎きららさん? 聞こえますか? 大丈夫ですよ。ちゃんとお話聞いてます。人間関係は本当に難しいですよね。なかなか特効薬となるものがないので。でも、それを少しずつですが私たちのサポートで解決への糸口を見つけます。山崎さん聞こえますか?」
私はひどく緊張し固唾を飲んだ。耳に聞こえるのは風の音と車の音。山崎さんは……?
「返事をお願いします。山崎きららさん。聞こえてますよね?」
すすり泣く音が聞こえ始めた。まだ大丈夫だ。その時モニターには『要請受理。至急LD直行』のメッセージが表示されていた。とにかくライフ・ディフェンダーが現場に到着するまで私が女性の行動を引き留めなければいけない。寸分も気を抜けない。
――人の生死を分ける瞬間に私が立ち会っている。一人の人生のすべてがここで決まってしまうのかもしれない。
(やっぱり怖い……)
この毎回受けることとなるとても大きなプレッシャー。そしていつも私の気持ちへ素直に従う心臓は周りに聞こえてしまうんじゃないかというほど鼓動を打つ。その時、隣に座る野々宮さんは私の手をそっと握っていてくれた。私たちはいつもライフ・ディフェンダー要請となった時、出来る限りお互いそうしようと決めていた。一人じゃないんだと実感できる手の温もりは勇気と自信を失くすこと止めさせてくれる。私はその野々宮さんの目をちらと見ると話を続けた。
「山崎さん。私たちを信じてください。私たちは山崎さんのようにどうしていいのか困っている方々のためにいます。まずは色々と今までの話をゆっくり聞かせてもらえませんか? 今のお勤め先にはいつ頃入られたのですか?」
すすり泣く音が今も尚聞こえる。そして少し時間をおいて言葉が返ってきた。
『三年くらい前です……』
「嫌がらせというのはいつからでしょうか?」
会話が文章化されていくモニターで山崎さんの話、言葉をひとつひとつ丁寧に見ながら私は会話を進めていく。
『入社して……三か月……それくらいからだったと……』
山崎さんの会話が不自然に途切れたかと思うと別の女性らしき話し声が薄ら聞こえた。
『あ……はい、私です……だ、誰ですか?』
どうやらライフ・ディフェンダーの人が到着したようだ。モニターの表示は『LD、志願者と接触』の表示に変わっていた。
このような状況の実際の現場はどんな風なのかは研修時の再現ビデオでしか見たことがない。ライフ・ディフェンダーの人の対応しだいでは追いつめてしまうこともあったりするという。会話、交渉の難しさをつくづく感じる。ライフ・ディフェンダーの人たちは私たちの倍以上。いや、きっとそれよりもずっとすごいプレッシャーなんだと思う。私には到底できないことだ。私はライフ・ディフェンダーの人たちをとても尊敬し憧れている。
(自分ももっと寄り添って力になりたい)
気が付くと電話回線はすでに自動切断せれており私の耳に木下所長の声が入ってきた。
『お疲れさま、雪村さん。少し休憩してきてください』
とても甘い色の声が直接回線で聞こえるのでその都度ついドキりとしてしまう。ここだけの話。
「はい。まだ大丈夫です。このまま続けます」
『大丈夫ですか? くれぐれも無理だけはしないように。不安感や脱力感が起きたらすぐに休憩してくださいよ』
「はい。ありがとうございます所長」
私のとなりで野々宮さんは可愛い丸顔でいっぱいの笑顔を見せてくれ、正面の年長の島田さんは電話の相手をしながらも私の頭を撫でるジェスチャーを。そしてチームリーダーの林さんも笑顔で『お・つ・か・れ・さ・ま』と口を動かすと同時にグッドサインを見せてくれた。
このチームのみんなの支えがコンダクターの仕事には絶対に必要なのだ。
まずは信じること。
自分を信じること。
皆を信じること。
信じることを疑ってはいけない。
どんな人も、
どんなことも、
信じることから始めること。
信じること。
みんなが信じているということ。
みんなが信じていることを疑ってはいけない。
疑うこと。
それは後でいい。
忘れてしまうほど後でいい。
まずは信じること。
これは最初のレクチャーで言われた言葉。そしてこれは常にスタッフみんなのモニターに表示され続けている大切な言葉。コンダクターの心得。誰の言葉かは誰も知らない。